I'll be back | hiroチャンのブログ

I'll be back


【アーノルド・シュワルツェネッガー】
Arnold Schwarzenegger



本名:アーノルド・アロイス・シュワルツェネッガー
Arnold Alois Schwarzenegger
生年月日:1947年7月30日
出生地:オーストリア・シュタイアーマルク州
国籍:アメリカ合衆国
オーストリア
民族:オーストリア系アメリカ人
身長:185cm
ジャンル:ボディビルダー・映画俳優・政治家・実業家
配偶者:Maria Shriver(1986-2011)
著名な家族:キャサリン・シュワルツェネッガー(1989年生)
クリスティーナ・シュワルツェネッガー(1991年生)
パトリック・シュワルツェネッガー(1993年生)
クリストファー・シュワルツェネッガー(1997年生)
ジョセフ・バイーナ(1997年生)

2003年8月にカリフォルニア州知事のグレイ・デイヴィスがリコールされたことを受け知事選へ出馬し、10月7日にカリフォルニア州知事に選出される。

ボディビルダー時代には「オーストリアン・オーク」の愛称を持ち、最近はその出演作から「ガバナーター」または「ガバネーター」(The Governator=知事(Governor)とターミネーター(Terminator)の合成語)、「コナン・ザ・リパブリカン(共和党員コナン)」(主演作『コナン・ザ・グレート』の原題『コナン・ザ・バーバリアン(野蛮人コナン)』から)などと呼ばれている。青年時代は成功したボディビルダーとして、その後はハリウッド時代の経歴から、世界中に名を知られるようになった。






共和党に所属するが、環境問題に積極的で、同性婚には反対しつつ、同性愛者の人権保障やドメスティック・パートナーシップは支持するなど、政治的には中道的な立場をとっている。

家族

1986年にはケネディ元大統領の姪でCBSのテレビ・ジャーナリスト、マリア・シュライヴァーと10年越しの交際の末 結婚した。2人の間には4人の子供がいる。2011年5月10日に別居を発表。その後に離婚が本人により発表された。理由は20年間シュワルツェネッガー家のメイドであったグアテマラ出身のメイドとシュワルツェネッガーの浮気と、隠し子の存在があることも本人により発表され、「家族らの怒りと落胆は当然で、言い訳できない」と謝罪もしている。

2021年12月28日、ロサンゼルスの裁判所が2人の離婚手続きを承認し、離婚が成立した

隠し子とされるジョセフ・バイーナは2016年に『ターミネーター2』の1シーンを再現した短編を自主制作しており、ターミネーター役を演じている。


趣味
軍用車両ハマーを初めて自家用車にした一人としても知られる(ハマーはもともとシュワルツェネッガーの要望により、軍用車両のハンヴィーを民生仕様にしたもの)。
オートバイの愛好家でもあり、近年は電気オートバイのようなZEV(ゼロエミッション・ヴィークル)を愛用している。カリフォルニア州の環境政策プロモーションで、電気オートバイの普及も積極的に行っており、購入金額から1500ドル分を州が補助する助成金制度なども進めていた。

兵役義務の頃に戦車兵だった経験からM47パットン戦車を購入している。

《生い立ち》
オーストリア・シュタイアーマルク州タール・バイ・グラーツ出身。警官のグスタフ・シュヴァルツェネッガー(1907 - 1972)と、アウレーリア・ヤドルニー(1922 - 1998)の間に生まれた。父グスタフはナチス党員。戦中は陸軍の憲兵隊員だったが、アーノルドが生まれる3年前に除隊している。グスタフはカーリング競技のチャンピオンであったためアーノルドもスポーツに強い関心をもち、サッカー、陸上競技、ボクシング、水泳などを習う。1962年にウエイトトレーニングを始める。
その後、母国オーストリアの徴兵でオーストリア陸軍第四戦車大隊に配属され、史上最年少記録の18歳で戦車兵として任務に就いていた。
1968年に本格的にボディビルをするためジョー・ウイダーに誘われ渡米、アメリカ合衆国に移り住む。英語が流暢でなく、当時の所持金はわずか20ドルであった。1983年にアメリカ国籍を取得したが、オーストリアの国籍も継続して持っている。1979年にウィスコンシン大学から国際市場と経営管理に関してB.A.(Bachelor of Arts)を得た。朝にトレーニングをしてから大学に行き、帰宅したらトレーニングをする日課があり、勉強とトレーニングを両立させる毎日を過ごしていたとのこと。

