大河ドラマの真田丸の視聴率がなかなか好調なようです。


その真田氏発祥の土地、信州上田へ一泊旅行しました。


北陸新幹線はくたかの指定席をとって、

よかった。

自由席が満員のため指定席車輌の通路にまで、

乗客が追い出されてるくらいでした。


上田はときおり青空が覗く曇り空。


お腹がすいた。


麺将武士(もののふ)で幸村というラーメンをいただきました。

武将の名前がついたラーメンは、あっさりした白醤油味です。


左近というラーメンもありました。

こちらは白豚骨スープのこってり味だそうで、

左近は石田三成の片腕、島左近から採ったのでしょう。


欲張りなかたは、

両方味わえる左近VS幸村を、ぜひ食べてください。


店を出て、

まず、行った先は、

信州上田真田丸大河ドラマ館でした。



出演者の衣装やサイン色紙、

メイキング映像などが紹介されています。


真田信繁(幸村)が着用する鎧兜も展示してあります。



鹿の角が抜群にかっこいい。


信州上田真田丸大河ドラマ館は、

上田城跡公園内にあります。


桜が開花するまえでしたから、

華やかな彩りがなかったのは仕方ないですね。



だけど、

梅の花は咲いていました。



上田市内を周遊バスが走っていますが、

あえて利用せず北国街道柳町へ歩いて向かいました。







情緒があって、清々しい白い街並みが美しい。


散歩していると、

上田城下の古い町名がそのまま残っているのもいい。

上紺屋町や下紺屋町、大工町、鍛冶町、鷹匠町。

職業によって、住む場所がわかれていたのです。


海野町という町名は、

真田家に仕えた家臣の苗字に由来するのでしょう。


池波正太郎真田太平記館にも立ち寄りました。


そういえばコミック版の鬼平犯科帳に軽く嵌っていて、

ブックオフで買います。

コミック版の作画者はさいとうたかをですが、

原作者の池波正太郎が書いた小説よりも、

多く読みます。


でも、甲乙つけがたい。


コミックはコミックなりの楽しさが、

小説には小説なりの面白さがありますね。


真田太平記はコミック化されているのかは知らないですが、

小説のほうは、いまだ読んだことがない。


真田太平記館に寄ったら、読みたくなりました。


上田の街を歩いていると、

まわりの山々がどうしても目に飛び込んでくる。


ぼくは関東平野のほぼど真ん中に生活しているから、

ふだん山を見ることがなくて、なんか新鮮な感覚がしました。


会津若松に行った時もそうでした。


見慣れている人には何でもないんでしょうが、

関東平野の人間には、空を遮っている山々に対して、

微妙に圧迫されるような感覚を受けてしまう。

あまり旅行しないので、

ことさら感じてしまうんでしょうけど。


気にしすぎですね。


二日目。


頭が重くて、鈍い痛みもあって、

ぐっすり眠れなかった。


上田駅前にある真田幸村の像。



上田市民は、

真田幸村をとても愛して、誇りに思っているに違いない。


上田市民だけでなく日本人にとっても真田幸村はヒーローだ。


バスに乗って、真田氏発祥の地へ向かいました。


真田の郷のほぼ中心にある、ゆきむら夢工房に到着したのが、

およそ20分後でした。


上田市街方面の南西が開けていて、

それ以外は山々に囲まれています。


真田氏ゆかりの観光地を巡るに、

30分間隔で発着する周遊バスを利用するのもいいですが、

ゆきむら夢工房では、

無料で電動アシスト自転車を貸してくれます。

レンタルしました。


手続きを済ませて、

いざ出発!


