The Elephant Man
【デヴィッド・リンチ】-1
David Lynchアメリカ合衆国モンタナ州出身の映画監督、脚本家、プロデューサー、ミュージシャン、アーティスト、俳優。
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本名:デヴィッド・キース・リンチ
David Keith Lynch
生年月日:1946年1月20日
出生地:アメリカ合衆国 モンタナ州
国籍:アメリカ合衆国
職業:監督、脚本家、俳優、プロデューサー
ジャンル:映画、テレビ、音楽、CM
配偶者:Peggy Lynch (1967-1974)
Mary Fisk (1977-1987)
Mary Sweeney (2006):1か月で離婚
Emily Stofle (2009-)
子供は3人。
著名な家族:ジェニファー・リンチ(娘・映画監督)。
《主な作品》
『イレイザーヘッド』
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『エレファント・マン』
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『ブルーベルベット』
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『ワイルド・アット・ハート』
『ツイン・ピークス』
『ロスト・ハイウェイ』
『ストレイト・ストーリー』
『マルホランド・ドライブ』
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《受賞》
アカデミー賞
名誉賞
2019年
カンヌ国際映画祭
パルム・ドール
1990年『ワイルド・アット・ハート』
監督賞
2001年『マルホランド・ドライブ』
ヴェネツィア国際映画祭
栄誉金獅子賞
2006年
ヨーロッパ映画賞
インターナショナル(非ヨーロッパ)賞
1999年 『ストレイト・ストーリー』
全米映画批評家協会賞
監督賞
1986年『ブルーベルベット』
実験的映画賞
2006年『インランド・エンパイア』
ロサンゼルス映画批評家協会賞
監督賞
1986年『ブルーベルベット』
2001年『マルホランド・ドライブ』
セザール賞
外国映画賞
1982年『エレファント・マン』
2001年『マルホランド・ドライブ』
低予算映画『イレイザーヘッド』で有名となり、「カルトの帝王」と呼ばれることもある。
1946年、モンタナ州ミズーリで農務省研究員の父のもとに生まれる。生後2か月でアイダホ州サンドポイント、2歳でワシントン州スポケーンに引っ越し、その後もノースカロライナ州ダーラム、アイダホ州ボイジー、バージニア州アレクサンドリアと引っ越しを繰り返す。少年期はボーイスカウトに所属し、最高位である「イーグルスカウト」まで昇格した。
友人の父がプロの画家だったため絵画やドローイングに興味を持ち、ワシントン美術大学、ボストン美術館付属美術学校に通う。このときJ・ガイルズ・バンドのピーター・ウルフとルームメイトだった。しかし「ここには何も触発されるものがない」と、後にプロダクション・デザイナーになるジャック・フィスクと共に欧州留学を計画する。
オスカー・ココシュカのもとで絵画を学ぼうとオーストリアへ渡ったが、街があまりにも綺麗で自身の中での創作意欲が萎えてしまい、3年間滞在する予定が、わずか15日間でアメリカへ帰国する。
帰国後フィラデルフィアに移り、フィスクとともに米国最古の芸術学校であるペンシルベニア芸術科学アカデミーに入学。1967年、ここで知り合った妻ペギーが長女ジェニファーを妊娠し、この経験が後にデビュー作に結実する。周囲は鉄道や工場など極めて悪い条件で、レンガ張りだが何部屋もある一軒屋をわずか3000ドルほどで購入する。治安の悪さをインスピレーションの一部として、地下室で絵画や映画制作に没頭。また収入を得るためエングレービングのプリントを始めた。
《キャリア》
1967年、最初の短編映画『Six Men Getting Sick (Six Times) 』を制作。翌年妻ペギーをモチーフに、アニメーションと実写を合わせた実験的な4分の短編『THE ALPHABET』を作り、アメリカン・フィルム・インスティチュートの奨学金を得、ロサンゼルスに移る。
