Birdman of Alcatraz -3- | hiroチャンのブログ

Birdman of Alcatraz -3-

Birdman of Alcatraz -3-
《死》
1963年11月21日、ストラウドは連邦刑務所収容者医療センターにて73歳で生涯を終えた。
生涯のうち54年間ずっと刑務所に収監され、そのうちの42年間は隔離収監されていた。
晩年にはフランス語を勉強していた。ストラウドはイリノイ州メトロポリスの近くのメーソニック共同墓地で埋葬された。

ストラウドはしばしば自分の死は世界中で大きなニュースとなると断言したが、それは現実にはならなかった。
1963年11月21日はジョン・F・ケネディ大統領暗殺の前日であり、ストラウドの死についての告知は少数の新聞の裏ページに掲載されただけだった。

《評価》
ストラウドはアメリカ史上最も有名な犯罪者の1人と考えられている。
ロバート・ニーミ (英: Robert Niemi) は、ストラウドには優れた知性があり、鳥類学者や著述家として一級の人物になったが、極めて危険で驚異的な精神病質の人物でもあり、看守や仲間の受刑者からは嫌われ、信用されなかったと述べた。しかし、晩年には以前より好意的に見られており、ベッカー (英: Becker) 判事は、ストラウドは慎み深い性格で、もはや社会への危険が無く、鳥類への真の愛情を抱いている人物と考えていた。

ストラウドは知名度の割に犯行については注目されなかったが、特にその理由となったのは、ストラウドの犯行に明確な原因が存在したためである。カール・シファキスは、ストラウドは独学で鳥類の専門家となった異彩を放つ人物であり、アメリカの刑務所での自己修養と社会復帰の例として最も有名なものかもしれないと評している。

ストラウドは鳥類学の分野で貢献したため、鳥類飼育者や養鶏業者の間で数千人もの支持者が現れた。
支持者たちはストラウドの釈放を望み、"Committee to Release Robert F. Stroud" (直訳すると「ロバート・F・ストラウドの釈放を望む委員会」) は長年ストラウドを刑務所から釈放するための運動を起こした。
しかし、ストラウドは国家公務員を殺害していたため、隔離収監の刑罰が取り止めになることはなかった。

1963年、カリフォルニア州でジョン・F・ケネディ支持の運動を行っていた若き弁護士のリチャード・M・イングリッシュは、ストラウドを釈放させようと行動を始めた。
イングリッシュはハリー・S・トルーマン元大統領と面会して援助を求めたが、トルーマンは断った。

イングリッシュはケネディ政権の高官たちとも面会した。イングリッシュはストラウドの最後の写真を持っていった。写真のストラウドは緑色のバイザーを身につけていた。刑務所長は未露光のフィルムを刑務所に持ち込んだことでイングリッシュを起訴しようとした。これにより、高官たちはストラウドのために行動を起こすのを拒絶した。

ストラウドの死からまもなく、原稿を含むストラウドの私物は最後の法定代理人であるイングリッシュの元へ届けられた。
後にイングリッシュはその一部を全米オーデュボン協会に譲渡した。

《ストラウドの墓》
ストラウドはトーマス・E・ガディス (英: Thomas E. Gaddis) の1955年の書籍Birdman of Alcatrazの題材となった。
ガディスは刑務所での犯受刑者の更生を熱心に支持しており、ストラウドを好意的に描いた。
この書籍はガイ・トロスパー (英: Guy Trosper) により1962年の映画『終身犯』に翻案された。監督はジョン・フランケンハイマーが務めた。バート・ランカスターがストラウド役で出演し、架空の刑務所長をカール・マルデンが、ストラウドの母親をセルマ・リッターが演じた。しかし、アルカトラズ刑務所の元受刑者たちは、本物のストラウドは書籍や映画で描かれたストラウドよりももっと陰険で、危険で、不快な人物だったと述べた。そのうちの1人は、ストラウドは残酷な殺人者だったのであり、ストラウド役のランカスターは自分たち全員に謝罪すべきだと思うと語った。

アート・カーニーも1980年のテレビ映画Alcatraz: The Whole Shocking Storyでストラウドを演じた。同じくデニス・ファリーナも1987年のテレビ映画Six Against the Rockでストラウドを演じた。

音楽の分野では、1977年の犯罪についてのコンセプト・アルバム『罪なる舞踏』で「アルカトラズ刑務所のバードマン」というインストゥルメンタルの題材となった。

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