Operation Thunderbolt - 1 - | hiroチャンのブログ

Operation Thunderbolt - 1 -

Operation Thunderbolt - 1 -
1976年6月27日に起きたエールフランス航空機ハイジャック事件(通称:エンテベ空港ハイジャック事件)において、イスラエル国防軍が7月3日から4日にかけてエンテベ国際空港で実施した人質救出作戦である。




(1977年の作品)

【エンテベ空港奇襲作戦】
年月日:1976年7月3日
場所:ウガンダ、ワキソ県エンテベ(エンテベ国際空港)
結果:イスラエル軍による乗客102名の救出

《エンテベ空港奇襲作戦》

(オペレーション・サンダーボール/オペレーション・サンダーボルト/オペレーション・エンテベ)は、1976年6月27日に起きたエールフランス航空機ハイジャック事件(通称:エンテベ空港ハイジャック事件)において、イスラエル国防軍が7月3日から4日にかけてエンテベ国際空港で実施した人質救出作戦である。結果的に突入部隊の誤射で死んだ3人と、病院に搬送されていた1人を除く乗客全員が解放され、救出作戦では稀に見る成功を収めた。



日付:1976年6月27日
概要:ハイジャック
現場:ウガンダ、ワキソ県エンテベ国際空港
乗客数:248
乗員数:12
負傷者数:(死者除く)10
死者数:4 (うち1人は搬送先で死亡)
生存者数:256
機種:エアバスA300B4-203
運用者:エールフランス
機体記号:F-BVGG
出発地:ベン・グリオン国際空港
経由地:アテネ国際空港
目的地:パリ=シャルル・ド・ゴール空港

1976年6月27日にギリシャのアテネ国際空港を離陸したフランス、パリ=シャルル・ド・ゴール空港行きのエールフランス139便(エアバスA300B4-203、機体記号F-BVGG)は、離陸後に4名のテロリストにハイジャックされる。
ハイジャック犯は「パレスチナ解放人民戦線・外部司令部」(通称PFLP-EO:パレスチナ解放人民戦線の分派)のメンバー2名と西ドイツのテロリストグループ「革命細胞」(Revolution・re Zellen、略称RZ)のメンバー2名であった。
248人の乗客とミケル・バーコス機長以下12人の乗員を乗せたエールフランス機は、ハイジャック犯の指示に従い、リビアのベンガジにあるベニナ空港で7時間かけて給油とイギリス人の妊婦、身体障害者の人質の解放を行い、その後ウガンダのエンテベ国際空港に強行着陸した。

エンテベ国際空港に到着した後で、さらに4人のテロリストがウガンダ政府の支援のもとハイジャック機に合流した。彼らを援護したウガンダのイディ・アミン大統領は、かつては親イスラエル派であったものの、イギリスをはじめとする西側諸国や近隣諸国との対立の中で反イスラエル派に転じていた。
256人の乗客はイスラエル人およびユダヤ人を残し解放された。残された乗客はエンテベ国際空港の旧ターミナルビルのトランジット・ホールで人質となった。犯人グループはイスラエルで服役中のテロリスト40名の釈放を要求し「要求が応じられない場合人質を殺害する」として脅迫した。
その後アミン大統領は、自らエンテベ国際空港に出向き人質と会見し「人質の解放に向けてイスラエル政府と交渉を行う」と語り、この光景をテレビカメラに撮らせ世界各国に配信し中立の立場を装った。
その後犯人グループは、ユダヤ人およびイスラエル人以外の乗客を救援のために派遣された別のエールフランス機に乗せることを発表した。139便のミケル・バーコス機長は犯人グループに「人質の安全は自分の責任である」と伝え、人質を残して去りはしないと伝えた。全乗務員は自らの意志でバーコスと行動を共にしエンテベ空港に残った。
彼らが後に解放されパリに帰還したとき、バーコスはエールフランスの上司に叱責され職務停止の処分を受けた。しかしその後職務に復帰するとともに、レジオンドヌール勲章が贈られた。また、フランス人の尼僧も解放されることを拒否し人質の身代わりになることを要求したが、彼女はウガンダ兵によってエールフランス機への搭乗を強要された。

