ます、この画像は、昨日の朝です。
まだ、今日(12日)の朝日は、出てない?からセーフかな?。
1時間程は寝られました(入眠は、割と良いタイプ)。
それと、悪夢(ほぼ職場)は劇的に減ったし。
まあ、睡眠障害による事故にさえ気をつければ、ぶっちゃけ問題ないかも?
そもそも、勤めてないし?
もう「眠れない」なんて嘆くのはやめだ。
そう「眠らない」んだよ。
自分は、ずっと危機的状況に置かれてきた。
だから、本能的に緊急?警報のスイッチが入ったってことにしておこう。
警報のスイッチが入ったとしても、それが「安全」だとした、誤報はむしろ「吉」だよね。
人生、プラス思考で行こう。
それに、よく考えたら、自分のマイナスの部分って、大きくは見当たらないし?
寝られないのなら、夜を楽しんじゃおう。
音楽が、映画が好きで良かった。
そして、一応だけれど「教育学士(教育学部大卒)」「芸術修士」(芸術学部院卒)で、良かった。
とりあえず「外面」は、揃えたし……。
免許だって65歳まで有効だけれど、多分、もう使わないだろう。
さあ。間もなく午前1時。
お楽しみは、これからだ。
今日の予定は、「フィールドワーク」「図書館」だけ。
余裕だね。
全て自分の市町にあるので。
久しぶりにカラオケに行っても良いけれど。
「焦らない、焦らない……」
「急がない、急がない……」
ブラック職場だったけれど、そもそもの根っこは、違う部分にあったかもしれない。
医師(精神科医)に「アスペ?ですか?」「PTSDですか?」と伺ったが「違うと思う」とおっしゃった。
間違っていた。
「共依存ですか」と聞くべきだった。
自分のカルテには「うつ病」「自律神経失調症」「不眠症」と、古典的な病名が並ぶ。
まるで「17歳のカルテ」だ。
もっと、今風の名前のような気もするが、まあ、それも「他の人から見ただけ」のこと。
もう「人と比べない」。
それから、何度も確認する。
もう、還暦間近だけれど「よゐこ」やめました。
母も諦めてくれたようだけれど、時々「支配と服従」の図式を出してくる?
「ボケた」のかな?
まあ、それも含めて「すべて受け入れる」覚悟はある。
ACだと思っていたけれど、実年齢は間もなく60歳。
脳年齢は20歳だそうだけれど、もう成人式だよね。
「永遠の仔」だとしても、それに何の罪があるのだろうか?
私を責めている、もう一人の自分へ。
「別に、寝られなくてもへーき。逆にありがとう。ゆっくり、好きな映画・美術・音楽のことをする。よかった美術で……」
そう言えば、来週、自分が突然集めた3人(自分を含めて4人)は、全て「音楽が出来る人」たちだ。
A君(中学校32年勤務・美術)……ピアノ、オカリナ、鍵盤楽器、歌?
B君(中3年・残りは小・現小勤務)……フルート、トランペット、あとは?
C君(全て小勤務・現小勤務)……ギター、あとは?
D君(一人だけ、教育関係ではない。一番の幸せ者)……ドラム(休符が読めなくて困るけれど)、ギター、あとは?
全員、高校の時に、同じバンド、違うバンド、またはブラスバンドをしていた。
なんとなくチョイスしただけの人たち。
消息不明ではなく、連絡がついたから集めた人たち。
全員、音楽が出来る(と思っている)。
もしかして、4人(または、+α)で「なんちゃって音楽活動」ができるかも?
4人で集まる(来週)のは、運命でも、偶然でもないのかも?
これは、必然であり、自分たちの意志で集まるのかも?
そうだ「音楽」で、語ろう(共通語)。
「美術」で語るのはナンセンス。
それに、そこには、逆に「音楽の専門家」はいないので、ぶっちゃけ「楽」。
これは「セッション」だね。
申し訳ないけれど、自分が音頭を取ろう。
そもそも、集めたのは自分だから、心のお土産をプレゼントする。
「記憶が飛ぶ」のなら、メモをとればいい。
写真を撮れば、さらに簡単。
さあ、新しい今日の始まりだね。