Tears of the Sun | hiroチャンのブログ

Tears of the Sun


【ブルース・ウィリス】-1-
ドイツ生まれのアメリカ人俳優で、プロデューサー、ミュージシャンでもある。彼のキャリアは1980年代から始まり、それ以来コメディ、ドラマ、アクションといったジャンルで、テレビと映画の両方で活躍している。『ダイ・ハード』シリーズの主人公ジョン・マクレーン役でよく知られている。他にも60作品以上に出演し興行的成功を収めた作品も多い。
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本名:ウォルター・ブルース・ウィリス
Walter Bruce Willis
別名義:W・B・ウィリス
ブルーノ
生年月日:1955年3月19日
出生地:西ドイツ ラインラント=プファルツ州ビルケンフェルト郡イダ-=オーバーシュタイン
国籍:アメリカ合衆国
ジャンル:俳優、プロデューサー、ミュージシャン
活動期間:1977年 - 現在
配偶者:デミ・ムーア(1987年 - 2000年)
エマ・ヘミング(2009年 - 現在)
著名な家族:ルーマー・ウィリス、スカウト・ウィリス、タルーラ・ウィリス、マーベル・ウィリス

《主な作品》
映画
『ダイ・ハード』シリーズ『パルプ・フィクション』『12モンキーズ』『フィフス・エレメント』『アルマゲドン』『シックス・センス』『アンブレイカブル』『シン・シティ』シリーズ『RED/レッド』シリーズ『エクスペンダブルズ2』シリーズ
テレビドラマ
『こちらブルームーン探偵社』

《受賞》
エミー賞
主演男優賞(ドラマシリーズ部門)
1987年『こちらブルームーン探偵社』
ゲスト男優賞(コメディ部門)
2000年『フレンズ』
ゴールデングローブ賞
男優賞(ミュージカル・コメディシリーズ)
1987年『こちらブルームーン探偵社』
ゴールデンラズベリー賞
最低主演男優賞
1998年『アルマゲドン』『マーシャル・ロー』『マーキュリー・ライジング』
最低脚本賞
1991年『ハドソン・ホーク』
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2006年10月16日、ウィリスはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名前を埋め込まれる。場所は 6915 Hollywood Blvd にあり彼は2,321番目に名前を加えたスターである。

《生い立ち》
西ドイツのイダ-=オーバーシュタインで生まれる。
彼の母親マレーネ・Kはドイツ人であり、カッセル近郊のカウフンゲンの出身。
父親のデイヴィッド・ウィリスはアメリカ人兵士でアイダホ州南東部のイングランド系の家庭に生まれた。
ウィリスは4人目の子供であり、姉のフィレンツェ、兄のデイヴィッド、そして2001年に42歳で膵癌によって死亡した兄のロバートがいた。
父親は1957年に除隊すると家族を連れてニュージャージーのカーニーズ・ポイントに引っ越した。母親は銀行で働き、父親は溶接工のマスター・メカニックと工場労働者となる。
ウィリスはペンス・グローヴ高等学校に通うが、彼はここで吃音に悩まされる。
だがステージの上で自分自身を表現すると吃音はすぐに消えた。その後もステージで演じ続け、高校では演劇部に所属、生徒会長も務める。
高校卒業後はセイラム原子力発電所で警備員として働いた。他にもディープウォーターのデュポンで輸送業者や工場労働もした。
私立探偵として働いた後、モントクレア州立大学の演劇部に入り、クラスで戯曲『熱いトタン屋根の猫』を演じた。ウィリスは3年生で大学を中退するとニューヨーク市に移り住む。
いくつかのオーディションを受けた後、オフ・ブロードウェイの Heaven and Earth でデビューを果たす。彼は Fool for Love によく出演して経験を積んだ上、リーバイスのコマーシャルにも出演した。

《キャリア》
オーディションを受けるため、ウィリスはニューヨークを離れてカリフォルニアに渡る。1984年、テレビシリーズ『特捜刑事マイアミ・バイス』の「地対空ミサイル強奪!武器密輸ルートを追え」に出演。その後シビル・シェパード主演『こちらブルームーン探偵社』(1985年 - 89年)のデビッド・アディスン・ジュニア役のオーディションを受けて3000人の候補者の中から選ばれた。このシリーズはシーズン5まで続き、彼はコメディ役者としての地位を確立する。

その後『ダイ・ハード』(1988年)に出演し、彼が予期しなかったほどのスターとなる。世界興行収入は140,767,956ドルを記録。1980年代後半にはレコーディング・ミュージシャンとしてある程度の成功をおさめる。

1990年代
『ダイ・ハード』のジョン・マクレーン役で成功し、続編である『ダイ・ハード2』(1990年)と『ダイ・ハード3』(1995年)にも出演。この『ダイ・ハード』3部作は全世界で7億ドルを超える興行収入を得て、ハリウッドの人気スターになった。

