霜を履んで堅氷至る | hiroチャンのブログ

霜を履んで堅氷至る

《霜を履(ふ)んで堅氷(けんぴよう)至る》

霜がおりる時期になれば、やがて厚い氷が張る寒い冬がやっておくる。少しでも災いの兆候が現れれば、やがて大きな災難がやってくる。





【三豊百貨店崩壊事故】

場所:韓国 ソウル特別市 瑞草区
日付:1995年6月29日
17:57
概要:営業中の百貨店が崩壊
原因:安全性を無視した設計変更。杜撰な建設施工。崩壊予兆の軽視と営業の継続。
死亡者:502名
負傷者:937名
容疑者:百貨店幹部3人、瑞草区長

賠償:約4000億ウォン 




三豊百貨店は、大韓民国のソウル特別市瑞草区にかつてあった百貨店。

1989年に開店したが、6年後の1995年6月29日17時57分、営業中に突然5階建ての建物の両端の一部を残し、跡形もなく崩壊していった。 




2013年にバングラデシュのダッカ近郊ビル崩落事故が発生する前まで死者502名・負傷者937名・行方不明者6名という世界的にも例のない大惨事を起こした。その後現場はしばらく空き地のままだったが、現在は高級マンション「アクロビスタ」が建てられている。


当初この建物は、経営母体の三豊建設産業によって地上4階・地下4階建てのオフィスビルとする予定で起工したが、建設途中で三豊側が5階建てのデパートにすることに決定。施工者の宇成建設に変更を要求したものの、宇成建設が設計変更を行うのは危険だとして拒否。このため基礎工事が終わった段階で、三豊建設産業が直接施工することになった。


売り場に防火シャッターを設置するため、ビル中央部の柱の一部(4分の1)を撤去。また中央部にエスカレーターを設置し吹き抜け構造とする際に、本来なら柱を補強すべきところを見た目を重視したあまり、逆に4分の3ほどの細さに削減、鉄筋の数も削減。その結果、ビル自体が構造的に弱くなってしまった。加えて先述の通り、当初計画より階数を1フロア増やしたため、その階の建設に使用されたコンクリートだけで3000トンもの重量増となったばかりか、80トンの給水タンクが屋上に設置されたことで、当初計画通りの柱ですら過負荷となるほどの大きな負荷がかかるようになっていた。


さらに以下の点が原因として挙げられる。

鉄筋の代わりに石油缶を詰めていた(ただし、ナショナルジオグラフィックチャンネル『衝撃の瞬間』では、この点に関して言及されていない)。


本来、梁を使用すべきところを、荷重制限のある柱で建物を支える建築工法(フラットスラブ構造)を取った。
前述の柱の細さに加えて、床の鉄筋の位置も正しくなかった。
当初の計画では最上階の5階は(建築基準を満たすよう)ローラースケート場になる予定であったが、完成直前に経営陣の方針により(建築認可を得た後、不正に)レストラン街へ変更されていた。
5階のレストランは床に座る方式であり、床暖房に用いるパイプを通すため、床部分のコンクリートの使用量が増加した。

1993年に屋上で87トンの大型冷房装置にローラーをつけ牽引して移動させたため、屋上や5階の柱周辺に負荷がかかってひびが入り、強度が低下した。


事故発生前年の1994年には当局に無断で地下に売り場を増設する工事を行い、これがさらに建物の強度を弱めた。


また、前日に5階の従業員が天井(屋上)のひび割れに気づいており、崩壊当日の朝にはひび割れが大きくなっていたため、すぐに上司に報告した。しかし、事故当日午前9時に経営陣が集まり緊急会議を開いたものの、通常通り営業を開始し、さらに午後3時、社長が呼んだ建築士が到着して調査したが、「閉店後に補修すれば問題ない」と過小報告していたため、一部の反対意見を押し切って営業は継続された。この時点で避難行動をとっていれば少なくともこれほどの被害者を出すには至らなかったはずで、経営陣の判断ミスが被害を大きくした。


このように崩壊は人災の面が大きく、建築会社だけでなく経営陣の責任も追及され、同百貨店の会長と社長ら幹部3人が業務上過失致死傷容疑で逮捕された。会長は懲役10年6ヶ月の刑を受け、全財産を没収された(2003年10月に病死)。さらに当時の区長が三豊百貨店の3度にわたる設計変更と仮使用許可を承認した見返りとして、三豊百貨店側から1300万ウォン(約150万円)の賄賂を受け取ったとして、収賄容疑で逮捕されている。


なお、当初の調査では原因として地震・ガス爆発・北朝鮮によるテロなど、さまざまな説が推定されていた。

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