"Yes, I just shot John Lennon" | hiroチャンのブログ

"Yes, I just shot John Lennon"


【ジョン・レノンの殺害】-2-




その数分後に現場に到着したのは、ビル・ギャンブル巡査(Bill Gamble)とジェームズ・モラン巡査(James Moran)のチームであった。彼らはジョンの負傷がひどいことを知り、救急車を待たずにジョンをパトカーの後部座席へ乗せてルーズヴェルト病院へ搬送することにした。モラン巡査が「あなたはジョン・レノンですか?」("Are you John Lennon?")と問いかけると、ジョンは頷いて「"Yes"」と答えたという。しかしこれとは別の報告によると、ジョンはわずかに頷きしゃべろうとしたが、喉からゴロゴロ音を出すことしかできず、そのあとすぐに意識を失ったという。
23時前にギャンブル巡査とモラン巡査がルーズヴェルト病院に到着したとき、救急救命室でジョンを迎えたのはステファン・リン博士(Dr. Stephan Lynn)であった。パトカーの後部座席からモラン巡査がジョンを背負って患者搬送用の台車付き担架の上に載せると、救急救命室へ搬送する途中、医師に複数の銃傷を受けた患者の処置を依頼した。

ジョンは到着時にはすでに脈拍がなく呼吸も止まっていた。リン博士と他の2人の医師、そして看護師1人が、15~20分かけてジョンを蘇生させるための処置を行った。リン博士は心拍を復活させるため、最終手段としてジョンの胸部を切開して、直接手で心臓をマッサージしようとしたが、心臓周辺の血管の損傷が大きすぎることを発見した 。

リン博士によれば、ジョンの死亡宣告時刻は23時15分ごろであったとされるが、時刻は23時7分であったとする報告もある。ジョンの遺体は 1番街520にある市の遺体安置所に運ばれ、そこで検視が行われた。死因は、胸部と大動脈弓を貫通している複数の銃傷のため、循環血液量の80%以上を失ったことにより引き起こされた「出血性ショック」と報告された。ジョンの検視を担当した病理学医はその報告書において、どんなに迅速に医療処置を施したとしても、このように多くの銃傷を負って数分以上生存することは、誰にとっても不可能であると述べた。

病院の外科医は、他の目撃者と同様、ジョンの死亡が宣告された時に院内放送でビートルズの楽曲「オール・マイ・ラヴィング」が流れていたと述べている。
ジョンの背中に当たった4発の銃弾のうち、3発は胸部から外に出てジョンの体を貫通しており、もう1発は心臓のそばの大動脈に当たって止まっていたため、合計で銃傷は7つとなり、そのほぼすべてが致命傷であった。

ジョンは4発のホローポイント弾(標的に当たると膨張し、標的の体内を通る際に組織をより大きく損傷させる)で撃たれていた。そして弾丸の作用が及んだジョンの器官、特に左の肺と心臓周辺のおもな血管が、衝撃によりほとんど破壊されていた。リン博士は「もしジョンが処置の準備が整った外科医のチームが待機している処置室の中で同じように撃たれたとしても、損傷から生還することはできなかっただろう」と述べている。

リン博士に夫の死を告げられたヨーコはすすり泣きながら、「Oh no, no, no, no ...」「うそだと言って」("tell me it's not true")と言った。博士は、ヨーコが倒れこんで床に頭を打ちつけ始めたが、看護師が彼女にジョンの結婚指輪を渡すと落ち着きを取り戻したと記憶している。ヨーコはショック状態のなか、ゲフィン・レコード の社長デヴィッド・ゲフィン(David Geffen)に付き添われてルーズヴェルト病院を後にした。