意気込んで走りましたが、

山間部ということもあって急な坂道がきつい。

電動アシストとはいえ、役立っているのかいないのかわからない。


ふだん自転車に乗ることがおおく、

大したことないと高をくくっていました。


息荒く、

最初に着いたのが真田氏歴史館。



真田三代の変遷や古文書、

1985年からほぼ一年間に渡り、

NHKで放映された真田太平記で使われた昌幸、信幸、幸村の鎧兜などが、

展示してあります。


狭い土地の豪族に過ぎなかった真田一族が飛躍できたのは、

武田信玄に仕えるようになったからです。

知恵に長け、戦も上手く、

信玄の帷幄には欠かせぬ存在に出世していった。


その武田家が滅亡後も、織田、北条、徳川、上杉といった大国に呑まれることなく、

狡猾に遊泳しました。


とくに真田昌幸は、

人の心を読み、裏をかいて、騙す、

ある種、詐欺師のような才能があったんでしょう。


絶対、敵に回したくない人物です。


近くには真田氏館跡があります。



上田城を築城する以前は、

神社になっているこの場所に居を構えていました。


いざ、外敵が攻撃してきたさいは、

ここから1.5キロほど離れた真田氏本城跡に移り、

迎撃したのです。


北風が吹いていてとても寒かったのですが、

地元の人たちが、温かい麦茶を振る舞ってくれました。

味が濃く美味しかった。


真田氏館跡をあとにして、

その真田氏本城跡に自転車を走らせました。


経験したことのない登坂走行でした。

喘ぎ喘ぎ、懸命にペダルを踏みました。

まさかこんなに辛いなんて予想せず、

周遊バスにすればよかったと、後悔。


あまりに辛くて、

へらへら笑ってしまうしかなかった。

寒さと花粉症で鼻水は流れる。

風がびゅーびゅーと強く吹く。

辛さを笑って誤魔化す感じです。


しかし、

それでも諦めずになんとか到着しました。



真田の郷を囲む山々には、

この真田本城をはじめとして山城がいくつか築かれていました。



本郭(本丸)から真田の郷を眺めました。

平地を挟んだ向かいの山には尾引城跡があります。


敵が尾引城に旗を立てれば、

真田一族はこちら側に六文銭の旗を立て、

にらみ合ったことがあったかもしれません。


想像を掻き立てられます。


本郭は平らに均されていますが、

その周囲は急な斜面で、攻めるとなると、

かなり難儀だったに違いない。

攻める足軽の気持ちになれば、

とにかく急斜面にへばりつくのに必死で、

失敗すれば縋るものなく、下まで転げ落ちます。


戦国時代の実戦がいかに厳しいものか、

この山城に登ればよく理解できます。


上りは苦労しましたが、

当然、下りは楽でした。

だけど、スピードの出しすぎには注意してください。

半ブレーキで減速を!


次は長谷寺へ向かいました。


長谷寺は山の斜面に建てられているので、

真田氏本城への坂道に優るとも劣らない大変さがありました。

山の麓に自転車を駐めて、

坂道を歩いていくのもいいかもしれません。


この寺には真田幸隆夫妻、昌幸のお墓があります。



墓石にこびりついた苔の厚さに幾星霜を感じます。


面白いものを見つけました。



訪れた歴史ファンたちが、

お墓のそばに立つ石灯籠に

硬貨を六文銭に見立てて、並べたのです。


粋です。


五円玉がもっとも六文銭らしい。


いつの日か、真田の郷をふたたび訪れるさいは、

かならず五円玉を6枚用意します。


人の背丈よりも高い藁の馬がありました。



受験合格祈願のために、毎年作るのでしょう。


この後は、

山家神社まで民家の間を縫う坂道を下っていきました。


それから次の目的地である信綱寺までは、

ほぼ平坦な道を走りました。


信綱寺には、

長篠の戦いで討ち死にした真田信綱とその妻、そして昌輝のお墓があります。

兄二人が戦死して、末弟の昌幸が真田家の頭領となったのです。





途轍もなく大きな屋根に驚きました。


昌幸は長篠の戦で武田家が大敗することを予想できたでしょうか?

聡明な頭脳で信玄死後の武田家の未来に暗雲がたれこめることを、

予想できたかもしれません。


信綱寺に隣接して、

古城緑地広場と歴史の丘があります。



川のせせらぎ、森の静寂、明るい陽射し。

まばらな人影。

心安らぐ空間でした。


真田昌幸や幸村など戦国武将の花押石碑が、

置かれていました。





ゆきむら夢工房に戻り、

レンタサイクルを返却。

およそ2時間半くらいの真田の郷観光地巡りとなりました。


戻る途中、真田氏本城跡にカメラのレンズを向けて撮影しました。



一部山肌を露出している尾根に、

濃い緑の葉を茂らせた松の木が並んでいる山が真田氏本城跡です。

こうして仰ぎ見ると、この山城の高さがわかります。

なおかつ、真田氏本城を攻める兵士たちの心構えも理解できます。


一泊二日の上田旅行は、

やや体調を崩しましたが、とても充実した旅になりました。

また再訪したいです。


上田電鉄別所線に乗って、

生島足島神社や安楽寺に行きたい。


紅葉期の真田の郷も違った趣があることでしょう。


最後にお土産を紹介。



真田神社で買ったお守り。

図柄が様々あって綺麗です。



六文銭タオル。

シンプルなデザインがいい。



真田魂というお菓子は、

和風なみためですが、洋菓子のようなコクのある味です。

美味しい。



本多忠勝の娘で、真田信幸に嫁いだ小松姫のフィギュア。

薙刀を手にして勇ましく、可愛いです。


以上4点です。


あれもこれも欲しいものがたくさんあったけど、

我慢しました。


城下町って、素敵です。


今度はどこへ旅しようかな。