浜松と掛川へ旅行しました。
その地に旅行しようとおもった切っ掛けは、ジグソーパズル。
お城のジグソーパズルを探していたら、掛川城のものがあった。
その城の姿に一目惚れしました。
松山城のジグソーパズルもあって、どっちにしようか迷って、結局松山城のほうを選んだ。
松山城も憧れのお城です。
夏目漱石の坊っちゃんの舞台になった松山へも旅したいのですが、遠すぎる。
まあ、掛川なら適当な距離。
そして、掛川城のジグソーパズルを組み立てて飾るよりも、じぶんで撮影した写真を部屋に飾ることのほうが、意義があるのではないかと考えました。
ということで、松山城のほうはジグソーパズルを部屋の壁に飾ることで、じぶんに諒としたのです。
いつの日か松山へ旅します。
掛川城以外の観光スポットをグーグルマップで探していたら、浜松城にも近いことがわかりました。
ついでに浜松城の写真も撮ろう。
かくして、浜松と掛川への旅を計画しました。
東海道新幹線のひかりに乗って、一時間半くらい、正午まえに浜松駅に到着。
浜松は大河ドラマ「おんな城主直虎」に染まっていました。
そして、ちょうど浜松まつりの真っ最中でした。
今年の一月頃に旅を計画したのですが、まさか、浜松まつりが開催される期間だとは露知らず、それを知ったのは、旅する二週間くらいまえ。
もともとは、浜松城と楽器博物館を見学してそれっきり、予約したビジネスホテルがある掛川へ移動する予定でした。
ところが、凧揚げ合戦が行われるということを知り、最初の予定を変更しました。一年に一度しかやらない凧揚げ合戦を見ない法はない。
シャトルバスに乗って、凧揚げ会場へ。
凧の群れが見えてきた。
浜松の各町ごとにオリジナルの凧があって、その参加数147か町!
法被、半纏、股引、地下足袋姿の浜松っ子が、凧を揚げて、競い合っていました。
空で凧と凧の熱い戦いが繰り広げられていれば、地上では男が相手の胸ぐらをつかんで、喧嘩になりそうな場面に遭遇しました。
勝負に夢中になるあまり、カッカして頭に血がのぼる人もいるのです。
女性も子供も法被、鉢巻き姿で、粋でした。
じぶんもまわりの熱気に影響され、気分が揚がりました。
一見の価値あり。
凧揚げ合戦会場を去り、浜松城へ。
途中、ミス浜松2017に選ばれた三人の女性を撮影。
糸の切れた凧がふらふらと三人に吸い寄せられました。気ままな一人旅のよいところ。
徳川家康が武田信玄を相手に、みじめな敗北を喫した三方ヶ原の戦い。
この浜松城から家康は出陣しました。負けるのを承知で戦いに挑んだといわれています。
一枚も二枚も上手の信玄に挑み、命からがら浜松城に逃げ戻って、くやしさに涙を流したのと同時に、生き延びて安堵したことでしょう。
ひたすら浜松城に籠って、信玄の軍団が城を無視して西進するのを眺めているだけの選択もあったのです。あえて出撃した理由は定かではないですが、家康なりの考えがあって決断したのです。大敗しても、きっと何かを学んだはずです。
浜松の夜の街では、御殿屋台引き回しといって、絢爛豪華な屋台が通りを練り歩くまつりが行われます。
ですが、あいにく掛川で宿泊するホテルのチェックイン時刻が迫っているので、惜しいですが、浜松を後にしました。
翌日、チェックアウトしたあと、掛川城へ向かいました。
掛川城といえば、山内一豊とその妻、千代にゆかりのあるお城として有名です。
関ヶ原の戦いのおり、多くの武将が東軍に組するか西軍に味方するか決めかねていたところ、城主であった一豊は誰よりも真っ先に家康に味方することを宣言し、さらには、そっくりそのまま掛川城を東軍に使ってもらうよう家康に捧げました。
それをみたほかの武将は一豊に倣い、続々と東軍になびいたのです。
このとき大喜びした家康は戦後、一豊を土佐一国の主にして、その功績に報いました。目覚ましい出世となりました。
浜松城よりも、掛川城のほうが好みです。
二の丸茶室では、茶の湯を初体験しました。
亭主が小学四、五年生くらいの女の子でした。
客であるじぶんと一対一ではなく、そのうしろに師匠の女性がついていて、茶を点てる女の子に指導していました。
若干慣れていないようすでした。順序を間違えても、師匠に指摘されつつ、落ち着いて茶を点ててくれました。
顔立ちが可愛らしく、成人すればたぶん美人になるでしょう。鈴木春信の浮世絵に描かれた女性のように、すらりとしている女の子です。
じぶんはまったくの素人でしたが、あまり緊張せずに茶をいただきました。観光客相手の茶道です。厳格な作法を求められず、気楽に体験できたのです。
二の丸美術館には、繊細な日本の伝統工芸品が展示されていて、それらの美しさに息を呑みました。とくに、たばこ道具の蒐集に力を入れています。
日本人の美に対する研ぎ澄まされた精神が、美しい展示品を通して、伝わってきました。
