気になるブロッコリーレシピ | hiroチャンのブログ

気になるブロッコリーレシピ


【アルバート・R・ブロッコリ】
Albert R. Broccoli
DCIM0138.jpg

アメリカ合衆国の映画プロデューサー。ニューヨーク州ニューヨーク出身。ファンの間ではカビー・ブロッコリの愛称で知られる。
DCIM0135.jpg

本名: Albert Romolo Broccoli
生年月日:1909年4月5日
没年月日:1996年6月27日(満87歳没)
出生地:ニューヨーク州ニューヨーク
死没地:カリフォルニア州ビバリーヒルズ
国籍:アメリカ合衆国

ロングアイランドのイタリア系の家系に生まれる。フロリダに移るが、父親の死に伴ってクイーンズ区の祖母の元に移る。

ハワード・ヒューズ監督の『ならず者』(1941年)の下働きからスタジオに入る。第二次世界大戦勃発とアメリカの参戦によりアメリカ海軍に従軍するが、戦後ハリウッドに戻ってエージェントの仕事に就く。

アーヴィン・アレンと組んで、インディペンデント制作会社ウォーリック・フィルムズを設立して1950年代の初めにイギリスに渡り、『赤いテント』『零下の地獄』などアラン・ラッド主演の冒険映画を製作。

1962年にハリー・サルツマンとともにイオン・プロダクションを設立。
イアン・フレミングの007シリーズの映画化権を所有していたサルツマンと、007の映画を共同製作するために設立したプロダクションだった。
第一作『007 ドクター・ノオ』を成功させ、生涯に渡り007シリーズのプロデューサーを務めた。
第十作『007 私を愛したスパイ』からは、サルツマンがイオン・プロを離れたこともあり単独のプロデューサーとなる。
DCIM0136.jpg

1981年に映画界への功績を認められアービング・G・タルバーグ賞を受賞。プロデューサーとしてクレジットされた最後の作品は『007 消されたライセンス』。
DCIM0137.jpg

次作『007 ゴールデンアイ』は存命中の作品だったがプロデュース業からは退き、後継として娘のバーバラ・ブロッコリと、継子のマイケル・G・ウィルソンにプロデューサーの座を譲った。逝去後の『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』のエンディングに、追悼の一文が挿入されている。

《プロデュース作品》
ボンド映画
007 ドクター・ノオ Dr. No (1962)
STIL0024.jpg
STIL0118.jpg

007 ロシアより愛をこめて From Russia with Love (1963)
STIL0127.jpg

007 ゴールドフィンガー Goldfinger (1964)

007 サンダーボール作戦 Thunderball (1965)

007は二度死ぬ You Only Live Twice (1967)
STIL0121.jpg

女王陛下の007 On Her Majesty's Secret Service (1969)
STIL0128.jpg

007 ダイヤモンドは永遠に (1971)
STIL0124.jpg

007 死ぬのは奴らだ (1973)
STIL0126.jpg

007 黄金銃を持つ男 (1974)

007 私を愛したスパイ (1977)

007 ムーンレイカー (1979)

007 ユア・アイズ・オンリー (1981)

007 オクトパシー (1983)

007 美しき獲物たち (1985)

007 リビング・デイライツ (1987)

007 消されたライセンス (1989)

その他の主な作品
赤いベレー (1953)
零下の地獄 (1954)
男の城 (1954)
黄金の賞品(1955)
生き残った二人(1955)
熱砂の舞(1956)
海の荒くれ (1957)
今は死ぬ時でない (1958)
キリマンジャロの決斗(1959)
腰抜けアフリカ博士 (1963)
チキ・チキ・バン・バン (1968)

【ブロッコリー】
アルバート・R・ブロッコリの伯父であるパスクァーレ・デ・チッコは、食用野菜として世界的に広く食されているブロッコリーをリトアニアからアメリカへ持ち込み広めた人物である。


アナタが広めてくれたおかげでぇ、ワタシの好物が一つ増えたニャー。

STIL0504.jpg

.