腫瘍があると分かった日 | 脳腫瘍と闘うパパと家族

脳腫瘍と闘うパパと家族

記録用✍︎闘病日記
2024.3~
脳幹グリオーマ(びまん性橋神経膠腫)と闘うパパと家族(パパ・ママ41歳
子供3人)
病気と闘うため情報がほしくて始めました。

初めまして。

主人がびまん性橋神経膠腫と診断されました。

病気、治療に関して情報がほしくてブログを始めました。


⁡2024.3.7

 ⁡パパの脳幹に腫瘍があるとわかって2日が経過しました。こんなに辛い2日間は今までの人生で初めてでした。⁡⁡まとまりのない文章になると思いますが、記録用として自分の気持ちを形に残したいと思います。 

 パパが体に異変を感じたのは2月の中旬。何だか目眩がする、立った時にふらつく。それが始まりでした。偏頭痛でかかりつけの脳外科を受診し、立ち上がった時に限局して起きているので少し注意して動いてみてそれでもダメならまた受診するように言われ1週間しても改善なく受診。

耳からくる目眩かもしれないからとメリスロンとアデホスコーワを処方され内服。

1週間経っても改善なく、また受診。別な耳の薬を処方されるが、耳鼻科で専門的にみてもらい1週間薬で様子を見るが改善なし。 

2日前の夕方に別な脳外科を受診。症状を自覚し3週間が経っていました。すぐにクリニックに来て欲しいとパパから連絡がきた。嫌な予感がしてすぐに行くと脳幹に腫瘍があって、明日朝イチ大学病院に受診することになったと。 

看護師の私は「脳幹に腫瘍」その言葉で全身の血の気が引くのを感じた。ごめんと震えながら謝るパパに大丈夫!大丈夫!そう言ってパパの体をさする私の手も震えてた。 

家に帰ってきてから子供達には普通に接しながら、頭の中は真っ白で。「脳幹」「腫瘍」携帯にいれて検索すると、脳幹グリオーマ、生存期間半年から1年。

 嫌だ、嘘だ、夢だ、違う。それが頭をずっとぐるぐる。何も食べれず、眠れず朝を迎え一緒に大学病院へ。大学病院の先生から言われた言葉は、紹介先からのMRIの画像を見ると脳幹神経膠腫、脳幹グリオーマだと思います。想像していた通り。今からもう1度造影剤を使ってMRIを撮ります。他にも検査を行います。先生にいろんなことを聞きました。余命、これからの治療、今から出る症状。私たちの要望も伝えました。

治療のために必要な入院はもちろんするけど、できるだけ家で過ごしたいこと、家族で一緒にいたいこと。わかりましたと言ってもらいました。

 …なんでパパなんだろう。こんなに優しくて家族思いのパパ。私が代わりになればよかったのに。わがままで自己中で面倒くさがりな私がなればよかった。そう思わずにはいられない。 

涙がとめどなく溢れ出る。現実味がないのに、涙は止まらない。⁡2日前に、当たり前の日々に戻りたい。⁡⁡病気のない日々に。⁡

もちろん命は絶対諦めない。ずっと家族で一緒にいる。子供達にも伝える。2人で話し合って決めたこと。1分1秒家族で大事にするために、嘘なく包み隠さず話す。