脳腫瘍が分かって5日目 | 脳腫瘍と闘うパパと家族

脳腫瘍と闘うパパと家族

記録用✍︎闘病日記
2024.3~
脳幹グリオーマ(びまん性橋神経膠腫)と闘うパパと家族(パパ・ママ41歳
子供3人)
病気と闘うため情報がほしくて始めました。

2024.3.10

⁡パパの頭(脳幹)に腫瘍(グリオーマ.神経膠腫)があるのがわかって5日目。 

目眩を自覚してもうすぐ1ヶ月。 

症状に変化はなく、新たな症状もなし。

うまく言葉には出来ませんが、今は次から次へといろんな感情が出てきています。否定、怒り、悲しみ、絶望、恐怖、どれも今まで生きた中で1番強い負の感情です。 

 だけど、今隣にいるパパは立ち上がった時に目眩はあるものの、それ以外は普通で、だから泣いて暗くばっかりいられなくて、それじゃ時間はもったいなくて。ただ、どこかでこんな状況で笑っていいの?楽しんでいいの?って思う自分もいて。負の感情に支配されてる気がしてすごく嫌です。

それを分かってるパパがみんなを笑わせてきたりふざけたり、それでみんな笑って、うん、これでいい。

泣いてばかり、暗いのはわが家には似合わない。 

病気になる前からわかっていたはずなのに、こんなに私にとって大事で大きな存在であったことを改めて知りました。こんなことにならないとわからなかった事がほんとに悔しい。

わが家は共働きの核家族です。 

家事も子供の世話もパパと私の2人で全部やってきました。私の実家は県外、パパの家との交流は少なく、子供を預けることは1度もしたことはなく、とにかく必死に2人で子育てしてきました。 

私はフル勤務で夜勤もしていたし家事はパパの割合のほうが大きかった。洗濯も食器洗いもゴミ出しも買い出しも子供の提出物もパパがやってくれることが多かったです。ママの方が夜も働いて疲れてるし体使ってるから休んでて。いつもそう言ってくれていました。私なんかよりずっとずっと大変な役割を担ってくれてた。パパに甘えすぎていた。頼りきっていた。

パパの病気が分かってパパが今までしていた事をさせて欲しいとお願いして、代わりに私が実際にして思う。なんの文句も言わず、こんなに沢山のことをしてくれていたのか。 

自分がどれだけ楽をしていたか。買い物に行って、私が料理しやすいように小分けに肉類を分けてくれたり、揚げるだけでいいように衣をつけて冷凍してくれたり、こういう優しさにもパパの手間があったのに当たり前になってた。こんな優しいパパは他にいない。だから、今度は私が誰よりもパパを優しさで包む。

パパに腫瘍がある事がわかってからは、私は仕事を休んでいます。5日前のあの日、師長さんに電話し、パパの脳幹に腫瘍があったことを伝え休みがほしいとお願いしました。脳幹に腫瘍。看護師ですから、これだけで色んなことを察してくれたんだと思います。

大学病院での受診後にも連絡し、これからはパパの傍にいたいと伝えました。有給、介護休暇、つかえるものは全て手配すると言ってもらえました。 

本来であれば仕事に穴をあけ、引き継ぎもせず挨拶のないままの長期休暇、このまま復帰の目処も立たない私に最大限の配慮を頂いた事は感謝しかありません。頼れる相手には頼ろう。そう思いました。信頼のおける仲間たちに連絡しました。 

すぐにお守りを持って駆けつけてくれたこと、私のために制度をたくさん調べてくれたこと、脳腫瘍についての病院の情報をくれたこと、手配した書類をポストに届けに来ると言ってくれたこと、全部全部感謝しかありません。 

私のことを大事に思ってる、だからできること何でもやる、家族のことだけ考えて。みんながそう言ってくれたこと。絶対忘れない。いつか恩返しする。何かあったら今度は私が助ける。 

みんなに頼って私はパパの病気と闘おうと思います。病気になっていいことなんか1つもないけど、それだけじゃほんと悔しいしムカつくから、その中でも私は絶対いい事を見つけてやろうと思います。病気がわかってからパパと離れたくなくてずっとくっついています。どこに行くのも今は一緒です。付き合い始めの10代以来。これは私の中でいい事の1つ。