2 ヌスバウム先生の講演

メインテーマは一言でいうと「高齢者差別と差別解消への対策」。

(1)導入ーキケロとカトー

導入は、なんとキケロ。笑 木庭シューレにとってはおなじみの名前です。笑

キケロとセネクテュート、タイタス・ポンポニウス・アクタス。

キケロとセネクテュートが、「老齢についての悩み」をカトーおじいさんに聞きに行くところからはじまる。

このカトー、多分『笑うケースメソッド』に出てくる農業家やな。笑

BC135年時点で83歳。

カトーからキケロへの高齢者の4つの特徴の説明。高齢者は頭も体も使わないみつダメになる、など。

BC45年くらいからすでに高齢者への偏見があったことがわかる。

キケロは、これに反駁し、むしろ軽い感じの笑い話にしている。

(2)差別と嫌悪感

この話はモロ『感情と法』(原題“Hinding from Humanity”)の話。

ポール・ロジンはコオロギクッキー(?)の実験などから、嫌悪感は、自分自身の何らかの動物性を拒絶しているのだと結論づけた。

一次的嫌悪(primary disgust)とは、自身の分泌液、排泄物、臭い、そして死体の腐敗に対する激しい不快感をいう。

もっとも、自身の動物性に対する嫌悪感は、一次的嫌悪を超えて、投影的嫌悪(projective disgust)に至る。自身の動物性を直視することに耐えられないから、自分と自分自身の動物性との間に緩衝帯を作り出す。これにより、緩衝帯に置かれ、差別されるのは抵抗できないマイノリティであることが多い。

ユダヤ人、アフリカアメリカン、ヒンズーの不可触民、ゲイ。

ユダヤ人:嫌悪感、恐怖、羨望

アフリカアメリカン:嫌悪感、恐怖

ヒンズーの不可触民:不潔、弱い

ゲイ:嫌悪感、羨望、有能

※なおレズビアンはゲイほど嫌悪されない。おそらくアナルセックスをせず、体液の混じり合いがないから。

スティグマと社会階級。ジョージ・オーウェル、ウィリアム・ミラーは、ホワイトカラーはブルーカラーの家は不潔と考えがちだが、実はほぼ変わらないと指摘する。

男性は、女性とのセックス後に、欲求を満たせば、女性を避けようとする。が、女性と暮らすのは問題と思わない。

嫌悪感は興奮と表裏→だからDVなど、より執着する

(3)高齢者嫌悪の特殊性

人、特に若者は接触を避けたいと感じる。

(生殖の観点からは合理的?故に進化的?)

シワやシミへのスティグマ。

しかし、スティグマだが真実である。

高齢者が類型的に死に近いのは間違いない。

ただ、カトーによると、誤解も多く、それらをelder speakという。

人種や社会的階層についての偏見=根拠はなく幻想

高齢者と障害者に対する偏見はある程度根拠がある。死に近づくこと、健康をそこなうことへの恐怖、嫌悪。

ジェンダーへの偏見はその間。

例として、高齢者は赤ちゃんをあやすようにしゃべりかけられることがある。障害者も同様。

カトーの、年寄り舐めるな発言。笑

ソフォクレスの財産管理能力が争われた裁判で、ソフォクレスはオイディープスを語り、「これでもワシに知能がないというのか?」と激おこ。陪審員は90歳を超えるソフォクレスに対し、財産管理能力ありと判断した。

また、元老院はcenesじゃん?年寄りは偉大よ〜

「若者よ、我々は老化と闘わなければならない。健康によい生活をすべきである」

なお、ヌスバウムによれば、古代ローマの記録類にアルツハイマーの記述は一切ないので、アルツハイマー病は現代の環境悪化が引き起こしたのであろうとする。古代ローマは今より食事もよかった(???)

障害者への配慮には金がかかる?いくら?最初から障害者に配慮して設計してたらほとんどノーコスト。なのに、健常者は最初から障害者を念頭において設計してないのが問題。

J.S.ミル「支配は、支配する側には被害支配者は見えない」

健常者の社会が自然の摂理と思われてきた。

子供の成長は一律だが、高齢者の老化は人それぞれ。

たるみやシワへの恐怖→「老い」からは逃れられない→自己嫌悪に

高齢者への偏見:古い→子供の頃から内在化

高齢者の健康のベースラインがわからなくなっている。医者も、高齢者が病気で普通じゃないのに高齢のせいにすることがよくある。結果、高齢者はあきらめ、健康維持をしなくなる。

また、「いいおばあちゃん」は「ひとにつくす」というステロタイプがある。

高齢者は、ときに自分は年寄りでないと主張する。→逆に浮く危険性。

(4)高齢者差別解消への政策提言

高齢は最後のスティグマ領域

強制退職を禁止すべき。

年金受給年齢と退職年齢の調整は必要。

active老人が、色々な人との関係を断つことになるのがこわい。若者と老人の友情もあってよい。

(5)終わりに

ウォルター・ホイットマンの詩

「自分から逃げるのをやめよう」

「自分の腸管を、血を、愛そう」

(※私は『fate zero』の雨流竜之助が自分の腸を見て目を輝かせるシーンと、『harmony/』の御冷ミァハの「このおっぱいは、この子宮は…」のセリフを思い出した。さらにいえば『チャタレー夫人の恋人』や『悪徳の栄え』に繋がるイメージではある)