明治期の俳人といえば、


『正岡子規』であることに、誰しも異論を挟む余地はないだろう。



さらに、


俳句、短歌の近代的改革を切り開き、成し遂げた子規の死後、


その遺志を引き継いだ門下の『高浜虚子』、『河東碧梧桐』を挙げてもいい。



しかし、ぼくにとって『夏目漱石』の名前を忘れてはならない。


子規の親友である漱石も、俳句をたくさん作った。


がらくた文士のブログ


その数2,600首あまりだそうです。



買った『漱石俳句集 坪内稔典編』のページをパラパラとめくって、


目についた作品の一端を載せます。



『秋風や 棚に上げたる 古かばん』


『ニッケルの 時計とまりぬ 寒き夜半』


『穴のある 銭が袂に 暮れの春』


『頼家の 昔も嘸 栗の味』


『内陣に 仏の光る 寒哉』



研ぎ澄まされていて、知性美もあって、ときにユーモアも含んでいて、


漱石の視点が多面的だと思う。



三番目の句、穴のある~はお金に困っている状況を詠んだものかな。


懐が乏しくて、こんな句が生まれたのかもしれない。


ぼくはさりげないユーモアと捉えている。



漱石って、秋や冬の季語になる句のほうが上手い気がする。


心に絶えず淋しさがあって、


明るい春とか盛んな夏の季語を詠んだ句もあるけど、


それ以上に秋や冬のほうが、優れている。



もうこれは漱石の気質だな。



漱石は兄嫁の登世がなくなったとき、


その死を悼んでたくさん句を作っている。


この一冊に載っている句を紹介すると、



『朝貌や 咲いたばかりの 命哉』


『君逝きて 浮世に花は なかりけり』


『骸骨や これも美人の なれの果て』


『今日よりは 誰に見立てん 秋の月』



あきらかに恋心を抱いている。


骸骨や~は、まずい句だけど、


登世のために何十首もよんだのだから、かなりの執心だ。



それにしても、


俳句にするくらいだから、その恋心を隠そうとしなかったのが不思議だ。


横恋慕でも、登世を想う強さは兄よりも凌駕しているとの自負を感じさせる。



この三角関係は、


小説の『それから』や『門』の不倫の恋に活かされてるとするのは、


あながち的外れでもないかな。



ちなみに登世はかなりの美人だったそうです。



一口に膾炙する子規の句に、


『柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺』という有名な作品がある。


学校で国語の時間に、必ず教えられる俳句ですが、


その一首は漱石の、


『鐘撞けば 銀杏散るなり 建長寺』を受けて、子規が応えたとされている。



漱石は明治27年に、


『弦音に ほたりと落る 椿かな』と詠んだけど、


この句も上記の趣と相通ずる名句だ。



矢を射る鋭い弦の音と、


椿が落ちるやわらかな音との対照が絶妙です。



子規に触発されて、本格的に俳句を始めた漱石だけど、


ふたりはお互いに才能を認め合い、切磋琢磨したに違いない。



それは俳句の師弟関係というよりも、


親友としての対等な関係だろう。


子規と高浜虚子、河東碧梧桐の関係とは区別すべき絆だ。


小説家夏目漱石、そして俳人夏目漱石。


どちらの顔も一流であることは、揺るぎないが、


得てして影にかくれがちな俳句の作品を、


この漱石俳句集でぞんぶん鑑賞してゆきます。