Bullitt | hiroチャンのブログ

Bullitt


Steve McQueen -3-


1963年、マックイーンは『マンハッタン物語』にナタリー・ウッドと出演した。その後『ネバダ・スミス』を演じたが、これはハロルド・ロビンズの小説『大いなる野望』からのキャラクターで、小説の映画版は2年前に製作され、アラン・ラッドがネバダ・スミスを演じている。『ネバダ・スミス』ではカール・マルデン、スザンヌ・プレシェットと共演し、同作は興行的に大成功した。
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マックイーンは1965年の『シンシナティ・キッド』でポーカープレイヤーを演じた後、1966年の『砲艦サンパブロ』で機関兵を演じ、自身唯一のアカデミー賞にノミネートされた。同作ではキャンディス・バーゲン、リチャード・アッテンボロー(以前『大脱走』で共演した。)と共演している。

ジャクリーン・ビセット、ロバート・ヴォーン、ドン・ゴードンらと共演した1968年の『ブリット』は、彼の最も有名な映画の1本であり、オスカー賞候補にノミネートされた。
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同作では先例がなく、その後果てしなく模倣されることとなるサンフランシスコでのカーチェイスが特徴であった。マックイーンは運転シーンがクローズアップされたが、実際に運転したのはカーチェイスシーンのおよそ1割で、残りの部分はスタントドライバーのバド・エキンズとローレン・ジェーンズが運転した。追われる黒のダッジ・チャージャーはベテランスタントドライバーのビル・ヒックマンが運転した。マックイーン、その代役とヒックマンはシーンが撮影される前に高速で接近して運転する練習をして数日を過ごした。
『ブリット』は製作予算がオーバーしたため、ワーナー・ブラザースは彼の残りの映画(合計7本)に関して、契約を取り消した。
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『ブリット』が興行上大ヒットとなり、ワーナー・ブラザースはマックイーンを取り戻そうとした。しかし、彼はそれを拒絶した。そして次回作は独立スタジオが製作し、ユナイテッド・アーティスツが配給を行うこととなった。この映画のために、マックイーンはイメージの変更を選んだ。1968年の『華麗なる賭け』では華やかな富豪役を演じ、共演はフェイ・ダナウェイであった。翌年彼はウィリアム・フォークナー原作の南部の時代劇、『華麗なる週末』に出演した。

1970年代
1971年、マックイーンは十分に認められなかったカーレース映画『栄光のル・マン』に出演、翌72年には老ロデオ乗りを描いた『ジュニア・ボナー/華麗なる挑戦』に出演した。その後再びサム・ペキンパー監督の『ゲッタウェイ』に出演、同作で後の妻となるアリ・マッグローと共演。
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1973年には『パピヨン』でデビルズ島の囚人を演じた。同作ではダスティン・ホフマンが悲劇的なサイドキックを演じた。

1973年、ローリング・ストーンズがアルバム『山羊の頭のスープ』に収録した「スター・スター」でマックイーンについて言及した。伝えられるところでは、マックイーンはこれを楽しみ、個人的に許可を与えた。

『ゲッタウェイ』公開時までマックイーンは世界で最も高給取りの俳優であった。しかし、1974年の『タワーリング・インフェルノ』で長年のライバルであったポール・ニューマンや、かつて共演したダナウェイと共に出演して世界的な大ヒットを記録した後、マックイーンは公衆の前から姿を消し、オートバイレースに集中したり、モーターホームとヴィンテージのインディアンと共に国中を旅行した。

彼は1978年の『民衆の敵』まで復帰しなかった。ヘンリック・イプセンの戯曲を映画化した本作では、ヒゲを蓄え眼鏡を掛けた19世紀の医師を演じたが、全国での公開は見送られ、自主上映会などで公開された。
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彼の最後の2つの映画は、実話に基づいていた。『トム・ホーン』は、元陸軍の斥候兵がプロのガンマンとして大牧場に雇われ牛泥棒を追い詰め、後に羊飼いの少年を射殺した容疑を掛けられるという西部劇。
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『ハンター』は現代の賞金稼ぎについてのアクション映画で、両方とも1980年に公開された。
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《逃した役》
マックイーンは『ティファニーで朝食を』の主演男優を依頼されたが、『拳銃無宿』の契約のため受けることができなかった(代わりにジョージ・ペパードが起用された)。
また『オーシャンと十一人の仲間』、『明日に向って撃て!』(彼の弁護士とエージェントはポール・ニューマンの弁護士とエージェントと出演料に関して合意することができなかった)、『ザ・ドライバー』、『地獄の黙示録』『ジャックポット』、『ダーティハリー』、『遠すぎた橋』、『フレンチ・コネクション』(彼は他の刑事映画に出演したくなかった)、『未知との遭遇』などの出演も依頼されていた。
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『グラン・プリ』のDVDに収録されたジョン・フランケンハイマー監督とジェームズ・ガーナーのインタビューによると、フランケンハイマーは当初アメリカ人F1ドライバーのピート・アーロン役にマックイーンを考えていた。フランケンハイマーはマックイーンに会って出演交渉をすることができず、代わりにプロデューサーでビジネスパートナーのエドワード・ルイスをマックイーンの元に送った。マックイーンとルイスはたちまち衝突し、会談はご破算となり、ガーナーがアーロン役に起用された。
スティーブン・スピルバーグ監督は『未知との遭遇』のロイ・ニアリー役に当初マックイーンを考えていた。『未知との遭遇』のDVDでスピルバーグは、バーでマックイーンに会い、そこでマックイーンはビールを次から次へと飲んで酔っ払っていたという。別れる前にマックイーンは、スピルバーグに対して役を受けることはできない、なぜならキューに合わせて泣くことができないからだと話した。スピルバーグはニアリーが泣くシーンをストーリーからカットすると申し出た。しかしマックイーンは異議を唱え、それは脚本の中で最高の場面だと語った。ニアリー役は結局リチャード・ドレイファスが演じることとなった。
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ウィリアム・フリードキン監督はマックイーンを『恐怖の報酬』(1977)の主役に起用することを望んだ。
『恐怖の報酬』はドミニカ共和国で主に撮影されることになっていたが、マックイーンは撮影期間中にアリ・マッグローと離れたくなかった。マックイーンはマッグローをプロデューサー役で出演させるようフリードキンに頼み、彼女は主要部分の撮影時にその場に居合わせることが考えられた。フリードキンはこの状態に同意せず、マックイーンの代わりにロイ・シャイダーを起用した。
フリードキンは後に、マックイーンを起用しなかったことが映画のパフォーマンスと興行収入を損なったと述べている。
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スパイ小説家のジェレミー・ダンズは、スティーブ・マックイーンがイアン・フレミングの小説『ダイヤモンド密輸作戦』の映画化において主役として考えられていることを明らかにした。マックイーンは、南アフリカでダイヤモンド密輸組織に潜入捜査を行う秘密エージェントのジョン・ブレーズを演じる。脚本は1964年の時点で存在したが、プロジェクトは複雑化し結局棚上げされた。

マックイーンとバーブラ・ストライサンドは『ガントレット』に暫定的に配役された。しかし両者のエゴが衝突し、うまくやっていくことができなかった。結局、両者は降板することとなり、代わりにクリント・イーストウッドとソンドラ・ロックが起用された。
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