Tom Horn | hiroチャンのブログ

Tom Horn


Steve McQueen -6-
2019032021150000.jpg

生涯における来日回数は2回。初来日は1966年『砲艦サンパブロ』のプレミア時。当時の妻のニールも帯同している。ただし次の会場が香港であったため、日本での滞在時間はわずか20時間であった。2回目は1978年の肖像権訴訟時(後述)である。

《遺産》
マックイーンの人気は不変である。他の死去した有名人のように商業的に飽和することを避けるため、彼のイメージを使用するライセンスは制限されている。2007年の時点で、マックイーンの財産は死去した有名人が稼ぎ出す財産のトップ10に入っていた。
2007年4月、マックイーンはナショナル・カウボーイ・アンド・ウェスタン・ヘリテージ・ミュージアムの式典で、偉大な西部劇俳優の殿堂入りした。
1999年11月、マックイーンはオートバイ栄誉の殿堂入りした。彼は『栄光のライダー』の製作資金を調達し、一連のオフロードライダーを支援し、オートバイに対する一般のイメージ強化に貢献しているとされた。

未完成のストーリーボードとノートを元にし、マックイーンが死の前に撮影したフィルムが、マックGの製作会社であるワンダーランド・サウンド・アンド・ヴィジョンによって生産される予定であった。『ユカタン』は「壮大な冒険の強盗」映画と言われ、2013年のリリース予定であったが、2016年2月現在発売されていない。ロバート・ダウニー・Jrと妻のスーザン・ダウニーの製作会社、チーム・ダウニーは『ユカタン』を映画として公開することに対する関心を表した。

インディアナ州ビーチグローブの公立図書館はマックイーンの80回目の記念日を祝うために2010年3月16日に正式にスティーブ・マックイーン生誕地コレクションを公開した。

2005年、『TVガイド』誌は「史上最もセクシーなスター50名」のリストでマックイーンを26位にランクした。

2012年、マックイーンはアスベスト病認識機構(Asbestos Disease Awareness Organization, ADAO)からウォーレン・ジヴォン・トリビュート・アウォードを受賞した。

2015年のドキュメンタリー『スティーヴ・マックイーン その男とル・マン』は、1971年の『栄光のル・マン』でのマックイーンと、その製作についての探求を明らかにしている。同作では息子のチャド・マックイーンと元妻のニール・アダムスがインタビューに答えている。

《アーカイブ》
アカデミー・フィルムアーカイブはスティーブ・マックイーン-ニール・アダムスコレクションを収納している。同コレクションには個人のプリントやホームムービーが収められている。

《コマーシャル》
1973年、ホンダ『エルシノアCR250』のCMに出演している。この出演については、ホンダのスタッフがテストしているところにたまたまマックイーンが遊びに来て、このバイクを気に入ったことから実現したという。
1998年、ポール・ストリートがフォード・プーマのコマーシャルを製作した。場面は現代のサンフランシスコで、『ブリット』のテーマ音楽が使用された。マックイーンのアーカイブ・フィルムがデジタル処理で挿入され、彼がプーマを運転しているように編集された。プーマのナンバープレートは『ブリット』でファストバック・マスタングが付けていた物と同じ物で、彼はガレージでマスタングの隣にプーマを止め、立ち止まって意味ありげに角に置いてあるオートバイを見ると、それは『大脱走』で使用された物とよく似たオートバイであった。
2005年、フォードは再び2005年型マスタングのコマーシャルにマックイーンを使用した。コマーシャルではトウモロコシ畑に農家の男性が曲がりくねったレースコースを造り、スタートラインに新型マスタングを停車させる。畑の中からスティーブ・マックイーンがやってきて、男性はマックイーンにキーを投げ渡す。マックイーンは新型マスタングでコースに走り出す。マックイーンの映像は体の部分(ダン・ホルステン)とデジタル処理で作成された。フォードは俳優の財産をライセンスするエージェントのグリーンライトからマックイーンの映像を使用する権利を得た。支払った金額は明らかにされていない。新型マスタングは劇中と同じモスグリーンにペイントしチューニングを施した『ブリット』仕様も発売された。

