今日は久々の雨☔ですね。

何日か仕事や用事でバタバタ過ぎて

家を見回すと·····

あれ〜これもしてなかった!

ここも汚れてる!と

発見の連続です~(笑)


朝から主婦の用事をコチョコチョ

しながら〜の、まだ終わってないけど

ブログ進めたいと思います。


❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖


子供を母親と結びつけていた

第一次的絆が薄れていき

不安や孤独感から第二次的絆を

何かに対して求めようとする


3つ目.  機械的画一性


これは、近代社会の大部分の

正常な人々の

とっている解決法。


自分自身どう生きたらいいのか

わからないので、みんなと同じことを

することによって安心したい

助かりたい。


文化的なひな型によって与えられる

パーソナリティを完全に受け入れる。

他の人々と全く同じような


また、他の人々がかれに期待するような

状態になりきってしまう。


「私」と外界との矛盾は消失し、

それと同時に、孤独や無力感を

恐れる意識も消える。


しかし、かれらの払う代償は高価である。

すなわち自己の喪失である。


このメカニズムは動物の保護色と

比較することができる。


例えば、親から聞く結婚観

その時代時代の結婚のスタイルなど

親の期待に沿えて周りと同じ感じだと

安心する。


日本の国民性の中にもある

目立つより、みんなと同じで良い。


真の欲求と思っていたもの

例えば職業なども自分で考えて

選んだものだと思っていても


周りの期待に沿って、認められたい。

他人の期待の反映であったりする。


フロムは

本来の自己とは精神的な諸活動の

創造者である自己である。


にせの自己は、実際には他人から

期待されている役割を代表する

代理人にすぎない。


近代社会において、

個人が自動機械となったことは

一般の人々の無力と不安を

増大した。


✥✥✥✥✥✥✥✥✥✥✥✥✥


と、ここまでフロムの説に沿って

進めてきました。


この内容も大きく頷けますよね。


私たちは社会的生き物で

周りの目を気にしたり

周りの期待に応えようと

努力する。


社会の水準のひな型みたいなものが

あって、それに沿って平均的に

進んでいると安心だし周りからも

認めてもらえる。


ただ、既成の考え

「この方が幸せになれるよ!」

というパターン

「これが勝ち組への道だよ!」

というパターン


を知識として取り入れて

みんなと一緒と安心して

生きるだけでいいのだろうか?


フロムの言う本来の自己、

「精神的な諸活動の創造者」


自らの血で手で感じて体験した

ことからの自らの思い、意志、考え

に目を向けること••••••

そこから創り出される真の自由の

大切さをひしひしと感じます。


今日はこの辺りで〜

次回は最終章のまとめに

入っていきたいと思います。


✢✢✢✢✢✢✢✢✢✢✢


さぁ、今から残った洗濯、洗い物して

晩御飯作りまーす❣

みんなも家族で楽しい夕食

囲んで下さいね~ウインク




ぼく、甘えん坊〜飛び出すハート