Iron Man | hiroチャンのブログ

Iron Man


【ロバート・ダウニー・Jr】- 1 -

Robert Downey, Jr.
アメリカ合衆国の俳優・声優・ミュージシャン・プロデューサー。身長174cm。



生年月日:1965年4月4日
出生地:アメリカ合衆国
ニューヨーク州ニューヨーク
職業:俳優
ジャンル:映画・テレビ
配偶者
デボラ・ファルコナー(1992年 - 2004年)
スーザン・ダウニー(2005年 - )

《主な作品》
映画

『チャーリー』  



『キスキス,バンバン』  

『ゾディアック』 

『アイアンマン』シリーズ 

『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』 


『シャーロック・ホームズ』シリーズ 

『アベンジャーズ』シリーズ  


『ジャッジ 裁かれる判事』 


『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』

『オッペンハイマー』 


テレビドラマ
『アリー my Love』

《受賞》

アカデミー賞 

助演男優賞 

2023年『オッペンハイマー』 
ヴェネツィア国際映画祭 
アンサンブル演技賞 

1993年『ショート・カッツ』 

放送映画批評家協会賞  

助演男優賞 

2023年『オッペンハイマー』 

アンサンブル演技賞 

2023年『オッペンハイマー』 

英国アカデミー賞
主演男優賞

1992年『チャーリー』 

助演男優賞 

2023年『オッペンハイマー』 

ゴールデングローブ賞 
主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)

2009年『シャーロック・ホームズ』 

助演男優賞 

2023年『オッペンハイマー』 

特別賞
1993年『ショート・カッツ』
助演男優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)
2000年『アリー my Love』

全米映画俳優組合賞 

助演男優賞 

2023年『オッペンハイマー』 

キャスト賞 

2023年『オッペンハイマー』 

男優賞 (コメディシリーズ)
2000年『アリー my Love』

その他の賞 


《生い立ち》
ニューヨーク州ニューヨーク出身。父親はアイルランド及びユダヤ系の映画監督ロバート・ダウニー・Sr.、母親はドイツ及びスコットランド系の女優エルシー・フォード。5歳から父親の作品に子役として出演。10歳の時に、移住していたイングランドでクラシック・バレエを習う。その後グリニッジ・ヴィレッジに移り住むが両親が離婚。13歳で父親とカリフォルニアに移住した。幼少時に好きだった俳優はピーター・オトゥールであった。

《キャリア》
5歳の時に、父親であるダウニー・Sr.監督の『Pound』(1970年)で子役として映画初出演。同監督作品に子役として数本出演した後、17歳でサンタモニカ高校を中退し俳優の道へ進む。『ベイビー・イッツ・ユー』(1983年)で本格的に映画デビュー。1985~1986年には『サタデー・ナイト・ライブ』出演。初主演映画となった『ピックアップ・アーティスト』(1987年)、ドラッグ中毒の若者役を演じた『レス・ザン・ゼロ』(1987年)などで注目を集め、ブラット・パックの一員として取り上げられるようになる。
1992年公開の『チャーリー』で喜劇王チャーリー・チャップリンを演じ、英国アカデミー賞 主演男優賞を受賞。またアカデミー主演男優賞の候補となった。2000年にテレビシリーズ『アリー my Love』(第4シーズン)でゴールデングローブ賞助演男優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)を受賞。2009年公開の『シャーロック・ホームズ』のシャーロック・ホームズ役で、ゴールデングローブ賞 主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞した。

2010年6月に、配偶者のスーザン・ダウニーと独立プロダクション「チーム・ダウニー」を設立。チーム最初の制作作品となった2014年の『ジャッジ 裁かれる判事』以降も、ダウニー自身がプロデュースを手掛ける予定のプロジェクトが複数進行中である。また、監督デビューも視野に入れている模様。俳優としてのキャリアも絶好調で、2015年現在はハリウッドで最も高額なギャラを獲得する俳優となっている。

