駅長と呼ばれた猫 | hiroチャンのブログ

駅長と呼ばれた猫


【たま (猫の駅長)】
たま(1999年〈平成11年〉4月29日 - 2015年〈平成27年〉6月22日)は、和歌山県紀の川市の和歌山電鐵貴志川線貴志駅において駅長を務めた雌の三毛猫。同駅名誉永久駅長。





別名:愛称 初代たま駅長
生物:猫
生誕:1999年(平成11年)4月29日・日本 和歌山県那賀郡貴志川町(現・紀の川市)
死没:2015年(平成27年)6月22日・日本 和歌山県岩出市
国籍:日本
職業:貴志川線総駅長、和歌山電鐵社長代理、客招き
所属:和歌山電鐵
著名な要素:正式任命された初の猫駅長。
肩書き:スーパー駅長→ウルトラ駅長
和歌山電鐵社長代理
和歌山県勲功爵
和歌山県観光招き大明神 ほか
飼い主:貴志駅の売店「小山商店」
親:永久助役ミーコ(母)
体重:約4,800g(4.8kg)
外見:三毛
名の由来:猫らしい名前をというところから。





2007年1月5日に和歌山電鐵から正式に駅長に任命されたことで話題を呼んだ。その主な業務は「客招き」であり、貴志駅の集客のみならず、日本に平成の猫ブーム「ネコノミクス」を招聘したとされる。任期はなく終身雇用であり、報酬は年俸としてのキャットフード1年分であった。
乗客数の増加・観光へのアピールへの功績から、同社からは「スーパー駅長」(後に「ウルトラ駅長」に昇進)・「和歌山電鐵社長代理」の肩書きを、和歌山県からは「和歌山県勲功爵(わかやま で ナイト)」「和歌山県観光招き大明神」などの称号を与えられている。たまの登場が火付け役となり、空前の猫ブームが招来。「ネコノミクス」なる新造語も生まれた。

たまは同駅の売店である小山商店の飼い猫である。同居する雌猫のちび(2000年〈平成12年〉5月12日 - )と、たまの母親であるミーコ(1998年〈平成10年〉10月3日 - 2009年〈平成21年〉7月20日)も助役に就任した。このうちミーコは死んだ後の7月26日に「永久助役」とされた。

たまの母猫であるミーコは元々、南海電気鉄道時代の貴志駅舎南側にあった倉庫内の作業員詰め所で飼われていた。一駅隣の甘露寺前駅で生まれたという。やがてミーコは貴志駅で4匹の子猫を出産し、そのうちの1匹が三毛であった。兄弟達のうち1匹は死んでしまい、他の2匹は新しい飼い主に貰われていったが、一番性格のおっとりしたおとなしい三毛の子は「たま」と名付けられて、ミーコと一緒に小山商店で飼われるようになった。ちびは生後間もない頃に駅前に捨てられていたのを拾われ、たまが母親代わりとなって育てていた。
たま達は売店と倉庫の間に作られた猫小屋で飼われるようになり、昼間は売店の前で過ごすようになった。近所の人たちや駅の利用客にかわいがられるいわば「駅のアイドル」であった。また、たまは「必要以上に耳を掻く仕草をすると、次の日の降水確率は90%以上」という天気予報の特技があった。

2003年、貴志川線を運営していた南海電鉄が赤字解消が困難なことを理由に路線廃止を表明したが、岡山県を中心に公共交通事業を行っている両備グループが経営を引き継ぐこととなり、同グループの岡山電気軌道の子会社として「和歌山電鐵」が設立された。
この経営移管に際して、路線や駅の敷地は南海の社有地から貴志川町(現在の紀の川市)の公有地となり、倉庫は取り壊して駐輪場に、倉庫と駅舎の間はホームへの公道として整備されることになったため、そこに置かれていたたま達の猫小屋は立ち退きを迫られることとなった。困った飼い主が2006年4月1日に和歌山電鐵の開業記念式典を終えた後の小嶋光信社長(両備グループ代表と兼務)に「猫たちを駅の中に住まわせてもらえないか」と相談した。小嶋自身は自宅では長い間紀州犬を飼っていたこともあって猫よりもむしろ犬好きであったが、このとき「たまちゃんと目があった瞬間、ピカッとたまちゃんの駅長姿が頭にひらめきました」「実に立派で、キラキラしていました。今の日本人にもない目だと」「神様から使わされた鉄道の救世主」と、たまにほれ込んだ小嶋の発案によって、「招き猫」になって欲しいとの願いを込めて、それ以前から駅の利用者に親しまれていたたま達を駅長などに任命することになった。これは和歌山電鐵移管後に合理化のために貴志駅を無人駅化したことも背景にある。猫に駅長を嘱託した例は日本の民営鉄道では初である。
さらに2014年1月5日には、たまは「ウルトラ駅長」に昇進、全ての駅長を統括する職となった。



2009年7月20日、ミーコ助役は体調を崩して亡くなった。初七日が明けた7月26日に「永久助役」となった。四十九日が明けた同年9月6日に両備グループのホームページにて公表された。
当駅の乗降客数はたま駅長就任まで1日あたり約700人だったのが就任直後の2007年1月には約17%増加するなど、「たま駅長効果」は具体的数値となっても現れている。2007年のゴールデンウィーク期間中には「いちご電車」とたま駅長の効果もあってか、同社では前年同期比40%増の収入を記録した。関西大学大学院の宮本勝浩教授は、2007年1月の就任以来の1年間でたま駅長による和歌山県への観光客増加などによる経済波及効果が11億円に達したとする研究結果を発表した。
日本国外からの観光客も訪れたりCNNを初めとした日本国外のメディアでも取り上げられるなど、海外でも話題を呼んでいる。
2013年1月5日、駅長就任6周年記念式典で、和歌山電鉄ナンバー2の社長代理に出世した。
2015年5月19日から鼻炎のため入院していたが、復帰することなく同年6月22日に急性心不全のために遠い旅に出た。
同月28日に和歌山電鐵主催の神道形式による社葬が貴志駅構内で営まれ、社長の小嶋光信が弔辞を捧げ、たまに「名誉永久駅長」の称号を追贈した。

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