96分間の恐怖 - University of Texas tower shooting - | hiroチャンのブログ

96分間の恐怖 - University of Texas tower shooting -


【テキサスタワー乱射事件】
(英: University of Texas tower shooting)とは、1966年8月1日にアメリカ合衆国のテキサス大学オースティン校の時計塔から、多数の通行人が無差別に銃撃された銃乱射事件である。



 テキサス州オースティン市、8月1日11時ごろ。犯人チャールズ・ホイットマン(Charles Whitman)25歳は、テキサス大学の中心にそびえるテキサス大学オースティン校本館時計塔、28階建て93mの高さを誇る時計台『テキサスタワー』に、様々なものが詰まった重い数個のバッグを台車で運んでいた。




バッグの中身はレオポルド社製4倍率スコープ付きレミントンM700ボルトアクションライフル、30口径のユニバーサルM1カービン、12ゲージのシアーズ・モデル60半自動散弾銃、35口径のポンプアクションライフル、ルガーP08、ガレシ・ブレシア、S&W M19リボルバー、散弾銃 (銃身と銃床を切り落としたもの)、700個を超える弾薬を入れた。他にも、籠城と空腹に備えて、食料(パック詰めの食物やサンドイッチ、菓子類、コーヒーの入った水筒)、ビタミン剤、デキセドリン (興奮剤)、エキセドリン (鎮痛剤)、耳栓、水差し、マッチ、ライターの燃料、ロープ、双眼鏡、鉈、ナイフ3本、トランジスタラジオ、トイレットペーパー、剃刀、防臭剤も詰め込んだ。



同校で建築学を学んでいた彼は疑われることもなく校内に入り11時半にはエレベーターでタワーの受付に着いた。

不運な受付嬢をライフルの銃床で撲殺した後、展望台にいた民間人を追い出してバリケードを構築したホイットマンは最上階に登ってきた観光客の家族に散弾銃の銃撃を加えて2人をまず血祭りに上げ、最上階の展望台に陣取り、正午の時報が鳴る直前11時48分、眼下の何も知らぬ通行人を手当たり次第に撃ち始めた。



事件の一報を受けたオースティン警察が出動するも、90mもの高さを利用した射撃に歯が立たず、海兵隊出身のホイットマンの射撃は恐ろしく正確で、しかも冷酷だった。妊婦は腹部を銃撃され、胎児の頭が撃ち抜かれた。その女性を助けようと駆け寄った青年までが撃たれて即死。400m先の本屋で立ち読みしていた学生が撃たれ、500m離れた柱の陰に隠れていた警官も射殺される。わずか96分間の間に、14人が死亡、30人が負傷する大惨事となった(胎児を含む11人の通行人と、展望台の観光客2人、受付嬢、妻と母親の計16人死亡とする資料もある)。






 警官隊は狙撃手を乗せた軽飛行機で時計台に接近、塔の上部にはホイットマン一人しかいないことを確認するも、直後にカービン銃の銃撃で撃退されてしまう。警官隊は排水路を通って地下から接近する作戦を立案。散弾銃と拳銃で武装した2人の警官が一人の民間人(案内が必要だった)と共にタワーへの潜入に成功。射撃を続けていたホイットマンを急襲し、6発の拳銃弾と散弾銃の1発を浴びせてホイットマンを射殺、ようやく惨劇に終止符を打った。




“場所:アメリカ合衆国テキサス州テキサス大学オースティン校
日付:1966年8月1日
標的:民間人
攻撃:手段狙撃
武器狙撃:ライフル銃等の銃器
死亡者:15名
負傷者:31名
犯人:チャールズ・ジョセフ・ホイットマン
動機:不明
対処:オースティン警察が犯人を射殺”

犯人であるチャールズ・ジョセフ・ホイットマン(Charles Joseph Whitman)は1941年6月24日生まれ。裕福な中流上層家庭で何不自由なく育った。成績優秀でスポーツ万能、音楽の才能を示すなど、恵まれた少年時代を過ごしている。その一方、厳格な父親からは体罰を含む厳しいしつけを受け、父との関係は悪かった。ボーイスカウトとして活動していた12歳のときには、当時世界最年少のイーグルスカウトに昇進したこともあった。

 アメリカ海兵隊で一級射手の資格を取ったのち除隊。事件当時は犯行の舞台となったテキサス大学で建築学を学ぶ大学院生であった。性格は穏やかで快活。冗談がうまく、子供好きで、誰にでも愛想が良く、「模範的なアメリカの好青年」であったといわれている。

 1966年、両親が離婚したころから発作的な暴力衝動や激しい頭痛に悩まされるようになり、カウンセリングを受けている。事件に先立ち「悲しませたくないから」という理由で妻と母を殺害、死後に自分を解剖をするよう希望する遺書を遺している。また、この遺書には、父親に対する憎悪の念が生々しく記されていた。他に、父親と弟に宛てた遺書も残されているが、父親宛ての遺書は現在も公表されていない。事件後、実際に解剖が行われ、脳の視床下部の部分からくるみ大の腫瘍が発見された。この腫瘍が脳の扁桃核を圧迫し、暴力衝動を誘発していたとも考えられたが、事件へどの程度影響したかや、事件の詳しい動機などはよくわかっていない。

まず、銃器類。
レミントン製ボルトアクション・ライフル、レミントン製ポンプアクション・ライフル、30口径カービン、12口径ショットガン(銃身を切り詰めたのはトランクに収容するため)、ルガーP08、ガレシ・ブレシア(イタリア製の拳銃)、スミス&ウェッソン製マグナム・リボルバー、加えて様々な銃弾およそ700発。

次に、籠城に備えた生活必需品。
缶詰(ミートラビオリ、スパム、ウィンナー、パイナップル、フルーツサラダ、ダイエットミルク等)、瓶入り蜂蜜、レーズン、サンドイッチ、コーヒーの入ったポット、水筒、ビタミン剤、デキセドリン(中枢神経刺激剤)、エキセドリン(鎮痛剤)、耳栓、ガソリン入りのポリ容器、ライター・オイル、マッチ、飯盒、ロープ、双眼鏡、トランジスタ・ラジオ、トイレット・ペーパー、ジレット製剃刀、防臭スプレー、鉈、斧、ハンティング・ナイフ3本・・・。

この事件がアメリカ社会に与えた衝撃は大きかった。例によって銃規制の強化策は実らなかったものの、前年8月に発生したワッツ暴動とこれを契機に武装犯・凶悪犯に対抗するため、LAPD(ロサンゼルス市警察)をはじめ全米の警察機構でSWATが組織されることとなった。

また、1975年に再現ドラマ『パニック・イン・テキサスタワー(原題;The Deadly Tower)』が制作された。アメリカのテレビ映画でアメリカ合衆国では1975年10月18日に放送された。 1966年にテキサス大学で起きたテキサスタワー乱射事件を題材としており、日本では劇場未公開。

監督:ジェリー・ジェームソン。出演者:カート・ラッセル。














ほか、1976年公開の『パニック・イン・スタジアム(原題;TWO-MINUTE WARNING)』など、この事件にインスパイアを受けたメディア作品も数多い。


映画『フルメタル・ジャケット』において、海兵隊の教練指導官ハートマン軍曹(R・リー・アーメイ)が「チャールズ・ホイットマンは500ヤードの距離で柱の陰の男(地元警察の警官)を撃ち抜いた。あいつはどこで射撃を習った? もちろん海兵隊だ!」と、リー・ハーヴェイ・オズワルドの事柄と共に言及している。


コミック『ブラック・ラグーン (単行本2巻)』などでも、セリフの端にホイットマンの名が上っている。


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