殺人ピエロ | hiroチャンのブログ

殺人ピエロ


【ジョン・ゲイシー】- 2 -

アメリカ合衆国生まれの連続殺人者。子供たちを楽しませるため、パーティなどでピエロに扮することが多かったことからキラー・クラウン(殺人道化、殺人ピエロ)の異名を持つ。






自供を受けてゲイシー宅の強制捜査が行われた結果、29人は石灰で覆われた家の床下から発見された。死体は床下できちんと整頓されたように埋められていた。他の4人は床下にスペースがなかったので近くのデス・プレーンズ川に捨てたことが明らかになった。ロバート・ピーストの遺体もそこから引き揚げられた。被害者の多くは男娼であり、数人は彼の会社でアルバイトをした10代の青年、最も若かった犠牲者は9歳で、20歳の元海兵隊員の青年が一番年齢の高い犠牲者であった。状態が悪かったために身元がわからない遺体も9体あった。
床下に埋められた死体は全てが腐敗しきっており、発生していたメタンガスに現場の警官たちは激しい目眩と吐き気を覚えた。余りに腐臭が凄まじく、一度臭気に触れた衣服は臭気が染みついて洗浄不能になったうえに衛生面でも危険とされたため着用不可能となり、焼却処分された。さらに、土中に埋められていた死体が空気に触れたことで再び腐り始めた。衛生局の分析で命に関わる危険な物質が大量に発見され、さらには毒性の強い細菌が検出された。このため郡は現場の捜査員たちに、作業用に使い捨てのジャンプスーツを支給し、傷の自己申告を徹底させ、傷を申告をした捜査官を現場から外し、全員に髭を剃ることを禁止した。警察署の死体保管所はガス室と化した。
この死体の捜索と分析は強烈な悪臭と病気の感染との戦いとなり、命を落としかねない危険を伴った。

ゲイシーは精神鑑定のため、シカゴのセルマック精神病院の犯罪精神科病棟に移送された。そして「私の中には4人のジャックがいます。全員のことを詳しくは知りません。家であったことはすべて4人目のジャック・ジャック・ハンリー”が行ったことなのです」と証言した。
ゲイシーによれば、彼の中の4人のジャックがゲイシーの肉体をコントロールし、その間の記憶は全く無いのだという。1人目のジャックは、酒と麻薬をやってから少年を漁りに出かけ、少年を車に連れ込んでセックスをする。そうした中で2人目のジャックが現れ、行為が終わると裸のまま車外に放り出し、そのまま逃亡しては楽しむという。俺は殺人課のベテラン刑事であるとゲイシーに語っていたという。2人目のジャックが引っ掛けた少年を、自宅まで無事に届けるのが3人目のジャックで、心優しい警察官であるという。そして、3番目のジャックが少年を諭しているときに突然現れて、手の届かないところへ少年を連れ去っていくのが4人目のジャックである、という。
ちなみにゲイシーの証言を得たのは1978年9月27日。コロンバス・シティズン=ジャーナルが、ビリー・ミリガンの事件について、ミリガンが10の人格を備えていることを一面トップの記事にした3ヵ月後のことであった。
ゲイシーは、多重人格症として診断されることに全力を尽くした。1980年2月6日から始まった公判で、ゲイシーは自分が多重人格であることを主張し続け、無罪を訴えた。だが陪審は訴えを退け有罪評決を下した。

33人の若い男性を殺害した理由に多重人格を持ち出しても「詐病」であるとされた。

1980年に12回の死刑判決と21回の終身刑判決を受けたが、数百万ドルに及ぶ莫大な資産を利用して、20回以上の上訴と模範的な服役生活により刑を免れ続けてきた。また自分を妬む人や警察の陰謀であるとして冤罪を主張し、死刑制度の違憲性を訴えて上告を繰り返した。これにアメリカ国内で非難が集中し、いち早い死刑執行を願う人たちがデモ活動を行った事もある。

ゲイシーを心理学的に鑑定した臨床医は、彼のIQはかなり高く、神経学テストを初めとする7種類のテストでも、脳障害の兆候は見られなかったと診断した。一方でロールシャッハテストや主題統覚検査では異常を感じさせる反応を示し、心理面の安定をみるミネソタ多面人格目録(MMPI)でゲイシーが極めて異常であり、思考の混乱から精神分裂かもしくは妄想症の可能性が強い、とされた。
この検査結果では、ゲイシーは「自分を有利にしようと動いている訳ではない」ということが認定された。元スタンフォード大学行動科学課長及び研究センター会長ローレンス・フリードマンは、ゲイシーを極めて凶暴で歪んだ性欲に巻き込む人格相として存在しているとした。ゲイシーのトラウマをアルコールに耽っていた父親と現在までに及ぶ本人自身の発作によるものと指摘、幼い頃から彼を責め苛み続けた心身症と神経症が彼の犯罪性を作り上げる土壌となったと証言した。だが「このような症例を罰するか罰しないかの判断は、法と社会の境界上の問題であり、心理学の立場からは言及できません」とも話した。

そんな中、自分に興味を持ち手紙を送ってきた、ジェイソン・モスという当時18歳の少年と文通を始める。ゲイシーは後に彼の電話番号を突き止め、電話でのやりとりを行うようになった。その後、少年に「人殺しをした本当の理由を教えてあげる」と刑務所に招待し面会することになった。しかし情欲を抑えきれなくなったゲイシーは、彼を34人目の被害者にしようと企む。模範囚としての信用を利用して、仕切りなどがない面会室において看守抜きでの面会(本来は規則違反)を取り付け、少年と2人きりでの面会が叶い、彼を監視カメラの死角に誘い出して犯行に及ぶも、間一髪で看守が通りかかったことで未遂に終わった。この犯行が決定的となり、再審請求は取り下げられた。

1994年5月10日深夜、薬物注射による死刑がジョリエット刑務所にて執行された。
通常、薬物注射による死刑は平均で7分前後で静かに絶命すると言われているが、何らかの手違いか薬効にムラが生じゲイシーは20分近く苦しんで絶命したという。この件についてコメントを求められた担当検事のウィリアム・カンクルは「被害者が受けた苦痛に比べれば、ゲイシーの苦痛など大したことはないね」と述べた。

その後2011年から、身元のわかっていない被害者の再調査が始められている。
殺害されそうになったジェイソン・モスは、これ以前にも服役中の凶悪殺人犯と手紙のやり取りを行い、相手の深層心理を研究することを趣味としていたという。ゲイシー以外にもチャールズ・マンソンやジェフリー・ダーマーとも文通を行っていた。ゲイシーに襲われて以降、この趣味は鳴りを潜めたようである。
モスは、わずか10歳で大統領顕彰の成績優秀学生賞を受賞したアメリカ有数の成績優秀者であり、その後ネバダ大学ラスベガス校を首席で卒業してから2002年にミシガン大学ロースクールを卒業し、犯罪被害者の弁護士となったが、2006年6月6日にネヴァダ州ヘンダーソンの自宅で自殺を遂げた。

《関連作品》
『IT』- 1986年にスティーヴン・キングが発表した小説で、1990年にテレビ化、2017年に映画化されている。登場するピエロの殺人鬼ペニーワイズはトロールが出てくるおとぎ話「三びきのやぎのがらがらどん」をヒントに作られたが、ゲイシー事件の影響も指摘されている。
『ジョン・ゲイシー』Gacy(2003年)
Dear Mr. Gacy(2010年)
『パラノーマル・エンティティ2』8213: Gacy House(2010年)


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