『プライド』

これに介護してた頃一番苦しめられたかもしれない。


プライドは介護者の味方でもあり敵でもある。


認知症を発症した父のプライドに対して介護者の私の気持ちが一番変化していった


父の認知症がまだ軽かった頃は

『あ~まだプライドがあるんだ。良かった。』
と父のこだわりや怒る様子を見てまだ安心感と見守る余裕があった。


しかし、一定の発症期間が長くなるに連れて


『介護にプライドが邪魔だ。
でもこのプライドがなくなった時親父は本当にダメになった時なんだろうな。』

と介護を邪魔してくるプライドを抑えたい気持ちと残っていてもらいたい気持ちで揺れ動く。


そして父が入院する直前の暴力症状がピーク時になると

今も私のスマホに残っている母に送ったメールには

『もうプライドなんかなくなってくれ!
もういい!
プライドなんかなくなってくれた方がどんだけ楽になると思ってんだよ!
あんなプライド本当のプライドじゃねーから!』

と父のプライドを完全に敵対視し一時は父のプライドがなくなったら終わりだと思っていたのに追いつめられた私はそれを望むようになりはじめていた。



結果的に父は意識を失う最後の最後までプライドは残っていた。


父の認知症に気付いた当初私は

『いずれ父は何も分からなくなってポケーッとしてしまうんだろうな』
と考えていた。


しかし実際に介護をすると
父の感情はいつまでも残りポケーッとするどころかそのプライドが感情の起爆スイッチになり振り回される日々だった。


父の進行する認知症が
『当時の私がイメージしていた認知症とはまったく異なる』
ことにようやく気付いたのは中度症状がひどくなり始めた頃だった。



私はこの父のプライドは意思がある生き物のように感じた。


父の症状がある程度進行しトイレの失敗が増えた頃

父に呼び止められた私はこんなことを言われた。


『なんでかわからないんだけどあれ(トイレ)がわからなくてさ。
あいつ(母)にも悪いから分かるように教えてほしいんだよ。』



私『トイレを?』



『そう。どこにあるのとかもさ。』



私はネットでトイレまでの誘導線や案内表示をすると良いとあったのを思い出し


私『わかった。協力するよ!』

とその日のうちに家の中にトイレまでの案内表示を作成し壁に貼った。


『ありがとう!
これで大丈夫だ!
良かった!ありがとな!』
父は笑顔で私にこう言ってくれた。



しかし


一晩たった翌朝父の怒鳴り声で目を覚ました。


『なんだよこれは!
馬鹿にしやがって!
なめたことしてんじゃねーぞ!』

と父が昨日私が貼ったトイレの案内表示を怒り狂いながら剥がしてはビリビリに破いていた。

私『どうした親父!
なにしてるんだよ!
昨日親父が自分でそうしてくれって言ったから貼ってそれ見て親父もありがとうって喜んでくれたじゃん!』


『なんだと!
嘘言うんじゃねーよ!
俺がそんなこと言うわけねーだろうが!
もういっぺん俺のこと馬鹿にしてみろ!
てめーなんか殺すぞ!』


私は完全にショックを受けた。

父が昨日わざわざ私を呼び止めて頭を下げてお願いしたのにそれが馬鹿にしてると言われた。


さらにショックはこれだけではなかった。


その夜、再び私は父に呼び止められた。
嫌な予感がした。



『なんでかわからないんだけどあれ(トイレ)がわからないんさ。』


予感は的中した。


私『やるのはいいけど後で怒るのはなしだよ?』


『なんで!怒らないよ!助かるって話してるんだから』
と父は笑顔で私に言った。



正直、ぶっ飛ばしてやりたかった。



再度昨日と同じものを貼り出し父に見せた。


『お!いいじゃないか!
ありがとう!』

親父は今朝これを見て怒り狂って破いたことを完全に忘れていた。


翌朝



再び親父の絶叫で目を覚ました。


昨日とまったく同じことが起きた。


そして再び父に呼び止められた。

…嫌な予感がした。


嫌な予感は的中した。


さすがの私もこれは父のプライドを傷つける行為と判断し


私『わかったよ。じゃあ【明日】にでも早速作ってみるよ!』
と言った。


『ありがとな!早めに頼むよ!』
と父が笑顔で言った。



私はなにもしないでそのまま寝た。


翌日から父の怒鳴り声も父の呼び止めも一切なくなった。


なんとか覚えたい、頑張ろうとしている父には本当に申し訳ないと思ったがこっちが頑張れば頑張るほど父のプライドを傷つけてしまうことに改めてプライドの扱い方の難しさを思い知らされた。


なによりこれから発症する色々な症状すべてにこの『プライドという起爆スイッチ』が隠されておりこれに対処しなければいけない毎日だった。


~続く