夏目漱石の本読んだことある?

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう

 
「自分に肩書は必要ない」
 
1911年のこの日、
文部省から、
文学博士号を授与しようとの話がありましたが、
夏目漱石は、そういって断りました。
 
漱石らしいですね。
 
そして、漱石はこんな句を残しています。
 
「菫程な 小さき人に 生まれたし」
 
今度生まれ変わったなら、
市井の人でありたいとの願いが込められています。
 
この一句で、
漱石の人生が語られているかのようです。
 
漱石の作品はほとんど読んでいます。
 
明治時代は、
江戸の文化と西洋文明が混然としている時代で、
旧い価値観が急激に、或いはだんだんと失われてゆき、
そして、
新しい価値観が海外から怒涛のように押しよせてきました。
 
その時代なかで、
漱石自身も旧い価値観と新しい価値観の間に精神が揺れ動き、
引き裂かれるような苦悩に襲われたのでしょう。
 
その苦悩は、
『三四郎』から始まる作品を通して表れています。
 
『吾輩は猫である』や『坊つちゃん』といった作品は、
漱石がノイローゼから脱出するために、
楽しみながら書いたようで、明るく楽しい。
 
それに比べて、
『彼岸過迄』『行人』『こころ』などは非常に重たい作品です。
 
日本人が軽薄に浮かれて、
西洋文明をやたらと貪るように吸収してゆくのをみて、
漱石は苦々しく思い、さらには危うくおもった。
 
『三四郎』で主人公の三四郎が
汽車の中で出会った髭の男とこんなやり取りを交わします。
 
三四郎
「(西洋文明を受け入れて)しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」
それに対して髭の男は、
「滅びるね」
と、すましていったのです。
 
日露戦争に勝ったばかりの日本でこんなことを冷静にいう髭の男に、
びっくりするんです。
三四郎は熊本出身ですが、
熊本でこういう発言をすれば、殴られ、国賊扱いされると、驚いた。
だから、平気でこんなことをいう髭の男を怪しんだ。
 
のちに髭の男の正体を知ることになるのですが、
三四郎はこのとき、心底熊本を出たような気持ちになり、
世間は広いということを噛みしめたのです。
 
この会話の前に、
髭の男は正岡子規について語っていて、
子規が果物が大好きで、いくらでも食う男で、
あるとき樽柿を十六個も食べたと三四郎に話しました。
 
つまり、
この髭の男は漱石自身なのでしょう。
漱石は正岡子規の友人でした。
じっさいに子規が、
樽柿を十六個も食べたところを見た可能性があると思われます。
 
「滅びるね」は、漱石の慧眼です。
 
冷徹に日本を診ていたのでした。
漱石の凄みがわかると思います。
 
でも、漱石は、
「菫程な 小さき人に 生まれたし」を詠んだのです。
 
そういう人です。