《肖像権訴訟》
1971年の『栄光のル・マン』の日本での宣伝に際して、タイアップ企業となった松下電器産業(現・パナソニック)とヤクルト本社が映画のスチルやフィルムを製品(松下はラジオ、ヤクルトは乳酸飲料「ジョア」)の広告と組み合わせた宣伝を自分の承諾なしにおこなったとして、この両社および配給会社の東和、広告制作者の電通を相手取り、肖像権侵害の損害賠償として100万ドル(公開当時のレートで3億6千万円)を求める裁判を、1973年に日本の東京地方裁判所に提訴した。
マックイーンが裁判を起こしたのは単に肖像を結果として無断使用されたからというだけの理由ではなかった。彼が1978年に日本の裁判所に出廷して証言したところによると、乳酸製品(証言では「ヨーグルト」と表現)は自分が好まないもので、本来なら絶対に引き受けることがない仕事であること、松下電器のラジオについては自分は商品の説明を受けておらず、それに対する責任を引き受けることができないからだと述べている。
この裁判は1980年11月10日に判決が下された。判決ではタイアップ広告の手法は広く映画の宣伝において一般に認められているもので、マックイーンの代理店と東和の間の契約条項の範囲内であるとした。このため、東和側が承諾の必要性を検討する注意義務はなく、過失を問うことはできないと認定し、マックイーン側敗訴の判決を下した。

《メモラビリア》
マックイーンが1968年の『華麗なる賭け』で着用した青いサングラス(ペルソール714)は2006年にロサンゼルスのボーナムズ・アンド・バターフィールズオークションで70,200ドルで落札された。同オークションでは彼のオートバイコレクションの1台、1937年型クロッカーが世界記録となる276,500ドルで落札されている。2007年8月16日にはマックイーンが所有していたメタリックブラウンの1963年型フェラーリ・250GTベルリネッタ・ルッソが231万ドルで落札された。2006年に売却された3台のオートバイを除いて、マックイーンのオートバイコレクション130台は彼の死から4年後に売却された。『栄光のル・マン』のオープニングシークエンスに登場した1970年型ポルシェ・911Sは、2011年8月にオークションで135万5000ドルで売却された。ロレックス・エクスプローラーII(1655)(時計コレクターの間でロレックス・スティーブ・マックイーンとして知られる)、ロレックス・サブマリナー(5512)(マックイーンがプライベートで着用している場面がしばしば撮影された)は、2009年6月11日にオークションで234,000ドルで落札された。これは世界記録であった。マックイーンは左利きであったため、腕時計は右手首に付けていた。
マックイーンはタグ・ホイヤーのアンバサダーを務めた。1970年の『栄光のル・マン』で彼は青のモナコ1133Bを着用した。それは腕時計コレクターの間でカルトなステータスを持つに至った。彼が着用したタグ・ホイヤーは2009年6月11日のオークションにおいて87,600ドルで落札された。タグ・ホイヤーは現在もモナコのプロモーションにマックイーンのイメージを使用している。
2009年からトライアンフ・モーターサイクルはマックイーンの財産管理団体からの認可を受けて、マックイーンをフィーチャーしたトライアンフ・ブランドの一連の衣類を販売した。それは特に彼が参加した1964年のISDTに関するものであった。
イギリスの衣類ブランド、バブアーはスティーブ・マックイーンコレクションを発売した。それはかつてマックイーンがバブアーのオートバイジャケットを所有していた事実に基づく。
イギリスのポップ・バンド、プリファブ・スプラウトは1985年6月にセカンドアルバム『スティーヴ・マックイーン』をリリースした。アメリカ合衆国ではマックイーンの財産管理団体との法的争いのため、『Two Wheels Good』に変更された。

.