1959年12月から1984年まで続いた北朝鮮帰国事業というものがあった。

北朝鮮とその出先機関である朝鮮総連が組んで、「北朝鮮は天国」というキャンペーンとマスコミ工作が行われた。共産主義に幻想を抱いく、「進歩的文化人」が、これに拍車をかけて「北朝鮮帰国事業礼賛」となった。


そんな社会風潮の中、テレビも報道しない、新聞も書かない中、真っ向から朝総連の実態を暴き、帰国事業を批判するビデオを制作。機関誌紙、ビラ等と合わせて「日本人妻自由往来運動」を展開した。

(※記録にはないが、まず韓国語版を作り、それを日本語化したようである。)




 

北朝鮮によるマスコミ工作にまんまと乗せられている(確信犯の可能性も?)、1974年当時の朝日新聞の記事。 

 

 

世界情勢の変化はあっても、北朝鮮の出先機関として、朝総連や小平の朝鮮大学の役割は、当時とほとんど変わりないものと考えられている。「スパイ防止法」の必要性が叫ばれるところである。