War of Currents :電流戦争 | hiroチャンのブログ

War of Currents :電流戦争


1903年1月4日
電流戦争: トーマス・エジソンの会社がサーカスの象トプシーを電気ショックにより処刑。

【電流戦争(War of Currents)】
アメリカで1880年代後半の電力事業黎明期に、電力(発電・送電・受電)システムの違いから、ジョージ・ウェスティングハウス、ニコラ・テスラ陣営と、エジソン・ゼネラル・エレクトリック・カンパニーを率いるトーマス・エジソンとの間に発生した確執や敵対関係のことである。

背景
1880年代後半、ジョージ・ウェスティングハウスとニコラ・テスラは交流送電を中心としたシステムを提案していたが、トーマス・エジソンは直流送電を中心としたシステムを提案して、相互に敵対していた。

エジソンの直流送電は電動機と同様に当時主要な電力需要である白熱灯にも適当な送電方式で、アメリカ合衆国の電力事業初期における標準方式を占め、エジソンは直流送電の特許使用料を手放すつもりはなかった。テスラは自身の回転磁界の研究から交流の発電・送電・使用システムを考案して商業化を目指し、テスラの二相交流特許、ルシアン・ゴーラールおよびジョン・ディクソン・ギブズの変圧器特許を、すでに買収していたウェスティングハウスと契約した。

後年に変圧器が進化したことから、電圧変換が容易な交流送電が圧倒的に有利となった。交流は、電線抵抗による送電電流の減衰は昇圧により抑制可能で効率が良く、発電所から高電圧で送電して需要先へ配電直前に家庭用電圧へ降圧する。直流を用いる場合も、交直流の変換回路「コンバータ」は容易だが、逆に直交流の変換回路は当時の技術では不効率な電動発電機しかなかったことも挙げられる
直流から交流を作るいわゆる「インバータ」や、大電力の直流変換の実用化は、20世紀後半以降である。

《エジソンの広告運動》
エジソンは、交流の使用に反対するプロパガンダ工作を行った。エジソンは人々に交流の危険性を印象付けるため、個人的に動物を交流電気によって処分する実験を実施した。始めは野良犬や野良猫、最終的には象に及んだ。コニーアイランドの遊園地の象のトプシーは、飼育員を殺すなどしたことから薬殺処分されることが決まっていたが、エジソン側は交流電流の危険を訴えるために、公開の場で電気ショックで殺すことを提案した。トプシーが交流電気のショックで、わずか数秒で殺される場面を収めた映画は、エジソンの手により全米で公開され話題を集めた。対するテスラ側も、人体に交流電気を流すショーを行い安全性を主張した。

エジソンは「処刑される」ことを「ウェスティングハウスされる」と呼ぶように働きかけもした。

エジソンは死刑制度には反対派だったが、しかし彼は電気椅子の発明によって、交流が非難されることを願った。ハロルド・P・ブラウンはエジソンの秘密の資金によって、交流はより致命的であるという考えを普及させるために最初の電気椅子をニューヨークに設置した。

最初の電気椅子は1890年に使用されたが、州の電気技師のエドウィン・デーヴィスによる死刑囚ウィリアム・ケムラーへの死刑執行は必要な電圧が足りず、はじめの電撃では処刑ができず、囚人に重傷を負わせるに留まったため、電撃を繰り返さねばならなかった。リポーターは「恐ろしい光景だ。絞首刑よりはるかに悪い」と書き残した。ジョージ・ウェスティングハウスはこのようにコメントした。「彼らは斧を使うべきだった。」

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