スコープの先に見えた光景 ー2ー | hiroチャンのブログ

スコープの先に見えた光景 ー2ー


狙撃の瞬間は広島テレビ放送(日本テレビ系列)のカメラによって記録されており、Xが崩れ落ちる様子が映像として残されている。

以前はそのままで放映されていたが、2016年時点ではXの顔はぼかされたり、射撃された瞬間の映像を流さないようにして放送していたりする。

《事件のその後》
広島地方検察庁は、現場検証を行い一連の措置が武器使用条件を定めた警察官職務執行法第7条の「他に手段がないと信じるにたりる相当な理由」に該当していたかを捜査した。また、県警本部長は広島県議会警察商工委員会で「右腕をねらわせた弾丸が左胸にあたった」と答弁し、射殺まで意図はしていなかったとした。

この事件に対し世論の多くは、拡大適用される懸念があるものの、おおむねやむを得ない措置だったという意見であったという。
藤木英雄東京大学教授は「米国ケント州立大学でデモの学生4人が射殺されるように、濫用はしてはならないが、あくまで強力な銃器と弾を持っている場合には慎重にすべきであるが、(今回の事件については)やむを得ない処置であった」とした。また植松正は「凶悪な人質犯罪では正当防衛として犯人射殺はやむを得ない」とした上で、無論犯人にも最小限の生存権があり尊重すべきであるが、もし躊躇して足を撃てばかえって逆上させるだけであり、一発で抵抗できなくすべきであったと主張した。また会田雄次京都大学教授は「若い人が『おもろいなあ、おれもやったろか』というのを聞いた」として、こうした事件の流行には、乱暴男に対し見せしめが必要だと主張した。
また産経新聞が実施した世論調査では過半数はあの場面での狙撃は妥当とする調査結果を公表しているほか、朝日新聞は人質犯罪に対する刑罰の厳罰化と、人質事件を安易に映像作品に取り上げることを自主規制すべきとしたうえで、正当防衛であり仕方ないことであったとした。
一方、作家の佐賀潜は射殺は行き過ぎだとも主張していた。日本社会党広島県本部は「見せしめの意図が濃厚」と主張して県警本部長に公式に抗議している。
一方、この射殺を前述の会田雄次がいうように「見せしめ」であるとして問題視するものも存在した。これは前述のように「よど号ハイジャック事件」が発生したあと人質事件が1ヶ月で6件と続発しており、模倣犯を抑止するものではないかという意見があった。実際に自由人権協会北海道支部所属(2007年現在、自由人権協会には北海道支部は存在しない)の弁護士が、県警本部長と狙撃手を「裁判によらない死刑だ」などと殺人罪等で広島地検へ告発した。なお、中国新聞によれば、Xの父親は警察による息子射殺について「親として、死んでくれてせめてもの償いができた。警察に抗議するつもりはない」と語っていた。
この告発について前述の委員会の答弁の中で須藤本部長は「刑事訴訟法で認められた権利であり、検察庁の捜査を見守る」としたうえで不快感を表明した。国会でもこの事件が取り上げられたが、5月16日の衆議院地方行政委員会で答弁した後藤田正晴警察庁長官(のちの衆議院議員、法務大臣)は「銃器の使用は最後の最後の手段であるという点はこれまでと全く変わりない。今回の事件により、若い警察官に誤解があっては困るので。(中略)今回の場合は例外中の例外である」とし、事件は結果論として犯人を死亡させたものの、極めて特異な事例であったとした。
なお、広島地検は狙撃手の行為を警察官職務執行法第7条と刑法36条の正当防衛及び刑法35条正当行為として不起訴処分にした。本事件を取り上げたフジテレビの番組取材に船長は「狙撃は仕方がないなと思った。やむを得ない。」と語った。
弁護士側は特別公務員暴行凌虐罪について広島地裁に付審判請求を行ったが、これも棄却された。なお、一連の告発に対し広島県警は職務上やむを得ない判断である姿勢であったほか、日本弁護士連合会も緊急避難措置として妥当なものであるとした。人質とされた乗客であるが、運行会社に落ち度はなかったとしながらも、乗船券を持っていた乗客に大人3万円、子供1万円の総額50万円の見舞金を支給し、巻き添えになった乗客15人には見舞い品を支給し、被害補償を行った。

《国会とマスコミでの扱い》

後藤田正晴はこの騒動で、国会で三時間なぜ犯人を射殺したんだと山口鶴男と日本社会党を中心に問い詰められたと述べた。後藤田は射殺はやむを得ない、最後の手だったと回顧した。後藤田は狙撃主がバッシングする者やマスコミに辞めさせられた背景について『かわいそうなのは、その時の射手をマスコミが嗅ぎつけたんだな。これは圧力を受けたね。辞めた。かわいそうなことだ。』と当時のマスコミについて述べている。警察はその狙撃主を守れなかったのかとの質問に後藤田は新聞記者が張り付いていたため、 撃った者の写真から何からあった。可哀想なのは、彼は自分を批判する声にたまらなくなって辞めてしまったと述べた。



《事件の影響》
この事件で警察側が殺人罪や特別公務員暴行凌虐罪で告訴されたことが、その後の人質事件において日本の警察が犯人狙撃というオプションに対して慎重になっている原因としてマスコミが取り上げることがある。
1972年、連合赤軍の活動家が銃器で武装し人質をとって山荘内に立てこもったあさま山荘事件において警察は犯人を射殺せず全員逮捕した。この事件に関しては、「連合赤軍「あさま山荘」事件」(文藝春秋発行、著者佐々淳行)によると、当時の警察庁長官である後藤田正晴が「犯人は全員生け捕りにせよ。射殺すると殉教者になり今後も尾をひく」との考えから、機動隊は犯人の逮捕を前提に活動したとされている。
1979年、三菱銀行人質事件の際は突入した特殊部隊の拳銃による犯人への一斉射撃で解決したが、これは本事件を引き合いに「犯人とはいえ、射殺してしまった時の責任感や苦痛を緩和させる為」に一斉射撃で誰の弾が致命傷に至らせたのかを解らなくする手段として一斉射撃が決められた事を、当時事件解決に従事した元特殊部隊隊員が告白している。
さらに、1990年代以降は、犯罪の凶悪化により警察官の受傷、殉職事案が増加したことに伴い、2001年に「警察官等けん銃使用及び取り扱い規範」が改定され、拳銃使用要件が明確化された。これにより警察官の拳銃使用件数は、改定前に比べ増加した。

共犯BはXと2人で逃亡中に、Xから「みんなで銃を持って、宝石店や大きな商店などを狙おう。警察が来ればあくまで撃ち合いだ。警察には絶対捕まらない。警察官が1人でくれば逆に拳銃を奪ってやる。」と聞かされていた。

ぷりんす号は、のちにフィリピンの企業に売却され、観光船として使用されていることがテレビ番組による事件の追跡取材で判明した。

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