The Port Arthur Massacre | hiroチャンのブログ

The Port Arthur Massacre



【ポートアーサー事件】
The Port Arthur Massacre
場所:オーストラリア・タスマニア州ポート・アーサー
日付:1996年4月28日
標的:民間人
攻撃手段:銃撃
武器:銃
死亡者:35人
負傷者:15人
犯人:マーティン・ブライアント
動機:不明

ポートアーサー事件 (The Port Arthur Massacre) とは、1996年4月28日にオーストラリア・タスマニア島の観光地、ポート・アーサーで起こった大量殺人事件。

犯人はマーティン・ブライアントで、死者35人、負傷者15人を出した。

1996年4月28日(日曜日)の午後1時半頃に、最初の事件現場となったカフェに容疑者マーティン・ブライアントが車に乗って訪れ、当初は外のテーブルに座ってランチを注文して食べていた。食事が終わると店の客に対し「白人ばっかりだ、ジャップは少ないな」と言うと、店内に入り黒いスポーツバッグからAR-15アサルトライフルを取り出して無差別に発砲。
わずか90秒の間に20人の死者と12人の重軽傷者を出した。

すぐにブライアントはカフェの駐車場に向かって発砲し、観光バスの運転手や乗客を射殺。
さらに別のライフルに持ち替え、自分の車を運転しながら通行人を次々に射殺。
そして数百メートル離れたガソリンスタンドに到着するや、そこにいたカップルの女性を射殺し、相手の男性を車のトランクに押し込めて再び運転した。
コテージに到着したブライアントは男性を車のトランクから引きずり出して車に火をつけた後、男性と共にコテージに立てこもった。

数百人の警察とマスコミ、野次馬がコテージを取り囲んでいたが、コテージのオーナー夫妻やガソリンスタンドから連れ出された男性の情報が掴めず、コードレスホンの電池切れでブライアントからの連絡はすぐに途絶えた。また、建物の周囲が遮蔽物のまったく無い広い芝生だったこと、コテージの主人が銃のコレクターで屋内には多数の武器があること、電波状態が悪くてスナイパーと指揮所の連絡ができなかったことなどの理由で特殊部隊の突入も見送られ、一夜が過ぎた。

事件の翌朝、コテージから出火するや、ブライアントが飛び出してきて、すぐに取り押さえられた。焼け跡から、オーナー夫妻、ガソリンスタンドから連れ出された男性の遺体が発見された。
後にオーナー夫妻とブライアントが知り合いで、彼がカフェに向かう途中ですでに夫妻を射殺していたことが判明した。

ブライアントは高機能自閉症で知能テストの結果も平均以下であったが、事前に現場を下見していること(銃を入れていたバッグは、その時に施設内の売店で買っていた)、複数のライフルを用意していたことなどで計画的犯行とされ、また精神鑑定で責任能力ありと判断されて、仮釈放なしの35回の終身刑を宣告された(オーストラリアには死刑制度がない)。動機は今もはっきりわかっていない。

マーティン・ブライアントは2002年2月未明に、刑務所内で自殺を試みるも未遂に終わり、現在も服役中である。

M16として米軍等でも制式採用されているものからフルオート機能を削除したアサルトライフルAR-15を、ブライアントが何らの事前審査もなく購入していたことが報じられると、銃規制を求める声が高まり、この事件が起こってわずか12日後にミリタリータイプのセミオートライフルの輸入と販売の禁止が決定した。その後、オーストラリアでは国全体の銃規制を導入した(それまでは州まかせであった。タスマニアはオーストラリアの中で最も緩かった)。このため、この種の大事件の例に漏れず陰謀論がささやかれ、銃規制推進派による自作自演でブライアントは無実であり、政府のエージェントが実行犯だと主張する本が出版されている。

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