はじめまして!
宮城県仙台市在住、高校一年生、中鉢 乃杏です。
・震災について高校生の様々な思いを届けたいと思います
・震災を風化させずに救える命を救いたいので書きます
・1番伝えたい人は全国の高校生と震災の風化を感じる土地に住む人です。
・目標は地元で高校生の語り部を開くことです
1回目は私の地元への想いを書きました
《地元紹介》
私の家は八木山動物公園がある八木山にあります。その名の通り昔は山で「八木久兵衛」という人がその山を買い取り、開発し、八木山動物公園やベニーランドができました。ちなみに、八木久兵衛さんは大正時代大町で小物物商「紅久」を営んでいたため「紅」の字を取って「ベニーランド」という名前になりました。
《震災時どんな被害にあったのか》
震災の日、八木山がある太白区での震度は5強。私は当時小学3年生で小学校で激しい揺れを初めて体験しました。小学校には近くに住む祖母が自家用車で迎えに来てくれました。下校時に見た地元は閑散としていて、コンビニには食料を求める人たちで長蛇の列ができていました。祖父と祖母の家で夕方になると家の薄暗さに電気が使えないということを初めて実感しました。
4つ上の姉が帰宅をすると祖母は私たちに相当前に買ったと思われる乾パンを私たちにくれましたが、イマドキの乾パンとは違いパサついていて、味もまずくて食べるのをやめました。
その日は冷蔵庫の中でも消費期限の近いものから食べるため刺身やアイスなどがたくさん食卓に並びました。ランタンと懐中電灯で照らされた室内は非日常的で姉はその豪勢な食事を美味しそうに食べていたが、私はなぜか気持ちがもやもやし刺身を一切れ食べて気持ち悪くなってしまい食事をほとんど取れませんでした。
今思うと、地震というよくわからないことが起きてなぜか電気・水・ガスが止まり外には出させてもらえず何が起こっているのかさっぱりわからなかったから不安に駆られていたのだと思います。
就寝前、ラジオを聴いていた祖父が「大変なことになっているぞ」と言うので皆でラジオに耳を傾けるとそこからは沿岸部の津波の被害についての情報が流れていました。
私は最初に聞いたこの情報が今も心を傷ませます。
〝仙台空港に200から300の遺体が流れている“
何度も何度も繰り返し伝えるラジオの声に私は恐ろしくなりました。
そして自家用車についている小さなテレビで映像を見ようと外に出た
外は真っ白く、コンコンと雪が降っていました。私は(こんなに綺麗に雪が降っているのに同じ宮城県で大変なことが起こっているのかな)と思い先ほどのニュースが信じられませんでした。
皆で車に乗り込みテレビを見ました。祖母は津波が陸を飲み込んでいく映像を見て私の目を隠したが、その手を退け私はしっかり自分の目に焼き付けました。
家族で毎年行っていた県内の海が人間の命と生活を奪っていく。その映像がずっと頭に残り、3月11日は眠れることはありませんでした。
《私が震災を残したいワケ》
私は宮城県の中でも内陸に住んでいるため津波の被害を受けず、しかもその被害をちゃんと知ることなく育って来ました。小学校や中学校では少ししか震災の授業は行いません。学校は防災についてばかり教えていて、震災のことを振り返ろうとしないように感じます。
私は去年の夏、SoftBankTOMODACHIリーダーシッププログラムに参加し東北三県(岩手・宮城・福島)の高校生たちと渡米をしました。私はそこで初めて、沿岸部の人たちの被害について知ることができました。
“家が流された”
震災で家が流されてしまった人はたくさんいることはメディアでも取り上げているので知っていたことですが、家が流されてどんなことが失われたのか、また、ものだけではなくどんな辛い生活を強いられたのか。
私は6年間も同世代の子たちがこんな思いをしていたことを知らずに何もできなかったことが悔しくなりました。そして胸が苦しくなりました。
私たちの生活は元に戻り、震災前にはなかった東西線ができたり、駅前に大きなビルができたりしました。
しかし沿岸部の人たちの中にはやっと住む家が決まった。やっと仕事を再開できるようになった。という人たちもいます。普段の生活を取り戻すのに6年経ってまだ”やっと”にならない人もたくさんいると思います。
しかしその事実を内陸に住む私たちは知らずに生きているのです。
触れることなく生きているのです。
同じ宮城県で起きていることなのに。
学校で震災時は震災復興プロジェクトがありましたが期限付きのものがほとんどで今はやっていません。
震災が風化され
新しい世代は知らないままで大人になってしまいます。
なぜ知らなくてはならないのか。
たまに人に問われます。
その答えは自分の命、大切な人の命を救うためだと思っています。
天声人語で読んだことがあるのですが、昔に大きな自然災害が起こり様々な教訓が生まれたもののうまく後世に残すことができずに最近また同じような災害が起こり犠牲者が出てしまった。
3.11を同じようにしたくないのです。
次回は福島県に住む女子高生にインタビューをしたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました!