ラマーディーの悪魔 -2- | hiroチャンのブログ

ラマーディーの悪魔 -2-



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《死去》
クリス・カイルを射殺したエディー・レイ・ルースは、カイルと同じテキサス出身者であった。2001年9月11日、当時13歳だったルースはテレビでアメリカ同時多発テロ事件を目の当たりにし、「将来は軍隊に入りたい」と父親に告げたという。その後、奇しくもクリス・カイルが10年前に卒業した高校に入学し、卒業後にアメリカ海兵隊に入隊した。問題児であった息子が新兵訓練を終えて凛々しくなった姿を見て母親は誇りを持ったが、イラクに派遣されたルースは戦場で精神に大きな影響を受けてしまう。迫撃砲による攻撃を受けたり、パトロール中に銃を発砲する子供を目撃し、母親に動揺した様子で「もし僕が子供を殺したらどう思う?」と問いかけてきたこともあったという。帰還し、姉の結婚式に出席した際には、ネイルガンの音に反応してその場に這いつくばると「伏せろ」とわめき散らし、家族は彼がおかしくなっていることに気付き始めた。2010年、ハイチ大地震の救援活動に参加したルースは、乳児を含む大量の遺体の処理作業に当たった。この際、被災して空腹に苦しむ子供から食料を求められたが、軍の規則に従って自分のレーションを与えなかった。ルースは母親に「僕は強かった。あの子は食べ物を欲しがっていたけど、僕は与えなかった」と告げたが、そのことをずっと悔やんでいたという。その年の6月にルースは海兵隊を除隊した。
海兵隊を除隊した後のルースは頻繁にパニックに襲われるようになり、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断された。苦しみから逃れるために酒と薬物に溺れ、自殺未遂や異常行動を繰り返すようになったルースを救うため、ルースの母親は自分が勤務する小学校に通っている生徒の父親、イラク戦争における活躍から「伝説の狙撃手」と呼ばれ、帰還兵のセラピーをしているクリス・カイルに助けを求めたのだった。カイルはルースと会いセラピーをすることを快諾し、ルースと母親も喜んでいたが、2013年2月2日、ルースによって射殺事件が引き起こされてしまった。
ルースの父親は取材に対して、彼の幼少期から撮っていた写真や海兵隊に入隊した際に誇らしげにしている写真を公開し、遺族に対する謝罪をすると同時に、息子を失い生活が崩壊してしまったことや息子が戦争で精神を病み帰国後別人になってしまったこと、息子が死刑を望んでいること等を明かしている。
2015年2月にルースの裁判が開始され、ルースの弁護側は「心神喪失状態だったため、責任能力がなかった」と主張したが、2月24日に仮釈放なしの終身刑が言い渡された。

《スキャンダル》
カイルの著書や発言には様々な虚偽があるとの指摘がある。
米インターセプト誌によると、カイルは勲章の数を偽っていたとされる。銀星章が2つと青銅星章を5つ受勲したとしているが、実際には銀星章が1つと青銅星章が3つだったという。同誌は匿名の海軍関係者の話を引用すると共に、情報公開法で入手した海軍の内部記録をウェブに公開している。また、米海軍、国防総省、および統合特殊作戦コマンド(JSOC)はカイルの狙撃殺害数は米軍歴代トップレコードだったという主張に異議を唱えていないが、彼の正確な殺害数は公式にはっきりと記録されていない。
また、カイルは著書で「イラク戦争を批判し、『シールズの2人や3人は死んで当たり前』と侮辱した男を殴った」と書き、その男は元ミネソタ州知事ジェシー・ベンチュラであると、後にTV番組で実名を挙げた。ベンチュラは「カイルには会ったこともない」として名誉毀損と不当利得で訴訟を起こした。裁判所はベンチュラの訴えを認め、カイルに賠償金180万ドルの支払いを命じた。
除隊後の2009年、軍や法執行機関の隊員に軍事訓練を行う民間軍事会社「クラフト・インターナショナル社」を立ち上げたが、死亡後の2014年5月30日に破産。会社の運営に際し不透明な資金の移動があったとして遺族と経営責任者双方が係争中である。

《使用した装備》
著書の『ネイビー・シールズ最強の狙撃手』には任務に応じてさまざまな武器を使い分けていたことが書かれている。通常の狙撃は射手と観測手の2名で行われるが、ネイビー・シールズでは射手単独での狙撃が基本とされていた。
照準に使用するスコープはナイトフォース社のものを使用し、ライフルのトリガープルは2ポンド(900グラム)に調整して軽く引き金を絞るだけで発射するようにしていた。大半の銃器には減音と発砲炎の減少を目的としたサプレッサーが装着されていたという。
〔M4〕
アメリカ軍で標準的に採用されているアサルトライフル。3点射(バースト)ではなく連射機能(フルオート)がついていると書かれているため「M4A1」か「Mk 18」であると考えられる。.300や.338を使用するときにはこの銃を自衛用として携行していた。
〔Mk11〕
7.62x51mm NATO弾を使用するセミオート式狙撃銃。ナイツアーマメント社製「SR-25」にスコープ等の狙撃用オプションを装備した米海軍仕様である。作動不良が頻発したため好きな銃ではなかったと書かれている。ただ、この銃を使用するときは自衛用のM4を携行する必要がなかったという。
〔Mk12〕
5.56x45mm NATO弾を使用するセミオート式狙撃銃。ロアレシーバーを「M4」のものと交換して、連射機能と伸縮式銃床を使えるように改造していた。射撃する際はほとんどの場合胴体中央を狙っていたため、薬物を使用したり、興奮状態にある相手に対しては2、3発命中しないと倒せず威力不足であったと書かれている。
〔.300〕
.300ウィンチェスター・マグナム弾を使用するボルトアクション式狙撃銃。機種は書かれていない。「レーザー」のような弾道特性を持ち、500ヤードに照準を合わせておけば、100~700ヤードの射撃においては細かい調整は必要なかったという。著作の中で一番使用した銃であると書かれている。
〔.338〕
.338ラプア・マグナム弾を使用するボルトアクション式狙撃銃。機種は書かれていない。この銃で1,920mの狙撃を成功させている。
〔50口径〕
12.7x99mm NATO弾を使用する対物狙撃銃。射程が長いものの重量が非常に重く扱いにくかったため、イラクでは1度も使用しなかった。機種は書かれていない。対物狙撃銃については大げさな宣伝や根拠のない作り話が多く、対車両戦闘においても.300や.338で代用できると書かれている。
〔拳銃〕
官給品として支給されていた9mm口径の「P226」が実戦で威力不足であったため45口径の「TRPオペレーター」を購入して装備していたが、手榴弾の破片を受け壊れてしまう(そのおかげでカイルは無傷だった)。その後は45口径仕様の「P220」を使用していた。ホルスターに関しては、最初は拳銃を抜きやすい「レッグホルスター」を使用していたものの装着位置がずれ易いので、途中から「ヒップホルスター」に変更している。
〔カールグスタフ〕
個人携行式のカールグスタフ無反動砲。発射の爆音と威力はすさまじく、シールズ隊員の間では人気の高い装備だった(誰が撃つかで喧嘩になったこともあったという)。
〔装具〕
ボディアーマーの上に「ローデシアン・リグ」と呼ばれるタクティカルベストを重ね着して任務に当たっていた。戦闘用ヘルメットは重く長時間の任務には支障をきたすため、ヘルメットに装着するタイプの暗視装置を使用するとき以外はほとんど野球帽を被っていた。野球帽を選択した理由はかっこよかったからとのことである。時計はロレックス・サブマリーナの後継としてシールズに配備されていた黒のG-SHOCK。モデルは書籍には明記されていない。
〔弾薬〕
スナイパーライフルを持ち歩くときには予備弾200発をバックパックに入れ、拳銃の予備弾倉3個をレッグポーチ(太ももに取り付ける装具)で携行していた。腕には自作した予備弾入れを付けてすぐにライフルに再装填できるように工夫していたという。

《関連書籍》
クリス・カイル 『ネイビー・シールズ最強の狙撃手』 原書房、2012年。
(改題・文庫化) クリス・カイル 『アメリカン・スナイパー』 早川書房、2015年。

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