Do Androids Dream of Electric Sheep? -2- | hiroチャンのブログ

Do Androids Dream of Electric Sheep? -2-

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1980年に出版された短編集『ゴールデン・マン』でディックは「数年前病気になったとき、会ったこともなかったハインラインが何か出来ることはないかと助力を申し出てくれた。彼は電話で元気付けてくれ、どうしているかと気遣ってくれた。ありがたいことに電動タイプライターを買ってやろうと申し出てくれた。彼こそこの世界の数少ない真の紳士だ。彼が作品に書いていることには全く同意できないが、そんなことは問題ではない。あるときIRSに多額の課税をされてそれを払えずにいると、ハインラインがお金を貸してくれた。彼とその奥さんは私の恩人だ。彼らに感謝の印に本を捧げたこともある。ロバート・ハインラインは素晴らしい外見の男で、非常に印象的で軍人のような姿勢である。髪型に至るまで軍人としての背景が見て取れる。彼は私が頭のおかしいフリークだと知っていて、それでも私が困っていたときに助けてくれた。これこそが人間性というものだ。そういう人やものを私は愛している」と書いている。

1972年、ディックは原稿や資料をカリフォルニア州立大学フラトン校の Special Collections Library に寄贈し、それが Philip K. Dick Science Fiction Collection として Pollak Library に収蔵されている。フラトン校でディックはSF作家の卵だったK・W・ジーター、ジェイムズ・P・ブレイロック、ティム・パワーズと親交している。ディック最後の長編は『ティモシー・アーチャーの転生』で、1982年、彼の死後に出版された。

《神秘体験》
1974年2月20日、ディックは親知らずを抜き、その際のチオペンタールの効果から回復しつつあった。追加の鎮痛剤の配達を受け取るためドアに応対に出ると、女性配達員が彼が "vesicle pisces" と呼ぶシンボルのペンダントを身につけていることに気づいた。この名称は彼が2つの関連するシンボルを混同していることに起因すると見られる。1つは2つの弧を描く線が交差して魚の形になっているイクトゥスで、初期キリスト教徒が秘密のシンボルとして用いたものである。もう1つは2つの円が交差した形の vesica piscis である。女性配達員が立ち去ると、ディックは奇妙な幻覚を体験し始めた。当初は鎮痛剤に起因するものと思われたが、何週間も幻覚が続いたためディックは鎮痛剤のせいだけではないと考えた。「私の心に超越的で理性的な精神が侵入するのを体験し、これまで正気でなかったのが突然正気になったかのように感じた」とディック自身がチャールズ・プラットに語っている。

1974年の2月から3月まで彼は一連の幻覚を体験し、これを "2-3-74"(1974年2月-3月の意)と名付けた。ディックによれば、最初はレーザービームと幾何学模様の幻覚が見え、時折イエス・キリストや古代ローマの幻影が見えたという。幻覚は長さと頻度が増していき、ディックは自分が「フィリップ・K・ディック」であると同時にローマ人に迫害された紀元1世紀のキリスト教徒「トーマス」でもあり、二重の人生を生きていると主張し始めた。ディックは自らの体験を宗教的に解釈しようとし始めた。彼はその「超越的な理性的精神」を "Zebra"、"God"、"VALIS" などと呼ぶようになる。彼はその体験をまず半自伝的小説『アルベマス』に書き、さらに『ヴァリス』、『聖なる侵入』、『ティモシー・アーチャーの転生』というヴァリス三部作を書いた。
あるときディックは預言者エリヤが乗り移ったと感じた。彼は『流れよ我が涙、と警官は言った』が自身が読んだことのない聖書の使徒行伝の物語を詳細化した改作だったと信じた。

《結婚と子供》
ディックは5回結婚し、2人の娘と1人の息子をもうけた。すべて離婚して解消されている。
1回目: 1948年5月、ジャネット・マーリンと結婚。6カ月後(1948年)に離婚
2回目: 1950年6月、クレオ・アポストロリデエスと結婚。1959年に離婚
3回目: 1959年4月、アン・ウィリアムズ・ルビンシュタインと結婚。1965年10月に離婚
娘: ローラ・アーチャー(1960年2月生)
4回目: 1966年6月、ナンシー・ハケットと結婚。1972年に離婚
娘: イゾルデ・フレイア・ディック(1967年3月生)
5回目: 1973年4月、レスリー・バスビーと結婚。1977年に離婚
息子: クリストファー・ケネス(1973年7月生)

《死》
1982年2月17日、インタビューの仕事を終えた後に視界の不良を訴え、翌日脳梗塞で意識不明となっているところを発見された。
搬送された病院で脳死と判定されてから、家族の判断で生命維持装置を外され、3月2日に亡くなった。
死後、父親が遺灰をコロラド州フォート・モーガンに持ち帰った。双子の妹が死んだ際、その墓にはディックの名も刻まれ、命日だけが空欄になっていた。ディックはその墓に妹と一緒に埋葬された。
自作の初映画化である『ブレードランナー』の公開直前であったが、完成版を観ることはなかった。

後にディックのファンにより姿を似せた遠隔制御式アンドロイドが製作された。このアンドロイドはサンディエゴ・コミコンでの『暗闇のスキャナー』映画化発表で壇上で披露された。2006年2月、アメリカウエスト航空の従業員がこのアンドロイドの頭部を紛失し、未だに見つかっていない。

《伝記》
ローレンス・スーチンの1989年の伝記『聖なる侵入 フィリップ・K・ディックの生涯』(Divine Invasions: A Life of Philip K. Dick 邦訳未) がディックの伝記の決定版とされている。
1993年にはフランス人作家エマニュエル・カレールが Je suis vivant et vous ・tes morts を出版。これが2004年 I Am Alive and You Are Dead: A Journey Into the Mind of Philip K. Dick として英語に翻訳され出版された。ディックの内面を描いた伝記的小説である。そのため、普通の伝記に見られる出典・脚注・索引などがない点が批判された。

脚本家で映画監督のジョン・アラン・サイモンはディックの小説『アルベマス』をベースとした伝記映画"Radio Free Albemuth"を製作した。

BBC Two は1994年にディックを扱ったドキュメンタリー Arena - Philip K Dick: A day in the afterlife を放送した。

他にも The Gospel According to Philip K. Dick(2001) や The Penultimate Truth About Philip K. Dick(2007) といったドキュメンタリー映画が製作されている。

《作風と作品》
ペンネーム
ディックはリチャード・フィリップス (Richard Phillips) とジャック・ダウランド (Jack Dowland) というペンネームを使って作品を発表したことがある。Fantastic Universe 誌1953年10月号に掲載された「生活必需品」はリチャード・フィリップス名義で掲載された。これは、「訪問者」という短編も同号に掲載されたためである。
「ぶざまなオルフェウス」という短編はジャック・ダウランド名義で発表された。これは、主人公が偉大なSF作家ジャック・ダウランドのミューズとして霊感を授けようとする話で、作中でジャック・ダウランドはフィリップ・K・ディックというペンネームで「ぶざまなオルフェウス」という短編を書いたことになっている。

"Dowland" という姓はルネサンス期の作曲家ジョン・ダウランドにちなんだもので、ジョン・ダウランドはディック作品で何度か言及されている。例えば『流れよ我が涙、と警官は言った』の題名はダウランドの曲『流れよ我が涙』を引用したものである。『聖なる侵入』に登場する有名歌手リンダ・フォックスはリンダ・ロンシュタットがモデルだが、彼女の歌う曲は全てジョン・ダウランド作曲とされている。

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