イツハク・ラビン首相率いるイスラエル政府は、人質の釈放に向けてアミン大統領への直接交渉を行うのみならず、アメリカやソ連を経由してアミン大統領に交渉を働きかけるなど多数の政治的手段を試みた。
特にイスラエルの退役軍人のバー・レフ将軍は、ウガンダ軍への軍事訓練を通じて、かつて親イスラエル派であったアミン大統領との長年の知己であり、個人的な強い繋がりを持つと考えられた。内閣の要請でレフは人質の釈放を求め電話でアミン大統領と何度も話したが、交渉は難航していた。
その後の交渉の難航とハイジャック犯からの人質殺害の脅しを受けて、人質の家族の多くがイスラエル政府に対しパレスチナ人テロリストの釈放の要求を行うなど国内世論は割れ、実際にラビン首相はパレスチナ人テロリストの釈放の検討を行った。

しかしラビン首相は同時に軍事的手段の実行による解決を模索し、イスラエル軍に作戦の検討を指示した。ただちにイスラエル軍は後述のようにエンテベ国際空港の構造やウガンダ軍の配置状況を調べるとともに、解放された人質からテロリストの配置状況の情報収集を行うなど、軍事的手段による人質解放作戦の実施を検討し、それらを元にした綿密な立案の下に、ラビン首相に対して「軍事的手段の行使による人質の解放が可能である」との報告を出した。
これを受けてラビン首相は軍事的手段による人質解放作戦「オペレーション・サンダーボール(サンダーボルト作戦)」 の実施を決意し、イスラエル国防軍の派遣を決定した。なお、事件後に公開された多くの文献が、ラビン首相を除く当時のイスラエルの内閣は軍事的手段の成功に見込みを持っておらず、パレスチナ人テロリストの釈放準備を整えていたことを示している。
ハイジャックされたエールフランス機の乗客のうち、ユダヤ系の乗客やイスラエル国籍者以外の乗客は解放されたが、未だに106名の乗客が人質となっていた。イスラエルはウガンダのアミン大統領などと人質解放の交渉を行なうも難航。そのため、イスラエルは国防軍による人質救出を検討、実施するに至った。

7月3日に、4機のイスラエル軍のロッキードC-130輸送機とイスラエル国防軍の対テロ特殊部隊サイェレット・マトカル(Sayeret Matkal)のメンバーを含む100名以上のイスラエル兵(サイェレット・マトカル隊員以外は空挺旅団およびゴラニ旅団に所属)が人質解放のために派遣された(同時にイスラエル諜報特務庁要員も参加したと考えられている)。
サウジアラビアなどの敵国上空を避けながら紅海沿岸を飛行し、アフリカ大陸を南下しエンテベに向かった。なお離陸時点では作戦の決行はまだ指示されておらず、エチオピア上空を飛行中(領空侵犯中)に最終的な作戦決行の指令を受ける。

イスラエル軍のロッキードC-130輸送機の1号機は、出発から約8時間後、エンテベ時間の夜の1時過ぎに地上支援無しでエンテベ国際空港に隠密着陸した。

この時、地上支援はなかったものの、エンテベ国際空港の滑走路の誘導灯が点灯したままであったことが安全な着陸を助ける結果となった。

また1号機がエンテベ国際空港に到着したのとほぼ同時に、人質解放に備えて医療施設を備えたイスラエル空軍のボーイング707輸送機2機が隣国のケニア、ナイロビのジョモ・ケニヤッタ国際空港に着陸する。


エンテベ国際空港に着陸したロッキードC-130輸送機の1号機の機内には、ウガンダ軍の護衛車両を装ったランドローバーを伴った黒いメルセデス・ベンツ600が持ち込まれ、アミン大統領もしくは他の高官が側近と共に乗り込んでいるように偽装され、着陸後にエンテベ国際空港の旧ターミナルに向かって運転された。なお、このメルセデス・ベンツ600はイスラエルの民間人が所有する車で、襲撃に使用するためアミン大統領の専用車と同じ黒に塗装された。

ランドローバーとメルセデス・ベンツ600は、エプロン上に立つウガンダ兵に気づかれないまま旧ターミナルに進んだものの、エプロン上にいたウガンダ兵が確認と敬礼のためにメルセデス・ベンツ600に近づいた時にイスラエル兵が発砲し、その際に複数のイスラエル兵が消音機が付いていない銃を使用したために他のウガンダ兵が襲撃に気付き、ここにイスラエル兵とウガンダ兵との戦闘が開始された。


次へ・・・。

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