パパに育休を!

パパに育休を!

世の中の男性の育休取得率は5%だそうです。
そんな貴重な男性と巡り会え、まさに5%にチャレンジしようとしているパパの様子や私の心境を記録できたらいいなと思ってます。
パパたちの育休取得が少しでも増え、楽しい育児ができますように。

4年目看護師
もーすぐ、ママになります(*^^*)
Amebaでブログを始めよう!
気付けば、1ヶ月以上もブログを放置しておりました。すいません。
元気にしております。笑
そして、本日で楽しかった育児休暇が終わります。
明日から仕事復帰となりました。
またぼちぼち更新させてもらいますので、お付き合いいただけたら嬉しいです。

さて今日は流産の話を少し。

娘の妊娠時は以前にも書かせてもらいましたが、切迫早産でしたが、
予定日を2日越えて、特に異常もなく出産することができたため、

また妊娠すればすぐに産めると軽い気持ちでいました。

娘が1歳6ヶ月の時に、腰の激痛と生理が来ないことに気付いて、検査薬をしたら、妊娠していることが分かって、
3つ差になるねぇなんて言いながら旦那とはしゃいでおりました。
すぐに診察に行き、心音はまだ分からないけど、袋があるから妊娠でしょう。また数週間後においで~と言われとても嬉しかったです。

でも喜びも束の間。

外出先で突然の出血。
しかも、結構な量。
私は産婦人科と小児科の混合病棟で勤めていたため、
妊娠初期の妊婦の出血がどんなに恐いかを知っていたので、
買い物を切り上げ、急いで帰宅することに。

そして、すぐに病院へ連絡しました。
主治医が快く診察をと言ってくださったので、高速から降りてそのまま受診をさせてもらいました。

ドキドキしながら内診台にのぼると
「あ、心拍あるね!でも、袋が剥がれかかってる!家に帰って安静にしなさい。診断書書くから。」

と主治医。

子宮から剥がれかかっているけれど、必死に生きようとする胎児を見て、涙が止まりませんでした。
診察後すぐに、職場に連絡をして、お休みをいただくことになりました。
当時妊娠7-8週とド初期のため、上司にもまだ報告ができていなかったため
ダブルで報告となってしまい
すごく申し訳ない思いをしました。

そして、帰宅後娘のことは全て旦那に任せ、
安静に。

でも頭はクリアなのでひたすら"妊娠初期出血""流産"など検索をしまくっていたような気がします。

安静のお陰か少し出血は落ち着いたものの、止まることのない出血。

寝て目覚めたら、夢だったらいいなと思いながら目覚めてトイレにいったらまた絶望の繰り返しでした。

主治医から翌日の朝一での診察をと指示を貰っていたので、
受診させてもらうことに。

昨日とさして変化はなく、心音もしっかりあり、
とりあえず1週間、このまま休むこととなりました。

しかし止まらない出血。

また数日開けて受診した際、

もう心拍は止まっていました。

きっと数日後に見ても所見は変わらないだろう。。。と。

このまま子宮に残しててもよくないし、明日にでも手術をしようかと言っていただきましたが、悲しいのと、やっぱりかという気持ちから手術を受ける気になれず、
主治医と相談をし、自然に排出されるのを待つという方針になりました。

旦那も休みで診察に付き添ってくれていたため、二人で泣きました。

もっと大人しくしてたら。。。
無理をしたのがいけないんだ。。。

など、自分を責め続けました。

妊娠初期の流産では、ほぼほぼ胎児側の奇形等での流産が多い。

と知ってはいましたが、
いざ自分のこととなると、やはり自分を攻めてしまいますね。

流産を経験した患者さんの気持ち。

分かる。と勝手に思っていましたが、
同じ立場になると
自分の体を引き裂かれるような心の痛みがありました。

この流産では、自然に出て来てくれたため、手術をせずに
子宮収縮剤と抗生剤の内服を指示され終わりました。


今思えば、手術を選択していたら
再びこんな思いをしなくてもよかったのではないかと思います。
もう一度の流産のお話はまた後日。


ちなみに、どん底のメンタルから救いだしてくれたのは、両家家族。そして旦那と娘の存在でした。
感謝してもしきれないです。
やっぱり大事ですね。家族って。










今日はブログタイトルの内容について触れてみたいと思います。

なぜパパに育休をとってもらおうと思ったか。

パパがとりたいと言ったわけではないんです。

遡ること娘の妊娠発覚時、
看護学生時にお借りしてた奨学金の返済中(毎月お金でなく、指定病院にて5年間勤務するという条件)育児休暇が取得できないという決まりになっていると同じ奨学金を受けていて先に妊娠した後輩から聞き。
(ちゃんと調べてから妊娠すべきでした笑い泣き)

