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菅野は村上側に奸策がある事を薄々は気付いてはいました
が果たし状を送られた以上、受けて立たねば武士として卑怯の謗りを免れません。そこで菅野は決闘に赴く前に、日頃、目を掛けていた越後新発田浪人の安兵衛に【争いは好まないが、武士の意地によって決闘に行く。
もし討たれたら、妻子の面倒を頼む】と言う決別の手紙を送っていました。決闘の当日に手紙を読んだ安兵衛は、今まで世話に成った菅野の一大事に仰天します。
そして自分がやるべき菅野の妻子の面倒を見る事ではなく、助太刀であると腹を決め、長屋を飛び出したのでした。 中山安兵衛は寛文10年(1670)生まれの25歳の若者です。新新田藩士の父の罷免により朗々の身となり、上州で馬庭念流を学んだ後に江戸に出て小石川の堀内源太左衛門の道場で一刀流を研鑽していました。菅野も又西条潘の剣術指南役で、安兵衛と、どうした経緯で知り合ったかは定かでありませんが安兵衛を見所のある若者として実の甥のように接し仕官の折には身元保証人になろうと引き受けてくれていました。
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安兵衛にとっては掛け替えのない恩人です。
そして安兵衛は牛込竹町を脱兎の如く飛び出します❗そして駆けに駆け、酒屋で桝酒を一杯、一気に飲み干すと高田の馬場へと駆けました❗
安兵衛が到着すると菅野は、既に村上らと、斬り合っており体に数ヶ所傷を負っています。見れば村上方は、弟や槍術師範ら7人で菅野を取り巻いており…一方の菅野は家来を含め4人で完全に押されています❗【多勢に無勢、菅野は老人、菅野は既に身に数創を被った。安兵衛は看るより気は躰の如く《卑怯なり》と大喝一声❗旋風の如く斬り入って村上三郎に渡合い、忽ちにして物の見事に斬って捨て今しも中津川祐見が菅野の背後に回り不意を討たんとする所を安兵衛又、走りかって斬り倒しました】❗
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■三波春夫先生が心血を注いで創作された数々の長編歌謡浪曲の中でも一際豪快な仇討ちとして名を残す赤穂浪士、堀部安兵衛❗2月11日…今日は堀部安兵衛が村上兄弟との決闘が行われた日です。
■【長編歌謡浪曲】
■【元禄桜吹雪 決斗高田の馬場】 歌☆三山ひろし
■江戸は夕焼け 灯ともし頃は
夢を求める みなし児が
国の越後の 空を見る
顔も赤鞘 安兵衛が
いつか覚えた 酒の味
■喧嘩するなら 相手になろか
俺は天下の 素浪人
真(まこと)武士なら 男なら
やると決めたら 安兵衛は
行くぞ白刃の 只中へ
■剣がきらめく 高田の馬場に
桜吹雪が 舞いかかる
勝って驕らぬ 爽やかさ
花の青年 安兵衛の
顔に明るい 春の風
■御覧戴きました皆様‥有り難う御座居ました。(映像御借りしました。有り難う御座居ました。)