1971年に「AFI Conservatory」に入学し、1972年から4年の歳月をかけてカルト映画として有名になる『イレイザーヘッド』を自主制作。
1976年に長編映画監督としてデビューする。
制作中の1974年、映画のストーリーと同じように、妻ペギーがリンチのもとを去った。これを含めてリンチは3回の離婚と4回の結婚を経験している。リンチはこの作品をカンヌ国際映画祭に送ろうと考えたが周囲に止められ、ニューヨーク映画祭でも上映を拒否された。そのため深夜上映のようなアンダーグラウンドな形で上映され、ロッキー・ホラー・ショーやエル・トポ、ピンク・フラミンゴといった映画とともに、カルト的な人気を博した。
1980年の『エレファント・マン』ではアカデミー作品賞を含む8部門にノミネートされ、一躍知名度を上げた。
『イレイザーヘッド』のファンだったジョージ・ルーカスから『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』の監督のオファーが来たが、これを断る。
1986年、『ブルーベルベット』で全米批評家協会賞などを受賞する。主演女優のイザベラ・ロッセリーニとの交際が二度目の離婚のきっかけとなる。
1990年、『ワイルド・アット・ハート』でカンヌ国際映画祭のパルム・ドールを受賞。
2001年、『マルホランド・ドライブ』でカンヌ国際映画祭監督賞を受賞。
2006年、第63回ヴェネツィア国際映画祭にて映画人として長年にわたり多くの優れた作品を生み続けていることを称える栄誉金獅子賞を受賞。
2007年にはカンヌ国際映画祭の第60回目を記念して制作されたオムニバス映画『それぞれのシネマ』のうちの一つ『アブサーダ』を製作。
また同年には現代美術家としてカルティエ現代美術財団にて個展を開催した。
2011年1月にミュージシャンとしてシングル『Good Day Today/I Know』でソロ・デビュー。同年11月にはデビューアルバム『クレイジー・クラウン・タイム』をプレイ・イット・アゲイン・サムよりリリースした。
2012年現在、リンチを追ったドキュメンタリー映画三部作『LYNCH three project』の三作目の資金調達のため、ファンから製作費の一部を募る活動が行われている。
なお本作でリンチ自身は製作には直接関与していない。
2019年10月27日、第11回ガバナーズ賞においてアカデミー名誉賞が授与された。
アカデミー監督賞に3度ノミネートされたリンチにとって初めてのオスカー受賞となった。授賞式ではイザベラ・ロッセリーニや、カイル・マクラクランとローラ・ダーンがスピーチに登壇した。
2022年の『フェイブルマンズ』では俳優としてジョン・フォードを演じ、監督のスピルバーグからローラ・ダーンを介して出演を説得され、リンチはオファーを受ける 第一条件ごスナック菓子のチートスを撮影現場に用意することだったと明かしている。
2023年に4度目の離婚が報じられる。2009年から14年間の結婚生活にピリオドを打ち、離婚を申請した妻エミリー・ストーフルとの間に、娘ルーラがいる。
《活動》
映画製作のほか、『Dumbland』などのアニメーションも手掛けている。映画製作に関わっていない時間は、予算が関係ないという理由で絵を描いたりしている。
YouTubeチャンネル「DAVID LYNCH THEATER」において、2020年からリンチ自身が登場する“天気予報”と共に、新作を含む短編映画を公開。
《影響》
絵画においてはフランシス・ベーコン、映画においてはフィラデルフィアの町そのものに最も影響を受けた。
「アメリカ映画より欧州映画の方により大きな影響を受けた」とたびたび述べている。好きな映画には『サンセット大通り』と『ロリータ』を挙げている。
作風としては、シュールレアリズムをこよなく愛す。
1950年代のアメリカを愛しており、作品にはたびたび何らかの形でフィフティーズを象徴するもの(セットなどの美術、音楽など)が使用される。
アメリカの片田舎を舞台とする作品が多い。
つづく・・・