身近な自動車が凶器と化す | hiroチャンのブログ

身近な自動車が凶器と化す



【2017年ロンドンテロ事件】
2017年3月22日にロンドン・シティ・オブ・ウェストミンスターの、ウェストミンスター橋・ウェストミンスター宮殿敷地内で発生したテロ事件。
実行犯はイギリス・ケント出身の52歳ハリド(カーリド)・マスード(英: Khalid Masood)である。被疑者はウェストミンスター橋上で自動車を暴走させて2人を殺害した後、車を捨てて宮殿敷地内へと侵入し、その後非武装の警官を刺殺して、構内で別の警察官によって射殺された。
ウェストミンスター宮殿構内で起こったテロ事件としては1979年のエアリー・ニーヴ殺害以来のことであり、ロンドンで起こったテロ事件としては2015年にレイトンストーン駅で精神疾患患者が起こした刺傷事件・(2015 Leytonstone tube station attack)以来のことだった。またこの事件は、2016年ブリュッセル爆発から丁度1年の日に発生している。

2017年ロンドンテロ事件 (シティ・オブ・ウェストミンスター)
2017年ロンドンテロ事件 (グレーター・ロンドン)
2017年ロンドンテロ事件 (イギリス)
場所:イギリス、ロンドン、ウェストミンスター
日付:2017年3月22日
14時40分頃 (UTC)
攻撃手段:自動車を用いた故意の衝突事故・ 刺傷
武器:ヒュンダイ製自動車、ナイフ
死亡者:5人(通行者3名、警官1名、実行犯1名)
負傷者:~40人(重傷3名、ほか重態1名)
犯人:ハリド・マスード
(英: Khalid Masood)

2017年3月22日14時40分頃 (UTC)、グレーのヒュンダイ製自動車が、ウェストミンスター橋南側の歩道を歩く歩行者(警察官3人を含む)へ突っ込み、複数の死傷者を出した。自動車は事件の数日前にバーミンガムのエンタープライズ・レンタカーで借りられたものだった。また被害女性のひとりが橋の手すりを越えてテムズ川に転落し、後に救助されたものの重態となった。犯人は運転を続け、ウェストミンスター宮殿(国会議事堂)敷地外の柵に衝突して停止した。
犯人は黒い服を着ており、事故の後自動車を出てニュー・パレス・ヤード近くの土地に侵入して、居合わせたキース・パーマー巡査を刺殺した。その後犯人は私服警官2名によって複数回射撃された。マスードには救命処置が行われたが、銃撃の傷が元で死亡。パーマー巡査の救命には、救急隊に加えて、居合わせた保守党・中東・アフリカ担当外務次官のトバイアス・エルウッド庶民院議員が尽力したが、この処置の甲斐無く巡査は死亡した。
事件後、イギリスのテロ警戒レベル・(UK Threat Levels)は、5段階で2番目に高い「深刻」 ("Severe") が維持されたが、事件に伴って警戒レベルが引き上げられることは無かった。

イギリス首相のテリーザ・メイは事件当時議事堂内にいたが、すぐに車でダウニング街10番地の首相官邸へ避難した。
国会の議事進行は一時中断され、議員たちは警戒のためコモンズ・チャンバー(Commons debating chamber)に閉じこもった。また、取材に来ていたジャーナリストや、遠足で訪れていた子どもたちなど、議事堂への訪問者全員に建物内に留まるよう指示が出た。一部は後に隣接するウェストミンスター寺院へ避難誘導された。
スコットランド議会・ウェールズ議会も、22日午後の議事を中止した。
事件に伴って、緊急のCOBRA会議が招集された。メイ首相は、COBRA会議終了後、官邸前でテロへ屈しない姿勢を示す演説を行った。

事件は、2005年7月のロンドン同時爆破事件以来初めてロンドンで起こった大規模テロ事件となったほか、ウェストミンスター宮殿構内で起こったテロ事件としては1979年のエアリー・ニーヴ殺害以来となった。

事件では、実行犯も含め6人が死亡し、少なくとも40人が負傷して、うち数名は重傷・重態となっている。死亡した6人のうち4人はイギリス国籍であった(実行犯の男を含む)。