《マンデーナイトフットボール》
ヨーコは病院に対し、自宅にいる5歳の息子ショーンに自分で伝えるまで夫の死をメディアに伝えないよう依頼していた。ヨーコは、ショーンはおそらくテレビを見ており、父の死をテレビのアナウンスから知ってほしくないと言ったのである。
一方、その日の夕方ルーズヴェルト病院の救急室で、バイク運転中に事故に巻き込まれたWABC-TVの報道プロデューサー、アラン・J・ワイス(Alan J. Weiss)が治療を待っていた。ワイスは2013年のCNNのシリーズ番組「Crimes of the Century」で、複数の警官が取り囲むようにするなか、ジョンが台車つきの担架で救急救命室に運び込まれるところを見たと述べている。ワイスは何が起こったのかを知ると、放送局に電話で情報を伝えた。情報はやがて、ABCニュースの社長ルーン・アーリッジの命令系統にも伝わった。
ABCスポーツの社長でもあったアーリッジはその晩、「マンデーナイトフットボール」の総合プロデューサーを務めていた。アーリッジがジョンの死亡という情報を伝えられたときは、ニューイングランド・ペイトリオッツと マイアミ・ドルフィンズの試合が13点の同点で第4クォーター の後半を迎えたところで、ボールを得たペイトリオッツが決勝点を得ようと試みているところであった。アーリッジは、同番組の放送チームであるハワード・コーセルとフランク・ギフォードにジョン死亡の情報を伝え、テレビの視聴者に伝えることを提案した。

コーセルは1974年にジョンにインタビューしたことがあり、殺害のニュースを視聴者に伝えることに不安を感じたが、結局彼がニュースを伝えることになった。試合終了まで残すところ30秒からの2人のやりとりは以下のとおりである。
コーセル: ... しかし、(試合は)突然、我々にも展開が見えてきました。ここでやめましょう。彼らは攻撃を急いでいます。
ギフォード: サードダウン、フォースか。フォアマン (Chuck Foreman) です... やはりフォースダウンのようです。キャヴァノー (Matt Cavanaugh) が最後のトライのために走ります。彼はこれ以上マイアミに機会を与えないよう時間をやり過ごすのでしょう。(ホイッスルが鳴る)残り3秒でタイムアウトです。ジョン・スミス (John Smith) がライン上にいます。でも、何がライン上にいるかなんて気にしていられません。ハワード、放送席で我々が知ったことをあなたは伝えなければ。
コーセル: ええ、お伝えしなければなりません。誰が勝とうが誰が負けようが、これはただのフットボールの試合だということを忘れないでください。口にするのもはばかられるような悲劇がニューヨークのABCニュースから伝えられました。ビートルズのメンバーの中でも、おそらく最も有名なジョン・レノンが、ニューヨークウェストサイド・マンハッタンの集合住宅の外で背後から2発の銃撃を受け、ルーズヴェルト病院に急送されましたが、到着と同時に死亡が確認されたとのことです。こんなニュース速報の後に試合に戻るなんてことはとてもできません。たとえそれが我々の仕事だとしても、そうでしょうフランク?
ギフォード: (しばらくの間の後)まったく、そのとおりです。

《その他の報道》
銃撃を全国に伝えた最初のテレビ放送は、CNNの通常のニュース番組の中で、ジャーナリストのキャスリーン・サリヴァンが伝えたものだった。サリヴァンは、ジョンは銃撃されたが彼の状態はその速報の時点では不明である、と伝えた。NBC は、東海岸で放送されている「ジョニー・カーソンのトゥナイト・ショー」で、臨時速報としてジョンの死を伝えた。
ニューヨークのロック専門局WNEW-FM 102.7は直ちにすべての番組を中断し、専用ダイヤルを開設してリスナーからの電話を受けつけた。やがて全米の放送局は、番組内容をジョンやビートルズの音楽の特集に変更した。
翌日、ヨーコは声明を発表した。「ジョンの葬儀は行われません。ジョンは人類を愛し、人類のために祈りました。彼のために同じことをしてください。愛をこめてヨーコ、ショーン」("There is no funeral for John. John loved and prayed for the human race. Please do the same for him. Love, Yoko and Sean.")と述べた。




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