8月15日
本日は69回目の終戦記念日。





今年も開門と共に参拝に行って参りました。


今日の日本があるのは、この国の為に私欲を捨て、潔く戦った英霊たちのお陰である。


小さな島国日本が、祖国の威信と存亡と、民族の誇りをかけ白人の世界大国に対し敢然と立ち上がったことは、 現代の日本人は決して忘れてはいけないことだと私は思っている。

戦死とは国のために命を捧げる尊い死であると共に悲痛な死…

彼らは国家のため 一身がなしうることに捧げたのだ。


国難に対する責任を一身に引き受けた責任感。
祖国を少しでも良い姿で後世に残そうとした祖国防衛の悲願。


それを日本は国家としても、そして日本人 一人一人としても決して忘れてはならない。

今があるのは命をかけて戦ってくれた英霊たちのお陰である。

我々の先人たちが命を掛けて守ろうとした今ある祖国に感謝すると共に、日本人としての考え方を見直すためにも、私にとって靖国へ行くことはとても意味のあるものとなっている。


年に幾度と訪れる靖国ではあるが、日本人としての誇りを持ち、幼い頃より祖国を愛する気持ちをあたため続けてきた者として、この日靖国へ向かわずにはいられない。


靖国へ訪れ、桜の木を見上げる度に、『日本人の中の日本人』だった今は亡き父をも想う。

桜の花をこよなく愛し、『お父さんは太く短く生きられればいいんだ。』と、『桜の花のように潔く散りたい』とよく言っていた私の父は、本当にそのような生き方をした。

幼い私に『今日1日今日1日悔いなく生きろ。』と言って教えたその生き様は、私の生きる上でのモットーとなっている。

桜と菜の花は父の教え、父との想い出が詰まった花だ。

実直で生真面目、寡黙ではあるが内には熱いものを秘め、そして心根の優しかった父。
スポーツや学問、様々な場面において能力のあった父は、とても物知りな人でもあった。

とりわけ歴史には強く、学校では教えてくれない・教科書には載らない日本の歴史を、父は私に教えてくれていた。

図書館のように何百冊もの本が並ぶ父の部屋は、私にとって心安らぐ場所でもあった。

幼い頃より1日1冊は本を読むようにと、その年齢その年齢の理解力に合わせて本を選び、たくさんの本を買い与えてくれたのも父だった。

父が亡くなった後、『あのままにしていたら床が抜ける』と言って父が大切にしていた多くの本を私の許可なく古本屋に持って行った母に激怒し、私は取り戻しに行った。

初めて行った沖縄や広島は、小学生の頃、父が連れて行ってくれた。
小学生の時に行き、自分の目で見て感じたひめゆりの衝撃は、今も私の心の深い場所に強く強く残っている。



海外旅行へは意気揚々と行くにも関わらず、知覧や靖国は訪れた事がないなんて、日本人として恥ずべきことだと私は思う。

靖国へ行かずして祖国への愛は語れない。

欧米には詳しいのに祖国の『正しい』歴史を知りもしない。

自国を知らずして他国の何が分かり得られるのですか?

あなたは何人ですかと私は聞きたい。


毎年訪れる靖国では、自ずと思い出す父の姿、自分のルーツ。




戦争という国家の行為と
祖国のために命を捧げた英霊の精神を混同してはならない。

今こうして私があるのは
御国の為に命を掛けてくれた英霊たち、ご先祖様のお陰です。

護ってくださったこの国とこの命を大切にしながら、生きたくても生きられなかった人たちの命に恥じぬよう命を使って今を生きているか?

そう改めて自問する日でもある本日。


戦後、絶望の淵から涙を飲んで立ち上がり 、 堪え難きを耐え 忍び難きを忍び、日本を経済大国にまで発展させてくれた戦後の人々にも感謝しております。


そしてこの国をより良く未来へ託す為には?と考える日でもある。


たった69年前、壮絶な現実がそこにはあった。
平和ボケした現代の日本人は分かるまい。


それは我々が決して忘れてはならないこと。
そして後世へと伝えていく義務がある。


靖国へ行く事にとやかく言う人間が私の周りにもいるが
私は御国の為に命を捧げた人間に哀悼の誠を捧げに行く事は日本人として当然のことと思っている。


終戦記念日であるこの日は特に 、過去に思いを巡らせ未来に思いを馳せる・・

私にとってそんな意味ある1日だ。



厳しい夏を越え実りの秋が過ぎ凍てつく冬を乗り越えたら・・
また花を愛でる春がくる。

桃色が舞い
黄色い風が吹くその季節を
私は心待ちにしています。


私の心根のふるさとは
父との想い出と父への想い
そして祖国の愛とで溢れている。




































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