※今さらですが私の文章で書いている
『軽度 中度 重度』は医者の診断ではなく介護した私から見た基準です。

※父の認知症状が進行し長く続いたのが中度期間になる為長文になります。
また父との会話を記載するので私の名前を
『トシノリ(仮名)』とさせて下さい。

~認知症障害~

父が服薬を辞めたのが2012年頃

私は結婚を機に県外転勤のない会社へ転職をした。

再就職を祝い父の運転で妻と両親と一緒に県外にドライブに行った。

私『親父さぁ、安全運転だね。』

この言葉はいまだにはっきり覚えている。
確かに昔から父は安全運転だったが見通しのよい道路でも『法定速度以下』だったので私は少し驚いた。
そして父の運転で出かけたドライブはこれが最後になった。


そして翌年。父59歳の時

母に悪性腫瘍が見つかり手術のため2週間入院が決まった。
母が入院して手術が無事に終わり見舞いに行った時母から驚きの言葉が出た。

『お父さんさぁ、この前着替え持ってきたんだけど歩いて来たんだよ。』

私『嘘だろ?歩いてって実家から7キロあるよ』

『車の調子が悪いからって歩いて来て歩いて帰ったんだよ』

そしてこの数日後に私は実際に父の異変に気づく。

夕方仕事が終わり帰宅中携帯が鳴った。
父だった。


『おい!車の鍵が違うのかドアが開かないんだよ!』


電話越しに慌てている父
とりあえず今から向かうと伝え実家につくと
玄関に車の鍵を持った父が怒っていた

『あの野郎(母)車の鍵隠しやがって!』

私『いやいや親父。おかん今入院してるし親父が持ってるの車の鍵だよね?』

『これじゃ開かないって言ってるだろ!』

埒が明かないので鍵を預り親父を連れて車に向かった。

父の車はインテリジェントキーで鍵穴がない。
ドアノブのボタンを押して開けるのだ。

私『ほら、普通に開くじゃん』

『そうだろ。そんなの知ってるよ。わざわざ来てもらって悪かったな。』照れ隠しするよな感じで父は確かに言った。

親父が何いってるのか訳わからなかったが怒ってる父を相手にするのは面倒なので私は帰った。


それから母も退院したので快気祝いで両親を食事に誘った。


ここで次の症状がでる


『いや、俺は行かない』

私『なんでだよ。おかんが退院したんだから一緒に行こうよ』

妻『そうですよ。お父さん一緒に行きましょうよ』

『いや、いいです。そんなにお腹空いてないからみんなで行ってきてくれ』

私が『誘えば誘うほど頑なに外出を拒否する』父

これを機に別の日でも同様なことが続き理由を聞いてもただ『いいです』の一言しか帰ってこなかった。

いつしかいつも母と食事に行き
帰りに父の食事のお土産を帰ることが続いた。


ただそんな父も素直に外出してくれる時があった。

それは私と父も野球経験者で毎年高校野球の大会を見に行くのが楽しみだった。

そして2014年の時だった

父を誘い一緒に高校野球を見に来た

準決勝ということもあり球場は混んでいた。
やっと座れる席を見つけ観戦

試合が中盤の5回頃だった。

『ちょっとトイレ行ってくる』
そう言って父がトイレにたったが

私『遅いな。もう6回も終わるぞ』
父は喫煙者ではないので一服はしない。

そして父の姿が見えたが私は固まった。

父は元の席を探す素振りすら見せないでメガホンを叩いている応援団の選手の隣に座った。

応援してる選手も『誰?』みたいな感じで驚いている。

私『なにしてんだよ!』
私は慌てて父を呼びに向かった。

私『なんであそこに行った?』

『……あそこの方がよく見えると思ったんさ』
それ以上は私は聞けなかった。

試合後駐車場まで歩いていると

『決勝はいつだ?』

私『明後日だね』

『そうか』



『次の試合はいつだっけ?』

私『明後日だねって言ったよね?』

『あ~そうだった。悪い悪い笑』



『決勝はいつだ?』

『……。』
私はこの日の父のことを母に話したが母は暑くて頭が朦朧としたんでしょ。と父に関わりたくない様子だった

恐らく母はこの時の父のことを気付いていたが私に心配させないよう隠したのだと今思えばわかることだった。
~続く