産後すぐ復帰か~と思っていたところ
制度が見直されたようで、育休を取得したらその分、返還期間を伸ばすという形をとらせてもらうことができるようになったと。いう情報が入り

なーんにも考えず、じゃあ娘が1歳になったあとの4月復帰します!(娘は3月に出産しました)
と1年ちょい育休を取得することとなりました。

が!
育休中は楽しいばっかりでなく、
社会から取り残された感が強く
同僚や友達に会うたびに、
「私、のんびり育児してていいのかな。。。」と娘には申し訳ないけどモヤモヤした気分になりました。

少し前のブログにも書いてましたが、娘の時は切迫早産で子宮頚管長が短縮し自宅安静となったため、
仕事がすごーく忙しい年末に急遽病休をもらってしまったので、
しっかり産前休暇まで働いてお休みに。という流れで無かったため余計気持ちに区切れがつけられずだったのも原因だったのではないかと今振り返ると思います。

そして、何も考えてなかったのが
とっても大事な
育児休業給付金のこと。

ほーんとに、アホな私は、
育休中も1歳までは普通に職場から給料が支払われると勝手に思っていたため
お金は好きなだけ使ってました。(当時、ある一定の金額のみパパに預け、家計は全てパパがやりくりしてくれてました)

なので、入金が無くなったときにプチパニックになり、
さらにやってきた住民税の請求書!

えー?こんなに納めてたの!?とびっくりする金額の請求がきて、
あぁ、何もお金のこと考えずにのんびり生きてきてしまった。。。と頭がいたくなりました。
収入が減るということにたいしても辛く思いました。

そして、元の病棟の師長さんから
復帰について看護部長さんと面談してみたら?と助言をいただき(産後また元の病棟に戻りたい旨を相談した際に助言をもらいました)

とんとん拍子で看護部長さんとの面談が決まり

「4月復帰の時には希望を聞いてあげられない。でも11月に復帰するなら希望を聞いてあげれます。」と言われ、

環境が変わることへの恐怖が強かった私は、二つ返事で分かりました。と。

院内ではごく稀な育児休暇の短縮願いを提出することとなりました。

娘は復帰時まだ7ヶ月。
母乳育児のため、哺乳瓶も練習してなかったし、私がいない状態で寝たこともありません。保育園も決まっておらず、なんならエントリーもしてません。そして何より、パパへは復帰が決まったと事後報告。

ほんとに、自分のことしか考えられてない最低な母親だったと思います。

と、長くなってしまったので続きはまた後日。

本題にいくまでに結構かかってすいません。


今日はパパがお休みでした。

が、同僚たちに"田んぼラグビー"というイベントに参加しないか?と誘ってもらい
参加することとなったため、朝からお出かけ車

私と子供達も観戦と言う名の、周辺で買い物がてら覗きにニコニコ

我が母と、妹も誘い一緒に着いてきてもらいました。

というのも、子供達二人を連れて移動したり、面倒を見るのが一人では無理なので、かーなーり!サポートしてもらいました。

特に上の子がおしっこー!って言い出したら一人ではどうしようもないですねえーん
お母さんと妹がかわりばんごに連れていってくれたので本当に助かりました。

我が家は、旦那さんの実家が遠く、私の実家がすぐそばなので、主に私の実家に育児をフォローしてもらってます。

行き詰まったときや、仕事で迎えにいけないとき、習い事に連れていくとき、休日出勤時の子守り、その他もろもろもう数えきれないくらい助けてもらい支えてもらってます。

※ちなみに、旦那さんの両親も遠くではありますが、二人目の産後1ヶ月間、わざわざフォローに来てくださり、
家事や育児をメインにたくさんすぎるくらい助けてもらいました。
時々会いに行っても、上の子はべったりなので、ほんとよくしてもらってます笑い泣き

と、色々振り返ると、
育児ってほんとに一人でできないなぁとしみじみ。
パパにはもちろん、両祖父母、パパ&私の姉弟達、その他親戚大勢。に沢山助けてもらってなんとか育児ができてるんだなぁと感謝しかないです照れ

実家が遠かったり、頼れなかったり、その他もろもろの事情があり
夫婦のみもしくは片親で育てておられる親御さん達はほんとに立派すぎて、自分が恥ずかしくなるくらいですあせる

と外出一つでも日々の感謝の大切さを感じてました。


パパは泥んこみれになって、ラグビーを楽しんでました照れ
とっても楽しそうにしてる姿が見れて良かったです!
明日からまた4連勤だけど、無理せず頑張ってもらいましょ!笑

おやすみなさい流れ星