7名の有力容疑者・・・。
1888年
イギリス・ロンドンで「切り裂きジャック」による最初の殺人事件が発生。8月31日から11月9日の約2ヶ月間(8/31.9/8.9/30.9/30.11/9)に売春婦の喉をかき切って5人を殺害した事件。
犯人逮捕には至らなかった未解決の猟奇的殺人事件。
【切り裂きジャック】-2-
切り裂きジャックの被疑者については、これまで多数の人物が挙げられているが、その中でも以下の7名が有力視された。
モンタギュー・ジョン・ドルイト(Montague John Druitt、1857年8月15日 - 1888年12月1日)
弁護士および教師。事件当時から、風貌が似ているという目撃証言が寄せられていた。最後の事件後、テムズ川に飛び込み自殺をしている。
第1・2の事件時、所在不明。メルヴィル・マクノートン(当時の英国捜査当局の責任者)のメモにより、20世紀半ばから有力な被疑者と呼ばれるようになった。その内容によると、精神病を患っていたことが示唆されている。ただし、マクノートンの記述に間違いが多く(たとえば、職業を医師としているなど)、信憑性に欠ける。
マイケル・オストログ(Michael Ostrog、1833年 - 1904年頃?)
ロシア人。海軍の駐在医(外科医)という経歴を持つ。殺人を含む複数の前科があり、詐欺や窃盗の常習犯。
警察に逮捕された末、精神病棟に隔離された経験がある。事件時に所在不明だった、当時から被疑者の1人として捜査当局内で名前が挙がっていた。
トマス・ニール・クリーム(Thomas Neill Cream、1850年5月27日 - 1892年11月15日)
アメリカ人。医師。危険な薬物(ストリキニーネ)を用いて売春婦を毒殺、「ランベスの毒殺魔」と呼ばれていた。
1892年に死刑執行。その際に絞首台で「俺は切り裂きジャッ…」と言い残した(正確には、"I am Jack the…"まで言った時に床板が外された)とされる。しかし、一連の事件が起こった1888年当時、トマスはアメリカのイリノイ州にある刑務所に投獄されていたため、犯行は不可能である。
アーロン・コスミンスキー(エアラン・コスミンスキ、Aaron Kosminski、1865年9月11日 - 1919年3月24日)
ポーランド出身。ユダヤ系の理髪師。殺人現場であるイースト・エンド近辺に住み、犯罪歴・精神病の入院歴があり、売春婦を憎んでいた。
目撃者の証言により当局に逮捕されたが、重い精神の錯乱が見られた。また、切り裂きジャックが書いたとされる手紙と筆跡が一致しなかったことから、証拠不十分を理由に起訴は断念された。証言も後に撤回されている。
1919年、強制入院先の精神病院で死亡。
2014年9月、遺留品のショールから抽出されたDNAがコスミンスキーのものと一致した。
ジェイムズ・メイブリック(James Maybrick、1838年10月24日 - 1889年5月11日)
木綿職人。事件の3週間前、現場近くにあるミドルセクス・ストリートの部屋を借りていたため(用途不明)、捜査線上に浮上した。
妻のフローレンス・メイブリックに殺害された「メイブリック事件」の被害者として有名。また、メイブリックは冤罪であるという意見も根強い。
1991年に切り裂きジャックと署名のある日記が発見され、メイブリックが書いたものという主張がなされた。しかし日記の発見者とされた無職の男の偽造だった。
ジェイコブ・リーヴィー(Jacob Levy、1856年 - 1891年7月29日)
ユダヤ人。精肉業者。「ユダヤ人」「死体の解体に慣れ、血まみれの格好をしていても怪しまれない職種」というプロファイリングにより浮かび上がった。
1888年9月30日、3件目の殺害現場であるバーナー街の国際労働者会館前では、ユダヤ教社会主義の会合が開かれていた。また、4件目の殺害現場にあった壁に「ユダヤ人は理由もなく責められる人たちではない」という落書きが残されていたことが、説の根拠として挙げられている。4件目の現場であるシティ・オブ・ロンドンの近所に住む、同じくユダヤ人の精肉業者であるジョゼフ・リーヴィーに目撃されたが、ユダヤ人の迫害を恐れたジョセフは、捜査陣に犯人像を詳しく語らなかったと言われている。だがジョゼフが口にした「犯人は被害者より3インチ(約8cm)高かった」という身体的特徴は、リーヴィーに当てはまる。
