■毎年新年を迎える頃…年末に放送される【白虎隊】❗

白い上壁が美しく春には桜が舞い散る【鶴ヶ城❗かってこの城を守る為に戦い、若くして自決の道を選んだ少年達がいました。その少年達こそ【白虎隊】です。


■戊辰戦争の際に構成された玄武・朱雀・清瀧・白虎の4隊の中で最も若い隊であった白虎隊❗そんな彼らは何故歴史が生んだ悲劇として語り継がれているのでしょうか。

白虎隊は戊辰戦争の際に会津藩士の子息で組織された軍隊です。飯盛山へ敗走し、燃え盛る会津を見て自決した事で知られる白虎隊。奇跡的に生き残った隊士がいた事で後世まで語り継がれる事と成りました。江戸から明治へと時代が移り変わる境目に生まれた彼らは、幼いながらも西郷隆盛率いる新政府軍から鶴ヶ城をを守り抜く為に戦いました❗


白虎隊は会津藩の軍制で数え16才から17才の会津藩士子弟で編成された組織です。慶応4年旧暦8月22日、藩主松平容保の近衛兵として滝沢本陣に出陣した白虎士中二番隊は敵を戸ノ口原に迎え撃つも新政府軍の猛攻に敗走。飯盛山に辿りつきました。少年達の間では入城すべきか敵軍に突入させ玉砕すべきか激論が交わされました。最後には【十数人では、とても対抗出来ない敵の圧倒的戦力の前で捕虜に成って敵の恥辱を受けるような事にと成れば君侯と祖先に申し訳けが立たない】との想いから潔ぎよく自刃して武士の本文を明らかにする】道を選んだので

した❗



そして奇跡的に一人蘇生した飯沼貞吉によって白虎隊の行動が後世に伝えられました。飯盛山の中腹にある墓地には自刃した十六士の墓が正面に、右手には戸の口原などで戦士した少年達の墓が立ち並んでいます❗



幕末に起こった戊辰戦争におけ会津藩の悲劇❗賊軍の汚名を受けたまま殉死した白虎隊の少年の悲劇❗映画のバックに流れる堀内孝雄さんの【愛しき日々】が哀しく少年達の魂の叫びのように甦ります❗

名曲に歌われ歴史に刻まれた悲劇の物語が語り継がれ…今の世にも涙を誘います。

歴史の中に蘇る名曲の数々❗

今日は堀内孝雄さんの【愛しき日々】を御届け致しました。