ステンドグラス美術館では、十九世紀にイギリスで作られた本物の作品が飾られています。
キリスト教の話に基づく、鮮やかながらも、やわらかい色彩と光のステンドグラスに、心が穏やかになりました。
竹の丸には、近代日本家屋が保存されています。
掛川城下で葛布問屋を営んでいた豪商松本家が、明治三十六年に、この日本家屋を建てました。右側の平屋の建物が主屋で、それにつながっている左側の二階建てが離れです。
庭にいると汗ばむほどの暑さでしたが、建物のなかは、涼しかった。日差しは遮られ、風通しがよく、快適でした。
掛川駅の北側には、白壁のお城が聳え建っていますが、南側には掛川花鳥園があります。
たくさんの観光客が訪れていて、とても混雑していました。鳥たちとじかに触れ合いが楽しめる人気観光スポットです。
ペンギン、カモ、オシドリ、インコ、フクロウ、タカ、エミュー、ハシビロコウなど、種類が豊富です。
目のあたりがピンク色に染まっています。アイシャドウのよう。
日向ぼっこしているペンギンが多数派でした。
森の哲学者フクロウ。
このフクロウを含めたタカ、ワシなどの猛禽類は泰然自若、堂々としています。
生態ピラミッドの頂点にいて、ほかの動物に襲われて捕食される心配がないゆえ、堂々としているのかもしれません。
インコはよく飛んで動きまわっていました。コガネメキシコインコといいます。
何らかの拍子にびっくりすると、いっせいに温室内を群れて、飛び回っていました。
さらにインコは餌をもった人間に近づいて、腕にとまったり、頭に乗ったりと、親しむものもいます。
掛川花鳥園では、インコに直接餌を与えて、コミュニケーションができるのです。一部を除き、基本、檻や金網ごし、ガラスごしに鳥たちを観ることはないから、迫力あります。
ペンギンやフクロウ、カモにもさわれます。
温室内では睡蓮の花が綺麗に咲いていました。
人気者ハシビロコウにも大接近。
デカい!くちばしが重そう!
ほかの鳥とは違う独特の雰囲気があります。鳥ではない別の生きもののような気がしました。
からだに比べて、やたらとくちばしが大きい鳥オニオオハシもいました。
愛嬌があります。
インコには触れなかったけど、じぶんはダチョウの仲間、エミューの背中を撫でました。インコは警戒心を忘れませんが、エミューはまったく人を恐れません。
生態ピラミッドの頂点に君臨する猛禽類は堂々としているといいましたが、エミューのような大型の鳥も同じようです。
餌を求めて、のっしのっしと歩き、人間に近寄ってきます。攻撃性はなくて、くちばしで突っつかれることもなく、おとなしい鳥です。だけど、ちょっと腰が引けました。
掛川の観光スポットを巡るに、これを買うといいでしょう。
1,800円です。
これがあれば掛川を代表する観光スポットを全てまわれます。各観光施設の受付の人に提示して、スタンプを押してもらえば、入れます。
じぶんは掛川城の入場券売り場で購入しました。それぞれの観光施設でも売っていますが、数量限定とのことです。
全観光施設をふつうにまわると、3,020円も支払うことになります。さらに市内循環バス利用券が一枚付いて一回乗れます。じぶんは掛川花鳥園への移動に、掛川駅から市内循環バスを利用しました。
ほかにも特典があって、お店でお菓子やグッズをもらえたり、食事のときに割引されたりします。
掛川まるとくパスポートはお薦めです。
おみやげの紹介。
凧揚げ大会では、凧のバッジとストラップを買いました。
どっちの凧も、空に浮かんでいるところを、肉眼で確認しました。
二の丸美術館では、
二枚のポストカードです。左側は印籠とそれらを収めた箱、右側は花瓶に象嵌された蛸です。
蛸がすごく不気味で、金の眼が鋭く、おどろおどろしい。塚田秀鏡という江戸、明治、大正を生きた金工師の作品です。展示品のなかでも、この人の作品にいちばん惹きつけられ、圧倒されました。
ステンドグラス美術館でもポストカードを買いました。
パウロ像と善き羊飼いです。日本人の美の感覚とは、また違った魅力があります。
掛川花鳥園では、シリアルボウルを買いました。
ヘビクイワシの絵が描かれています。横向きの姿は、古代エジプト壁画を彷彿させ、気に入りました。このヘビクイワシを観ることができなかったのは悔いが残ります。
あと、家族のために掛川茶とたこまんを買いました。掛川はお茶の産地として有名ですから、定番土産となります。たこまんは餡をカステラ皮で包んだお菓子です。ちなみに、このたこは、凧のほうではなく、蛸のほうです。
帰宅の途につきました。新幹線に乗らず、復路は普通列車を乗り継ぎ、東京まで四時間ほどかかりました。ほぼ立ちっぱなしだから、脚に疲労が溜まりました。
浜松と掛川はもう一度旅したいです。
浜松まつりの夜の御殿屋台引き回しをぜひ観たい。高天神城跡にも行きたかった。
次は一泊二日ではなく、二泊三日にしたいものです。