1990年代、『虚栄のかがり火』や『ハドソン・ホーク』といった主演映画の赤字に苦しんだ他にも『薔薇の素顔』は批評家たちに酷評されたが高評価も受け、この映画は1995年のアメリカで最もレンタルされている映画トップ20にランクインした。

1994年、彼はクエンティン・タランティーノの『パルプ・フィクション』で絶賛される。これが新たな弾みとなり、『12モンキーズ』(1995年)と『フィフス・エレメント』では世界を救う男を演じたが、90年代後半『ジャッカル』や『マーキュリー・ライジング』、『ブレックファースト・オブ・チャンピオンズ』に出演するもさほど評判にはならなかった。

1998年のマイケル・ベイ監督作品『アルマゲドン』は世界的に大ヒット、1999年のM・ナイト・シャマラン監督作品『シックス・センス』は興行的に成功しただけでなく、ウィリスの演技力も高い評価を受けた。

2000年代 - 2010年代
2000年、『フレンズ』への出演によってエミー賞ゲスト男優賞コメディ部門を受賞。2001年にも『フレンズ』でアメリカンコメディ賞にノミネート。

『オーシャンズ11』(2001年)にテリー・ベネディクト役で出演予定だったがアルバムのレコーディングのために断った。その後『オーシャンズ12』(2004年)に本人役でカメオ出演を果たしている。

これまでにサミュエル・L・ジャクソンといくつかの映画で共演している(『ローデッド・ウェポン1』、『パルプ・フィクション』、『ダイ・ハード3』、『アンブレイカブル』)。
他にも娘であるルーマー・ウィリスと2005年の映画『ホステージ』で共演した。

『ダイ・ハード4.0』で再びジョン・マクレーンに扮した。

2010年『エクスペンダブルズ』で、80年代を代表するアクションスターであるシルヴェスター・スタローンとアーノルド・シュワルツェネッガーとの共演を果たす。
初めての共演シーンは短かったものの、そのシーンは映画の見所として期待されていた。
『エクスペンダブルズ2』(2012年)にも出演。

『ダイ・ハード』シリーズの続編で5作目である『ダイ・ハード/ラスト・デイ』が2013年2月14日にアメリカと日本で公開となった。

ロサンゼルスに不動産を所有し、ニューヨーク市のトランプ・タワーの一室を借りている。また、マリブの家、モンタナ州の牧場、タークス・カイコス諸島のパロット・キーにある海岸の家が有名である。


《俳優引退・失語症》

2022年3月30日、ブルースの娘で女優のルーマー・ウィリスが、自らのInstagramに父・ブルースの写真を掲載するとともに、ブルースが失語症のため俳優を引退することを発表した。『Fortress: Sniper's Eye』など公開待機中だった出演作8本を残したままでの引退となった。また、ウィリスのライフワークであり、第6作目制作の可能性を探っていた『ダイ・ハード』シリーズも全5作で事実上終了となった。引退にあたりシルヴェスター・スタローン、ジョン・トラボルタ他俳優仲間や共演者、映画監督らがねぎらいの言葉、そしてこれからのサポートを申し出た

引退から約1年後の2023年2月中旬に、「失語症診断を発表してからも病状は進行しており、前頭側頭型の認知症と診断された」と家族より発表された


《軍隊との関係》
『マーシャル・ロー』や『ジャスティス』、『ティアーズ・オブ・ザ・サン』、『グラインドハウス』といった映画で軍人を演じている。軍人の家で育った彼はアメリカ軍のためにガール・スカウト・クッキーの販売に公式に協力している。2002年、末娘タルーラは、彼が軍隊に送るためにクッキーを購入したという趣旨の発言をした。ウィリスは12,000箱のクッキーを購入しそれらは空母ジョン・F・ケネディに贈られ、そこから中東全域の部隊に配布された。また2003年、ウィリスはUSOのツアーの一環としてイラクを訪れ、彼のバンド「The Accelerators」と共に歌を歌った。

《日本に関する事》
日本でのCMに出演。
1991年にNTTドコモのムーバ(アナログムーバ)の初代イメージキャラクター。
三貴の「じゅわいよ・くちゅーるマキ」のイメージキャラクター。
スバル・レガシィの初代と4代目イメージキャラクター。
キリンポストウォーターのCM(デミ・ムーアが共演)。
2000年に日本コカ・コーラの缶コーヒージョージアのCMに半年間出演。
ENEOS(当時の社名は日石三菱)のCM。
2011年にダイハツ・ミライースのCM。
2014年に興和のコーワパワードコーヒーのCM。
2020年にはソフトバンクのCMにてドラえもんに扮した。

日本語吹替は樋浦勉や磯部勉、内田直哉、野沢那智、村野武範が担当することが多い。
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