📓 批判的思考について — それは優しさの一形かもしれない



最近、とあるサイトで「批判的思考」について投稿した。

すると、アメリカ人の方がコメントをくれた。

丁寧で礼儀正しかったけれど、僕の考えにはっきりと反対していた。


彼はこう言った。

「君は批判的すぎる」と。


なぜそう思ったのだろう?

その理由は、実はとてもシンプルだ。

彼は批判的思考と、根拠のない否定を混同していた。


でもこの二つは、似て非なるものだ。


僕にとって、批判的思考とは「賢くなるための術」ではない。п

騙されないための術だ。

感情ではなく事実を選び、

心地よい幻想ではなく、厳しい現実を受け止めるためのツール。


特に次のような場面で必要だと感じている:


  • 科学において:どれだけ美しく聞こえても、それが真実とは限らない。
  • 政治において:スローガンに流されず、実際の行動を見極めるために。
  • そして何よりも、自分自身の世界観に対して。


なぜなら、一番巧妙な操作者は、

誰か他人ではなく、

自分の中にいる声だったりするから。


僕たちの内なる声は、

「自分が信じたいこと」をちゃんと知っている。

そして、それを「真実」として差し出してくる。


でも、本当に大切なのは、不快なことも受け入れる勇気だと思う。


ある考えが「好き」だからといって、

ある理論が「しっくりくる」からといって、

それが真実だとは限らない。


「信じたい」という欲こそが、

時に一番危険な罠になる。


だからこそ、自分に問いかけなければならない。


「それ、本当に正しいのか?」

「それとも、ただ信じたいだけなのか?」


批判的思考とは、すべてを否定することではない。

それは、自分に対する誠実さだ。

見たくない現実を、ちゃんと見る強さ。


「間違っていたかもしれない」

「でも、今は少しだけ多くを理解できた」


そう言える自分でありたいと思う。