ロンドン警視庁は、実行犯をイギリス出身の52歳ハリド(カーリド)・マスード(英: Khalid Masood)と特定した。『デイリー・テレグラフ』紙は、彼の出生名がエイドリアン・エルムズ(英: Adrian Elms)であると報じた。地元メディアは、マスードがイスラム教に改宗した人物であること、また獄中でイスラム過激派に転じたことを伝えている。マスードはケント出身で、近年はバーミンガムなどを含むウェスト・ミッドランズに居住していたと考えられている。
初期の報告書には、襲撃犯が2人おり、ひとりは「髪の無い白人」(英: "bald white man")、もうひとりは「あごひげの生えた黒人」(英: "black man with goatee beard")だとされていたが、ロンドン警視庁副本部長代行で英国のテロ対策を統括するマーク・ロウリーは、襲撃は単独犯で行われたと発表した。

襲撃の直後、イスラム過激派組織アル・グラバーのスポークスマンだったアブ・イザディーンが襲撃犯である、というデマがソーシャル・メディアで拡散されたが、彼は襲撃時英国で収監中であり誤報である。
マスードは結婚しており、3人の子どもがいた。警察は、マスードは以前保安局 (MI5) の監視を受けていたものの現在は監視対象ではなく、テロ攻撃の準備をしているという事前情報も無かったと発表している。彼は暴行事件などで複数回有罪判決を受けており、その中には凶悪傷害事件(Grievous bodily harm; GBH)、武器の不法所持、公共秩序を乱した罪などが含まれており、これらは1983年まで遡ることができる。しかし、この中にテロ事件を起こして有罪になったものはない。事件後銃撃を受けたマスードが救急隊に手当てされる様子を、複数のメディアが写真で報じている 。
当局は、マスードが襲撃を起こした動機についてイスラム過激主義だと見ているが、内務大臣のアンバー・ラッドは、マスードがISILの影響を受けたという考えには否定的である。この一方で、事件の翌日である3月23日、ISIL系のアマク通信は、襲撃犯が「イスラム国の兵士で、連合国の市民を狙えとの呼びかけに応えて作戦を実行した」と発表し、関与を主張した。組織をオンラインで監視しているアナリストたちは、発表によりイラク・シリアでの撤退を誤魔化す意図があり、実行犯の生い立ちや襲撃の詳細について情報が無いことは、直接の関与が無いことを示唆していると発表している。

3月22日23時 (UTC) 、ウェスト・ミッドランズ警察はバーミンガムのフラットで立入捜査を実施した。翌23日朝までに、東ロンドンとバーミンガムで6件の家宅捜索が行われ、テロ攻撃の準備に関与した疑いで8人が拘束された。当局はさらに、ロンドン・ブライトン・カーマーゼンシャー(ウェールズ)で捜査を行っていることを発表した。

イングランドでテロ事件が発生したことに対し、国内外から衝撃と怒りの声が上がり、事件は自由、言論の自由、民主主義への攻撃だと見なされるようになった。

事件の後、庶民院・貴族院両院の報道官は、合同で声明を発表した。
「今日の午後、非常に重大な事件がウェストミンスター地区で起きました。ロンドン警視庁が対応し、事件の捜査に当たっています。両院の構成員を代表し、被害者の皆様全員とそのご家族にお見舞いを申し上げます。また、警察や全てのエマージェンシー・サービスに感謝を申し上げます」。
両院の通常議事は、襲撃の翌日である3月23日に再開された。議事再会に先立ち、国会では犠牲者を悼んで1分間の黙祷が行われたほか、ロンドンのエマージェンシー・サービスでは、亡くなったパーマー巡査のカラー・ナンバーが933だったことに因み、午前9時33分に黙祷が行われた。

イギリス首相のテリーザ・メイは国会議員たちに対し、「昨日私たちの民主主義を黙らせようとテロ行為が行われたが、今日私たちは、これまでの世代がやってきたように、そしてこれからの世代がやるように、いつも通り集まってひとつのメッセージを表明しようとしている。それは、私たちは恐れることなどなく、テロに対する私たちの決意は揺るぎないものだということだ」と演説した。メイはこれに先立ち、前日のCOBRA会議終了時に、テロに屈しない姿勢を示した記者会見を行っている。


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