Lawrence of Arabia | hiroチャンのブログ

Lawrence of Arabia


「アラビアのロレンス」と呼ばれた男がオートバイ事故。

1935年5月13日オートバイを運転中の事故で意識不明となり、5月19日に死去、46歳であった。

トーマス・エドワード、ロレンス
(thomas Edward Lawrence)



1888年8月16日―1935年5月19日
「アラビアのロレンス」として知られるイギリスの軍人・考古学者。
オスマン帝国(トルコ)に対するアラブ人の反乱(アラブ反乱)を支援し、その成功に貢献した。
オックスフォード在学中から中近東を訪れて、1906年7月にはレバノンを旅して十字軍遺跡など調査し在学時の恩師と1911年卒業後、大英博物館の調査隊に参加トルコへ渡る。
1913年帰国、シナイ半島の測量のため再びエジプト・トルコへ渡る。
1914年7月第一次世界大戦が勃発し、イギリスも参戦。
10月に召集されイギリス陸軍省作戦部地図課に勤務、臨時陸軍中尉に任官、同年12月にカイロ陸軍情報部に転属、軍用地図の作成に従事する一方で語学を活かし連絡係となる。
1916年10月新設された外務省管轄下のアラブ局に転属、同年3月大尉に昇進。
メソポタミアのクトで籠城中の英軍を救援するため、オスマン帝国の買収工作に参加し1918年までは情報将校としてアラブの反乱を支援し、ヒジャーズ鉄道の破壊などを行う。



1921年1月には植民省中東局・アラブ問題の顧問としてウィンストン・チャーチル(後の首相)から招聘されるが、1922年に偽名「ジョン・ヒューム・ロス」で空軍に入隊し1923年1月除隊。
同年2月に偽名「T・E・ショー」で陸軍戦車隊に入隊する。
1925年には空軍に復帰する。
そして、1935年5月13日オートバイを運転中の事故で意識不明となり、5月19日に死去、46歳であった。

アラビアのロレンスと呼ばれた男
『砂漠はどこですニャ~♪』

『私の駱駝はどこですニャ~』



( ̄へ ̄;)まさかオムツ・・・?

『アラビアのロレンス』
Lawrence of Arabia
1962年イギリス作品
監督:デヴィッド・リーン
出演:ピーター・オトゥール
オマー・シャリフ
アンソニー・クイン



第一次戦下、イギリス人でありながら、アラブ独立の為にアラブ人を指揮して戦ったT・E・ロレンスの半生を描いた大作。



アカデミー賞10部門にノミネート、7部門で受賞。








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