リーヴィーは梅毒に罹患しており、梅毒から来る精神障害を患い「不道徳な行いをしろ」という幻聴を聞いていたという記録がある。リーヴィーの妻は「夫はノイローゼにかかっていたようで、一晩中街を徘徊していることがあった」と証言している。
事件当時、リーヴィーはフィールドゲート街からミドルエセックス街に引っ越したが、両地点も犯行現場を結んだ円内にあるため、地理的プロファイリングとも一致する。ただ5件目の殺人が発生した頃、リーヴィーはすでに梅毒の末期症状で体の自由が利かず、犯行はおろか日常生活すら困難な状況下にあった。
専門家の間では、「リーヴィーが犯人であった場合、解剖の仕方が異なる点や犯行現場が屋内であったことから、5件目の犯行は模倣犯によるもの」という説が指摘されている。
ウォルター・シッカート(Walter Richard Sickert, 1860年5月31日 - 1942年1月22日)
ドイツ人。画家。パトリシア・コーンウェルは、99%の確度を持つミトコンドリアDNAの一致などからシッカートを犯人とした。
一般に、性的暴行を伴う快楽殺人の犯罪者は、自身の性的嗜好に適った被害者を選ぶ傾向があり(老若男女を問わず暴行を加えて殺害したアンドレイ・チカチーロのような例外もある)、切り裂きジャックについてもメアリーからキャサリンまでの被害者を考慮した場合、中年の女性にそうした志向を抱いていたと考えられる。しかし、メアリーは年若の女性であることから、便乗犯もしくは別人の犯行の可能性が指摘されている。実際に「ピンチン通りの殺人」など、切り裂きジャックとされる犯行または切り裂きジャックに類似した犯行を行った人物は、複数存在した可能性が指摘されている。
5人目の被害者メアリーは、道徳的に見た際「最も残忍な殺され方」をしているが、医学的な見地に立てば「最も高度に外科的な殺され方」すなわち最も高度な技術の臓器摘出が行われており、医者を中心に別人の犯行の可能性が指摘されている。
「犯人が夜間、警察官に怪しまれずに徘徊し、被害者の女性たちに近づける」という点などから警官による犯行も疑われ、事件後内部調査が行われたが有力な容疑者は出なかった。
シャーロック・ホームズシリーズで知られる同時代の推理作家アーサー・コナン・ドイルは、切り裂きジャック事件については特に公式に意見は述べておらず、事件を扱った小説も発表していない。子息によれば、切り裂きジャックの正体について「女装した男性」であると自分の推理を述べたことがあったという。
当時のイギリス女王ヴィクトリアの孫、クラレンス公アルバート・ヴィクターも一時期容疑者の1人とされていた。
作家のパトリシア・コーンウェルが2002年に出版した『切り裂きジャック』(原題: Portrait of A Killer; Jack The Ripper Case Closed)では、自身で大金を投じてDNA鑑定や筆跡鑑定を行い、画家のウォルター・シッカートを犯人であるとして名指ししたが、現存している捜査資料や物的証拠に乏しかったため反論も多かった。実際、彼女の鑑定で言えることは、「切り裂きジャック」の手紙の一つをシッカートが書いた可能性が高い、ということである。
元警察官のトレヴァー・マリオット(Trevor Marriott)は、セントラル・ニューズ社のトーマス・ブリング(Thomas Bulling)記者がスクープ記事を書くために犯行声明の手紙を捏造し「切り裂きジャック」という人物を作り上げたとしている。
1997年にブルース・ペイリーが著書「切り裂きジャックの真相」で、FBIの犯罪捜査で使われているプロファイリングの手法によって、最後の犠牲者メアリー・ケリーと同棲していたジョゼフ・バーネットこそ犯人であるという説を発表した。その主張によれば、バーネットが殺人を犯した動機は、ケリーに恐怖心を与えて売春をやめさせるためだったという。警察は当初、バーネットを有力容疑者と見なして厳しく取り調べたが無関係と結論づけた事実がある。
2014年には、被害者の一人であるキャサリン・エドウッズの遺体のそばで見つかったショールと被害者・被疑者子孫のDNA鑑定により、アーロン・コスミンスキーが犯人であるという説が出された(ただし、同年、DNA鑑定の致命的な誤りを英Indepent紙が続報している)。
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