"Curse of the Colonel" | hiroチャンのブログ

"Curse of the Colonel"


【カーネル・サンダースの呪い】  

 "Curse of the Colonel"又は"the Colonel Sanders hex" 

1985年(昭和60年)10月16日に、日本プロ野球球団、阪神タイガースの21年ぶりのセントラル・リーグ優勝に狂喜した阪神ファンが、カーネル・サンダースの像を道頓堀に投げ入れた因果で、翌年以降の同球団の成績が低迷したとされる都市伝説の一つである。

《概要》

1985年(昭和60年)10月16日、阪神のセントラル・リーグ優勝が決まった際、狂喜し半ば暴徒化した阪神ファンらが大阪府大阪市南区(当時。現在は中央区)道頓堀のケンタッキーフライドチキン道頓堀店(現存せず)に設置してあったカーネル・サンダースの像を、優勝に大きく貢献した助っ人外国人のランディ・バースに見立て、制止しようとする店員に暴行を加えて担ぎ出し、胴上げの末に道頓堀川に投げ込んだ。
この事件の翌年以降から、阪神タイガースは17年連続でリーグ優勝を逃しており、その急激に弱体化した原因は川底に沈められたカーネル・サンダースの呪いではないかとファンの間で囁かれ、都市伝説として定着した。一部のファンは像が回収されるまで優勝は無理だと信じていた。

このカーネル像は23年半後の2009年(平成21年)3月10日に発見され、大きな反響を呼んだ。 

当時川への飛び込みに参加した落語家桂福若の証言によると、高校の後輩が道頓堀川に放り投げていたのだという。そのまま像は浮上せず、その後数年に一度の頻度で大阪市が行っていた道頓堀川の川底清掃作業(船を使ってヘドロやごみなどを除去する作業)でも像は発見できなかった。
同様の例として、2004年のワールドシリーズで勝利するまで80年以上もワールドチャンピオンから遠ざかっていたMLB球団、ボストン・レッドソックスもベーブ・ルースをニューヨーク・ヤンキースに放出したことが原因でバンビーノの呪いの下にあると言われていた時期があり、この二つの呪いは時折比較されている。

KFC秘伝の「11種類のハーブとスパイスのブレンド」のレシピを漏らそうとする者に生命に危険が及ぶとされる「カーネルの呪い」としても使用されてきた。

《都市伝説》
ペナントレースや主力選手への影響
優勝の翌年、阪神は開幕から横浜大洋ホエールズに3連敗を喫した。その後阪神は復調するが主力の掛布雅之がデッドボールによる骨折など度重なる故障、エースの池田親興がベースカバーの際に骨折しそれぞれが戦線離脱。戦力が整わないまま本年のペナントレースを戦う事になる。特に掛布はデッドボールが影響し1988年(昭和63年)に引退。また阪神はシーズン中、7連勝、9連勝と大型連勝をしたが連勝はいずれも大洋に止められてしまい最終的には広島、巨人に大きく差をつけられた3位に終わる。ただしこの時(1986年(昭和61年)当時)は「カーネル・サンダースの呪い」という言葉はまだなかった。
翌、1987年(昭和62年)は球団史上最低勝率の勝率.331を記録。
1988年(昭和63年)には、バースが息子の病気治療への対応を巡り球団と対立し退団した後に引退、責任を取り球団代表が飛び降り自殺をするなど阪神の低迷が続いた。
その後、低迷から脱し2003年(平成15年)と2005年(平成17年)にリーグ優勝。2007年(平成19年)から始まったクライマックスシリーズ(CS)では、2007年・2008年・2010年・2013年に出場し、いずれもファーストステージ(2位対3位の対戦)の段階で敗れており、4回出場でシリーズ通算1勝8敗という成績であったが、2014年のCSでは2位からファイナルステージで巨人を4連勝で退け、9年ぶりの日本シリーズ出場を果たした。その後2015年・2017年にも出場したが、いずれもファーストステージで1勝2敗で敗退した。
2003年・2005年・2014年に出場した日本シリーズではいずれもパ・リーグのチームに敗退しており、1985年以降、日本一にはなっていない。

消えたカーネル像とKFC日本法人の対応
事件後、道頓堀店から一旦カーネル像は姿を消すが、1992年(平成4年)に復活。今度は盗難されないようにと台座をボルトねじで固定した。なお道頓堀店は、1998年(平成10年)に閉店している。

《カーネル像の発見》
2009年(平成21年)3月10日、道頓堀川・戎橋下流200 - 300メートル付近、南側護岸から約5メートル、水深約2メートルの川底地点で、大阪市建設局による水辺整備事業の一環として障害物調査(不発弾の有無確認を最大目的とする)ならびに除去作業を依頼された南海辰村建設が潜水作業員を投入し、磁気探査作業中に反応があった川底を調査していたところ、1985年(昭和60年)に投げ込まれたとみられるカーネル・サンダース像の上半身が発見され、台船のクレーンで引き揚げられた。


引き上げた作業員たちは、これを死体と勘違いしたが、すぐにカーネル・サンダース像であることを確認した。像はヘドロにまみれて灰色になり眼鏡や手首も外れてしまっていたが、原形は留めていた。翌3月11日にも潜水作業員が引き続き調査したところ、8時53分に右手、9時頃に下半身が発見され引き揚げられ、11時25分頃に前日見つかった上半身部分と合体し、同じ像のものと確認された。
下半身・右手発見後の時点で眼鏡・両足首・左手は紛失状態であり、付近を入念に調査したが発見の可能性が薄い(水没中に破損もしくは流失したものと思料される)と判断されたため、同日捜索開始から50分後に作業打ち切りとなった。

発見された像について日本法人は、2009年(平成21年)3月時点で、他に行方不明の像は無く、外形・発見地点などの要素から当時に投げ込まれた像に間違いない、とコメントしている。像の処遇について、元来の所有権は道頓堀店にあったがすでに閉店しているため、日本法人が引き継いだ形で大阪市と協議していたが、同年3月11日に日本法人へ像の返還が決定し、同年3月13日に日本法人社長に引き渡された。 

像は専門家にて検査と最小限の修復を行い、当面大阪市内の警備会社金庫で保管されることになった。紛失状態の眼鏡は、投げ込まれる以前に掛けていた同型のフレームが1990年前後まで製造を担当していた鯖江市内のメーカーに残存しており、福井県鯖江市と福井県眼鏡協会から日本法人に贈呈された。





2017年に本社が横浜へと移転したタイミングで日本KFCホールディングス社関西オフィスへと移されている



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