全米ボディビルダーで優勝を飾った後、専門のボディビルダーとして大衆から飽きられることに危機感を持った彼は、俳優への転身を図る。その体格を見込まれ、『SF超人ヘラクレス』(1970年)のヘラクレス役としてデビュー(この作品ではアーノルド・ストロングとクレジットされている)。
1977年にドキュメンタリー『鋼鉄の男』に出演する。彼はこの映画を政治家への障害と見なし、1991年に映画の権利、未使用フィルム、スチル写真を購入した。

1982年にジョン・ミリアス監督のヒロイックファンタジー映画『コナン・ザ・グレート』に出演し、1984年のジェームズ・キャメロン監督によるSF映画『ターミネーター』では、同作の悪役アンドロイド「ターミネーター」として観客に強烈な印象を与え、アクション映画俳優として確固たる地位を築き上げる。






『プレデター』(1987)にはミネソタ州知事ジェシー・ベンチュラとケンタッキー州知事選に出馬経験のあるソニー・ランダムが出演している。
アクション映画以外にも、名優ダニー・デビートとの競演によるコメディー『ツインズ』(1988)に出演、役柄を広げた。
1990年の『トータル・リコール』は当時における史上最高額の制作費が投入された映画であり、その多くは特殊効果を含む美術面と、この時点で1000万ドルを突破した彼の出演料に費やされた。出世作である『ターミネーター』の続編『ターミネーター2』(1991)では、役柄が悪役からヒーローへと変わった。1作目とは全てが大きく異なる環境の中で拡大上映された結果、本作は全世界での興行収入が5億6千万ドルを超え、トップスターとしての地位を不動のものにした。
しかし、1993年に制作と主演をした『ラスト・アクション・ヒーロー』が公開されたが、大コケ。
1997年には『バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲』に出演したが、国内の興行収入は芳しくなく、評判も芳しくなかった。
また、同年に大動脈弁弁膜症のため心臓手術をし、そのため一年以上休業した。心臓の弁は豚の物を使用しているという。
1999年に公開されたエンドオブデイズで俳優復帰。
2004年『80デイズ』へのカメオ出演を最後に、カリフォルニア州知事選などの政治業を主に行うため俳優業を暫くの間休業することになった。そのため、『ターミネーター4』(2009)には若き日のシュワルツェネッガーの顔をローランド・キッキンガーの体にCG合成している。
2011年より州知事の任期終了に伴い俳優業に本格的に復帰している。しかし、復帰作のラストスタンドはこれまでの主演作の中では最低の興行収入を記録するなど大コケした。その後の主演作も不発続きであり、『ターミネーター:新起動/ジェニシス』もアメリカでは9000万ドルを下回る興行収入で3・4以下の結果になるなど大コケし、批評家からは酷評された。当初は三部作の予定であったが続編の制作は無期限の延期が報道された。

憧れの俳優として、クリント・イーストウッド、ジョン・ウェイン、カーク・ダグラスを挙げている。特にイーストウッドは『荒野の用心棒』の頃からのファンであり、ダーティハリーシリーズに感銘を受けたことでアクション映画を志すようになったという。また『ターミネーター2』におけるショットガンのアクションはジョンウェインのオマージュである。
『ターミネーター』における台詞「I'll be back」(また戻ってくる)もしくは「I'm back」(戻ったぞ)は、以後の出演作品の台詞でも、しばしばカメオ的に使われた事から、世界的に有名になっており、来日した際や日本のみならず、海外のマスメディアのインタビューの際にも、必ずこの台詞を発している。ターミネーターシリーズ以外で、この台詞が使用されたのは『コマンドー』『ゴリラ』『バトルランナー』『ツインズ』『キンダガートン・コップ』『ラスト・アクション・ヒーロー』『シックス・デイ』『エクスペンダブルズ2』など。

つづく・・・