音楽の話とは 全然関係ないのですが 書き留めておきたくて…
私の身の上話ですので ご興味無い方は どうかスルーしてください

この 音楽ブログを始める前は
発達障害や毒親の自分の家族について 書いてました…

身体的な虐待を受けたわけではありませんが 
「ちょっと変わった親」でした…

結婚したのも そこから逃げたい気持ちもありましたが
そんなことで逃げた人間には 幸せは待っていませんでした

30年近く一緒に来た夫は たぶん発達障害グレーゾーンなのだと 7〜8年前に気が付きました

そして 実母もそうだったんだろうと 気が付きました
実弟が居ますが 弟は 生粋の発達障害…
子供の頃から その気配がありましたが 昔は「ちょっと トロい子」くらいで済んでいました

私を取り巻く彼らのお陰で 結婚生活も子育ても大変でした

私のような人間を「カサンドラ」と言うそうです

10年くらい前に 実母と弟を 悪く言えば見捨てました
連絡を絶ったのです

実父が一番 酷く まぁ そのせいで 機能不全家族になったのですが 実父も どこでどうしているのかわかりません

夫とも離れたかったけど 持病があり 実家に頼ることもできない私は 2人の子を抱えて働くのは無理だと ほぼ同居人として今までやって来ました

15年前くらいに初めて痛くなった足…
手術が出来る環境でなかったので 騙し騙し 今まで来たのですが
今年になって 急に痛みが増し それにつれて あちこち悪いところが見つかりまして…
どこから先に酷くなって行くのか?予想もつかず…
もう 先が短いのではないかと…

そうしたら 思い残してることをなんとかしたくなりました

母のことは 昔のことを 度々 思い出しては 怒りが込み上げて来て 手紙を書こうと何度も文章にもしたのですが まだ数ヶ月前までは 母を責める言葉で溢れていました

足の痛みがピークで 心も弱っていた2か月くらい前 思い切って 母に電話しましたが かかるものの 出ては貰えませんでした
毎日 毎日 電話をしましたがダメでした
息子に 家にも行って貰いましたが 出て貰えなかったそうです

そうするうちに 母の誕生日が近いことに気付き いくつになるのかな?…と 計算したら
なんと「80歳」?!
傘寿と言うヤツです!
何か お祝いしたいし 80?ほんとにもう 話せないかもしれないし 孤独死?なんてことになったら大変です!

意を決して また手紙を書きました
息子に 郵便受けに入れてもらいました
息子がネットで探してくれた傘をプレゼントに送りました

そうしたら?
なっなんと!メールが!
 ショートメールが来ました!

母は ずーっとガラケーで 私が知ってる頃は 苦手でメールも出来なかったんですよ?

手紙と傘のお礼と 80まで生きれて親に感謝している〜と始まり
ショートメールなので 何回かに分けて 今はすぐには そんな気持ちになれないので また連絡します〜と綴られていました

私には充分なメールでした

母の方から
「後で電話する」と言われてから10年ですね

…と言われ 離れて10年も経つことを知りました
いつからかもはっきり覚えていませんでした
私も 自分がいっぱい いっぱい だったのでしょう

母には 長いこと淋しい想いさせてごめんなさい
いつまでかかってもいいので連絡ください〜と返信しました

そこから 何日か 短いメールのやりとりをして…

1週間後に 家に来てくれました
夫が居ない夜に 来てもらい 夜11時から 気がついたら朝になっていて 翌朝8時まで話していました

母は そりゃあ歳は取って お婆さんぽくなってましたが 子供の頃は オシャレで綺麗な 友達には自慢の母でした
相変わらず 服装はオシャレでした

お喋り上手で 気が若いところも
変わっていませんでした
この年齢なら 密かに心配していた「認知症」なんて全然無くて 10年前のまんまでした

私が相変わらず「音楽」が好きで いっぱいライブに行ってんよ!〜と話すと 母の口から「藤井風」って言葉が出てビックリ?!
紅白を観て いいなぁ〜と思っててん〜って!
藤井風くん ほぼテレビに出ない人やのに!
お母ちゃんは 新しい物が好きで 変わらんなぁ…と嬉しくなりました

母に 藤井風くんの「帰ろう」って曲が好きで
「憎み合いの果てに何が生まれるの?私…私が先に忘れよう」
って歌詞があって その気持ちになれるまで10年かかった〜と言いました



もう2度と会わないし 危篤とか 亡くなったとか 連絡あっても行かない!…ってずっと思ってたけど それは 何かに抗っていただけで きっと本心はそうでは なかったのです…


母に 会う直前 

「お互いに 恨んだり 責めたりしたいことはあるかもしれないけど 後 どれだけ一緒に居られるかわからないから 残りの人生は楽しいことだけ 考えましょう」とメールしました


宇多田ヒカルさんが大好きで

足が痛くなって この先ライブはエントリーしないでおくつもりですが 宇多田ヒカルさんだけは行ってみたいなぁ…

宇多田ヒカルさんもお母様との関係が複雑みたいで

好きな この曲…

お母様への曲だと聞きました

花束を君に贈ろう

言いたいこと 言いたいこと

きっと山ほどあるけど

神様しか知らないまま

今日は贈ろう 涙色の花束を君に」


そう〜

ほんとのこと〜言いたいことは

口に出さなくていい…

神様だけが知っていればいい〜


この10年 お互い 別の場所で 考えて悩んで…わかったことがあるはずですから…



ほんとに 淋しい想いをさせてごめんなさい…

そして 私も淋しかった…

でも 離れなきゃ こんな気持ちになれなかった…


他人は

「親子なんだから」

「血が繋がってるんだから」

「亡くなってから後悔しても遅いから」


ありきたりな励まし…

どんな言葉も響かなかった…

そんなん わかってる!わかってるけど 許せなかった…


足が痛くなって 自分もいつまで生きられるか?考えたから こんな気持ちになれた…


きっと 頑固な私に 神様が知らせてくれたんだろうな…と思います


明日 お母ちゃんと ショッピングモールに行きます

あんまり歩けないけど それはお互い様…

阪神がアレがアレして セールとかあるんとちがう?…と昔からプロ野球好きの母に聞きました


次は30年ほど会ってない 母の妹 叔母を探そうと思います

叔母は ずーっと御先祖様のお墓の守りをしてくれてました

今はどこに居るかわかりませんが 手掛かりはあるので 私が頑張って探してみようと思います


弟は グループホームに入れて貰って なんとか暮らしているそうです

母も何年も会ってないらしいですが 今度 2人で面会に行ってみようか…と言ってます


弟は ほんとに 子供の頃から いろいろやらかしてくれて…母も私も しんどかったです


このインターネットと言うもののお陰で「自分だけがしんどい」って言う気持ちが軽減される良い時代になったと思います


無さそうに見えて みんな何かしら 抱えています


私も お気楽にライブに行きまくってたわけじゃ無く…

現実逃避や 生きてる証や そうすることで 心のバランスを保っていました


でも 今 毎月のように行ってたライブに行けず ふと

「あぁ〜ライブ行きたいな…」と思うことがあります


でも これからは母が居ます…

母の為に 出来ることをしてあげたいと思っています


長々と つまらない話 

読んでくださり ありがとうございます


おやすみなさい