Токарев  | hiroチャンのブログ

Токарев 


【フョードル・トカレフ】

フョードル・ヴァシーリエヴィチ・トーカリェフ

Фёдор Васильевич Токарев /英語:Fedor Vasilievich Tokarev 




1871年6月14日(ユリウス暦6月2日)-1968年6月7日
生誕:ロシア帝国 ドン軍県
エゴルリークスカヤ
死没:ソビエト連邦 モスクワ
最終階級:ソビエト最高会議武器委員
ロシアの銃器設計者。
祖国大戦争(第二次世界大戦)などで使用された、トカレフTT-33半自動式拳銃およびトカレフSVT-40自動装填式ライフル銃を設計。多くの丁数が製造された。その後武器に対する貢献が認められ社会主義労働英雄賞を授与された。





1888年-ドン軍県ノヴォチェルカスクにある軍職業訓練学校に入学。
1892年-コサック下士官として卒業。兵器製造者技術工として第12連隊に配属される。
1896年-熟練の兵器製造者教官としてノヴォチェルカスクに戻る。軍技術学校に入学。
1900年-コサック士官として卒業。マスターガンスミスの称号を得て第12連隊に復帰。
1910年-ボルトアクション方式であるモシナガン1891型をセミオート型に転換し公式テストを行なう。
1933年-開発に携わったTT-33拳銃が軍の制式拳銃に選ばれ、以降ソ連軍の主力拳銃として広く使用される。
1940年-開発に携わったSVT-40半自動小銃が軍に制式採用される。ただし従来のモシン・ナガンM1891/30を代替するには至らなかった。
1968年-ソビエト連邦首都モスクワにて97歳の誕生日を目前に死去。


【トカレフ TT-33】
種類:軍用自動拳銃
製造国:ソビエト連邦
設計・製造 設計:フョードル・トカレフ
製造:トゥーラ造兵廠
口径:7.62mm
銃身長:115mm
ライフリング:4条右回り
使用弾薬:7.62x25mmトカレフ弾
装弾数:8発
作動方式:シングルアクション
ショートリコイル
全長:196mm
重量:854g(弾倉有)
815g:(弾倉無)
銃口初速:420m/s
有効射程:50m

トカレフ TT-33(英:Tokarev TT-33、露:Токарев ТТ-33)は、ソ連陸軍が1933年に正式採用した軍用自動拳銃である。
正式名称を「トゥルスキー・トカレヴァ1930/33」Тульский-Токарева 1930/33(トゥーラ造兵廠・トカレフ 1930年/33年式)と呼び、略してTT-30/33とも呼ばれるが、一般には設計者フョードル・トカレフにちなみ、単に「トカレフ」の名で知られている。
本来必須な筈の安全装置すら省略した徹底単純化設計で、生産性向上と撃発能力確保に徹した拳銃であり、過酷な環境でも耐久性が高く、かつ弾丸の貫通力に優れる。第二次世界大戦中-1950年代のソ連軍制式拳銃として広く用いられた。
1950年代以降、ソ連本国では後継モデルのマカロフ PMに置き換えられて過去の銃となったが、その後も中国を始めとする共産圏諸国でライセンス生産・コピー生産が行われた。中国製トカレフは1980年代以降日本にも多数が密輸入され、暴力団などの発砲事件にしばしば使われた。

ソ連国営トゥーラ造兵廠の銃器設計者フョードル・バシーレヴィチ・トカレフが、1929年に開発した「TT-1930」が原型で、トカレフはその生涯に多数の銃器類を設計しており、自動小銃開発にも早くから取り組んだことで著名な人物である。
1928年から軍用自動拳銃開発のトライアルを開始。
F・V・トカレフは、帝政ロシア時代からの長いキャリアを持つ銃器設計者であった。1929年に自ら設計した自動拳銃を提出し、テストの結果トカレフの自動拳銃は、外国製拳銃やブリルツキー、コロビンなどソ連国内のライバル拳銃を下し、1930年に「TT-1930」の制式名称で採用され、1935年まで生産される。
トカレフの設計した拳銃は、アメリカのコルト M1911(コルト・ガバメント)のメカニズムを多く取り入れながら、極限まで単純化を図ったものである。ハンマーからシア、ディスコネクタに至る最重要な機関部がアッセンブリー化されているなど、生産性を高め、工具無しでもたやすく分解できるようにするための工夫がなされている。

