公園から帰ってきたころ母も帰ってきていた。

『とりあえず再発の心配はないって』

私『良かったじゃん!』

『一人心配なのはいるけど』と父の方をチラッと見た。


夕方になり母の完治を祝って私たち家族と両親で食事に行った。

相変わらず父の食事は絶好調でそばを頼んでも汁につけずにそのまま食べそしてむせる。

しかし注意すると暴れるからだれも注意しない。
二人の孫は目を丸くして『おじいちゃん』を見ていた。

食事を終え実家でしばらく孫とおじいちゃんが楽しそうに遊んでいた。

そしていつものように
『おじいちゃん、ばいば~い』

『は~い!またきてね~!』
と二人の孫とおじいちゃんのいつものお別れの挨拶がされた。


これが『孫とおじいちゃん』が【直接交わした最後のさよなら】だった。


その夜父を寝かしつけ私と母も寝付いた2時過ぎだった


『おい!おい!いるんか!いるんだろ!出てこいよ!』

いきなりの罵声で私は飛び起きた。

母が一階から慌てて父の元へ駆けつけた

『お父さんどうしたん!』

『どうしたじゃねーよ!どうすんだよこれ!どうしてくれんだよ!』
と意味不明な怒鳴り声が聞こえた後に

『きゃっ!』
と母に何かが当たった音がした

母は慌てて一階に戻る。

すると父は真っ暗な廊下に唾を吐きまくりながら何かにとりつかれたかのようにさまよい始めた。

『どこだ!どこなんだよ!みんなで一緒にっていってんじゃねーか!なんでお前はいつもそうなんだよ!』
とこのセリフを何度も繰り返しやがて廊下の小窓を何度も開け締めしている音が聞こえてきた。

私は今までとは明らかに違う父の様子に恐怖を感じ布団に潜り込んだ。

そして父の足音がわたしの部屋に近づく

私は慌ててスマホの充電器を抜き充電ランプを消してまた布団に潜り込んだ。

ガチャ


『お~い、お~い』

あれ?さっきの怒鳴り声じゃない。

優しい声が聞こえてきた。


しかし、


『おい!いるんだろ!わかってるんだよ!どうすんだよ!』
と再び怒鳴り声が聞こえ


(危ねぇ!出ていったら殺されてた!)
と冷や汗をかいた


すると下の部屋に戻った母からメールがきた
いつもマナーモードにしている自分に感謝した

以下当時のメール内容

(お父さんどうしたん!なにあれ!あんなの初めてだよね!)

私(知らないよ!怖いんだけど!ずっと同じこと言ってる!)

(もうやだ!本当にこんな父親に付き合わせてごめんなさい!)

私(いいよ。今はとりあえずこのまま落ち着くまで待とう!)



それから5時を過ぎても怒鳴り続け落ち着かない



私(これ以上はもう近所迷惑になるから俺が行ってみる!)

(大丈夫?)

私(わからない。でもこれ以上家の中荒らされてもムカつくしなんとかしてみる)

(分かった!お願いします。)


そして意を決して私は布団から飛び起きた。

私『お父さん!』

私は介護士役でなく実の息子で親父に向き合った。

私に気付き一瞬父の動きが止まった。

そして

『誰だお前は!誰なんだよー!なんなんだよ!』
と私に向かってきた

すると下で聞いてた母が再び2階にあがってきた

『お父さん!』

私と母に挟まれた親父はキョロキョロしながらとまどい近くにあったハンガーラックを床に思いきり叩きつけ破壊した


とりあえず私は父の両腕をとっさに抑えながら目を見つめ


『お父さん!落ち着いて!』
と必死に訴えた。

父は母に

『このあんちゃんは誰なんだよ!?いつもいつもなんなんだよ!』と聞いた


『お父さん!あなたの息子の次男のトシノリでしょ!わからないの!』

『トシノリ?…そんなやつ知らないな!わたしに子供はいません!!何言ってるんだよ!』
そして父は号泣しだしてようやく落ち着いた。

気付けば朝の7時になっていた。


父はそのまま一睡もしないでデイサービスの送迎車に笑顔で乗っていった。


私と母も疲れきっていたが断腸の思いで私は母にあることを告げた。


私『おかん、前から思ってたんだけど親父はもう俺との関係性がわかっていない。だから俺がこの家に居ると混乱するんだと思う。それにさっきはっきりと【トシノリは知らない】【自分に子供はいない】って言ってたし。一回俺が実家から外れて様子を見よう。それで変わらなければまた戻るから。』


私は母を一人にすることが物凄く不安でストレスになると分かっていたが今はこうするしかないと思った。



数日分の荷物を持ち久しぶりの妻と子供の待つ家に向かう車中
父の記憶から完全に私が消されたことで色んなことを思い出していた。


小学校の時、少年野球で主将の私と監督の父。チームメイトの怠慢プレーのみせしめで思いきりビンタされたこと


中学の時、市内から田舎の学校に転校して馴染めなくて登校拒否になりかけたときそっと励ましてくれたこと


高校野球の時、弱小校の私が強豪校に相手に完投して勝ったときの話を大人になっても自慢げに父が話してたこと。


社会人になって初めて一緒に居酒屋に行って仕事のノウハウを話してくれたこと。


俺は全部覚えているのに親父は忘れてしまったのかと思うとやるせない気持ちになり涙が止まらなくなった。


しかし、同居を解消してからも父の夜になると暴れる症状はなくならないどころか悪化した。


私と母はケアマネに相談した。


話を聞いたケアマネに

『ケアマネをして十数年ですがここまでひどい話しは聞いたことがないですね』と言われた。

そして
『たぶんですけど認知症が進行すると睡眠リズムが崩れて【夜間せん妄】っていう症状が出るときがあります』と言われた。


調べるとまさに父のことを書いているのではと思うほどに一致した。


そして、当然今のままでは特養などの施設入居は100%無理ですとはっきりと言われた。


それはそうだろう。
あんなの引き受けたら施設の人間みんな倒れて潰れてしまう。


そしてケアマネから一つ話をされた。


『もしこれ以上暴れるのが収まらなければ警察に通報すれば【強制入院】にすることができます。』

初めて聞く言葉だった。

『ただし、一度強制入院させると二週間は退院させてもらえません。家族が戻してほしいと言ってもダメです』

まだ私たちに最後の手段が残されていたことに私は気持ちが少しだけ楽になったが母はうつむいたままだった。


私が同居を解消してから母は一睡もしていない。
夜になると父が暴れだしいつ自分の身に襲いかかってくるか分からないから母はあの日からリビングの椅子でいつでも逃げられるように私服で寝ていた。


そして父が下の階にくると玄関ではなく居間の小窓から物音を立てないようこっそりと外に逃げている毎日を送り完全に憔悴しきっていた。


とりあえずケアマネから教えてもらった強制入院はいざとなったら『俺が警察に通報するから』連絡してくれと伝えて帰った。


翌日私は体調を崩し39度の高熱を出した、医者に行き薬を飲んで19時過ぎに少し早めに布団に入り寝た。



日付が変わった0時過ぎ私のスマホが鳴った。


母からだ


~続く