幼少時に独習したというピアノの腕前や歌唱力(弾き語り)もあり、作詞作曲も自らこなす。シンガーソングライターとしては、2004年にスタジオアルバム『ザ・フューチャリスト』を発表。音楽面で影響を受けたとしてスティーリー・ダン、ハリー・ニルソン、U2、ザ・ポリスなどの名を挙げている。

《薬物問題》
父親に与えられたマリファナを8歳当時で既に常用していたなど、子供の頃からドラッグの問題を抱えていた。薬物問題で6回逮捕されており、拘置所から撮影所に通ったなどの逸話を持つ。1996年4月に麻薬不法所持により初めて逮捕され、1999年8月からカリフォルニア州立刑務所へ1年間入所する。裁判の際に、薬物に耽溺する自身の感覚を「口の中に入れた散弾銃の引き金に指をかけ、ガンメタルの味を楽しんでいるよう」だと表現した。
仮出所後にゲスト出演した『アリー my Love』第4シーズン(2000年 - 2001年)のラリー役では、ゴールデングローブ賞を受賞、またエミー賞にノミネートされるなど高い評価を得たものの、番組全米放送中の2001年4月にコカイン所持で再逮捕された。この件により3年間の保護観察処分となる。同時に1年間のリハビリ施設収容を命じられ、番組を途中降板した。再逮捕のニュースに、アリー役のキャリスタ・フロックハートはショックを受け倒れたという。なおダウニー本人は後年、『アリー my Love』出演当時の自分は最低な状況にあったと述懐し、賞賛は過大評価であるとしている。1996年から2001年にかけ薬物依存の克服に苦しんだが、2002年にクリーンと認められ保護観察処分を終えた。それでも完全に薬物を断つことはできずにいたが、2003年に「きっぱりと止める時がきた」と直感。所持していた麻薬を全て海に投げ捨て、それ以後ドラッグには手を出していないとのことである。同年、旧友メル・ギブソンの助力を得てスクリーンに復帰する。

《完全復活へ》
2008年『アイアンマン』のプロモーションにて
デビュー当時から、メソッド演技法を用いて役柄を追求し数多くの作品で演技派俳優としての評価を得たが、極度のストレスから、それまでの演技派俳優から個性派俳優へと路線を転換させる。個性派俳優に転換後は、癖のある助演役でメインストリームに復帰し、個性派の地位を不動のものとする。
2008年公開の『アイアンマン』で、「彼の波瀾万丈のキャリアがキャラクターに深みを与える」として、ジョン・ファヴロー監督から主人公のトニー・スターク役に抜擢される。制作スタジオ側は当初、薬物問題から「どんなことがあっても、彼を雇うことはない」としていたが、オーディションで他の役者たちを圧倒、トニー役を手に入れた。その見事な役作りは、キャスティングに懐疑的だった原作ファンや批評家からも絶賛をもって迎えられることとなる。同作は米興収3億ドルを叩き出す大ヒットとなり、キャリアを代表する当たり役となった。また同年公開の『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』では、「役作りのために整形手術で黒人になってしまうオーストラリア人のメソッド俳優」、という複雑な役どころで完璧な黒人訛りを器用に使い分け、芸達者ぶりを改めて印象付けた。本作の演技はアカデミー助演男優賞やゴールデングローブ賞 助演男優賞を始め、各映画賞にノミネートされ高い評価を集める。この2作品のヒットにより完全復活となった。 




《カムバック以降》
2010年アカデミー賞授賞式にて妻スーザンと
2008年に米『タイム』誌の「世界で最も影響力のある100人」に、『エンターテイメント・ウィークリー』誌のエンターテイナー・オブ・ザ・イヤーに選出される。

2009年12月にグローマンズ・チャイニーズ・シアター前に手形と足形を刻んだ。 




2010年より、米プランターズ社のシンボルキャラクターであるミスター・ピーナッツの吹き替えを担当。CMでは歌声も披露している。

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