薬莢は、ライフル弾同様にくびれた「ボトルネック形」で、生産性はやや悪い。開発当時、ソ連国内ではドイツ製の大型自動拳銃モーゼルC96が威力の強さを買われて多数使用されており、TT-33はこれに用いられる7.62x25mm弾(.30モーゼル・ピストル弾)を7.62x25mm弾として流用した。 第二次世界大戦後、この銃弾を使用する拳銃の元祖であるモーゼルC96の生産は終了し、7.62x25mm規格の拳銃弾はもっぱらトカレフ向けとして「7.62mmトカレフ弾」と呼ばれる事が多くなったが、名称が変わっただけなので.30モーゼル・ピストル弾と7.62mmトカレフ弾は兼用することができる。
共産圏で多く出回った7.62x25mm弾薬の中には、高価な鉛が占める割合を減らす目的で鉄製の弾芯を用い、その外側にライフリング保護用の鉛、更にその外側に銅コートを施したものがあり、この構造が結果的に貫徹弾に似た効果を発揮する事があった。 1980年代以降中国製トカレフが日本国内に出回り犯罪に使われた際も、ほとんどがこの鉄製弾芯であり、「トカレフは貫通力が高い」というイメージが広まり、治安当局や防弾装備品メーカーは対策強化を強いられた。
貫通力が高いのはあくまで弾芯の材質によるもので、9x19mm弾薬でも、貫徹弾を使用すれば、ケブラー繊維の防弾チョッキや鉄板を打ち抜く能力があり、トカレフが特別に貫通力に優れる弾薬を扱えるという訳では無い。

トカレフ拳銃最大の特徴は、暴発を防止する安全装置が省略されていることである。
多くの自動拳銃は通常、手動式の安全装置操作レバーを備える。手動安全装置を省略した事例も少なからず存在するが、それらは黎明期の試行的な製品を除けば、多くは撃発機構にダブルアクション機構を備え、一種の自動安全装置としての働きを持たせている。
トカレフ拳銃はそれらと異なり、安全装置が無ければ暴発リスクを伴う「シングルアクション方式の自動拳銃」でありながら、安全装置に類する装備の一切を省いていた。
TT-1930のベースになったコルト・ガバメントは、銃の側面にスイッチ状の「手動セーフティレバー」を、また、グリップ後面にはグリップを握っている時だけ発射を可能とする「グリップ・セーフティ」をそれぞれ装備し、開発当時としては相応の安全を期した。また、コルトの設計をコピーした欧米の多くの銃器メーカーは、構造が複雑になるグリップ・セーフティは省略しても、手動セーフティは必ず装備した。民生用として市販するには安全上必須であったからである。
しかし、トカレフは敢えて手動セーフティの省略にまで踏み切った。構造が単純になるので生産性が高まるメリットのほか、酷寒の季節に部品凍結などで発射不能になるリスクを少しでも減らす策でもあった。軍専用であることを前提としており、民生用としての安全性確保を考慮する必要がなかったことによる。ソ連陸軍も、このような簡略構造を許容していた。

TT-1930/33は、洗練とはほど遠い武骨な銃であったが、1941年からの独ソ戦では意図した能力を発揮した。
ロシアの冬は、極度の酷寒な気候となり、兵器も凍結によってしばしば作動しなくなる。また、部品折損も多発した。ドイツ軍の拳銃であるルガーP08やワルサーP38は、高精度な工作で製造された優れた拳銃であったが、その精密さ故に酷寒の凍結には脆弱であった。これに対し、公差の許容度が大きく、仕上げの粗いトカレフは、トラブルも少なく確実に作動し、折損部品交換も簡単であった。

1951年に、ワルサーPPの流れを汲んだ中型拳銃のマカロフ PMが、新たにソ連軍に制式採用されたため、1953年にソ連でのTT-33の生産は終了、以後トカレフ拳銃は、ソ連においては二線級の存在となった。しかし、共産圏諸国においては、1940年代後半以降ライセンス生産やコピー生産が盛んに行われ、各国独自の発展型(手動セーフティの追加、銃弾の9mmパラベラム弾への変更など)も生み出されている。

中国の54-1式拳銃
1954年に純国産のトカレフ型を完成、54式拳銃(54式手槍)として中国人民解放軍が制式採用した。

54式拳銃は、オリジナルのトカレフよりも銃口初速が速く、500m/sに達する。



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