仕事が休みで都内にいた。
人と会う約束をしていた。
電車を降りて
駅前を歩いているとき視界が揺れた。
目眩だと思った。
その場で立ち止まると
周りの建物から次々に人が出てきた。
目眩ではなく地震だった。
目の前のマンションや信号が
見たこともない揺れ方をしていた。
その場に居合わせた知らない人達と
“こんな揺れ方したことないですよね”
“何かあったんですかね?”
などと話していた。
その時側に居たスーツを着た男性が
“福島で震度6だって!!”
と教えてくれた。
震度6って何だ!?
福島ってことは栃木もヤバいんじゃ...
そう思って栃木に居る家族に電話を掛けた。
誰とも繋がらなかった。
心配で
不安で
でも出先だから携帯を使い続けることが出来ず
ここにいても仕方がないと思い
とりあえず知人との待ち合わせ場所へ。
その時は何も知らなかった。
あんな惨劇が起こっていたことを。
知人と合流するも
どこもかしこも人だらけ。
余震が続いていて
どこの建物にも入ることが出来なかった。
その時兄と連絡が取れた。
兄は無事だけど
両親と連絡が取れないと...
ただただ不安が募るだけだった。
そしてあの津波の映像をワンセグで見た。
映画のワンシーンだと思った。
日本の映像だと思わなかった。
栃木には海はないけれど
それでもまさか...という思いが過った。
知人も実家が茨城だから
お互い不安が募るばかりで
とにかく一度家に帰ろうということになり別れた。
その時には既に電車が止まっていた。
帰宅難民になったのだ。
タクシーも捕まる訳がなく
仕方なく歩いて帰ることに。
夜の7時半頃だった。
とても風が強くて凄く寒かった。
歩いているときに携帯が鳴った。
母からだった。
父も母も無事だと。
ただ電気・ガス・水道全て止まっているから長話は出来ない
とりあえず大丈夫だから。
それを聞いて少し安心した。
でも余震は続いていて油断は出来ない。
そう思いながら歩き続けた。
自宅に着いたのは夜11時半頃。
4時間歩き続けたのだ。
へとへとになりながらもとりあえずコンビニに行った。
何もなかった。
食べ物も飲み物も
棚がガランとしていた。
ウチはガスだけが止まっていたから
とりあえず食事は出来た。
テレビを点けても全チャンネルが地震の報道をしていた。
家族を思うと寝ることが出来なかった。
テレビもつけっぱなしで
一晩中起きていた。
エリアメールが鳴り続けた。
とにかく怖かった。
どうなってしまうのかと。
私は1人で死ぬのか?
家族がもし...
そんなことをずっと考えていた。
震災から3年
今でもエリアメールが鳴るとこの時の不安が甦る。
絶対に忘れちゃいけない記憶。
忘れる訳がない記憶。
3年経ってもこれだけ覚えているのだ。
ただ“今”書いておきたいと思った。
人と会う約束をしていた。
電車を降りて
駅前を歩いているとき視界が揺れた。
目眩だと思った。
その場で立ち止まると
周りの建物から次々に人が出てきた。
目眩ではなく地震だった。
目の前のマンションや信号が
見たこともない揺れ方をしていた。
その場に居合わせた知らない人達と
“こんな揺れ方したことないですよね”
“何かあったんですかね?”
などと話していた。
その時側に居たスーツを着た男性が
“福島で震度6だって!!”
と教えてくれた。
震度6って何だ!?
福島ってことは栃木もヤバいんじゃ...
そう思って栃木に居る家族に電話を掛けた。
誰とも繋がらなかった。
心配で
不安で
でも出先だから携帯を使い続けることが出来ず
ここにいても仕方がないと思い
とりあえず知人との待ち合わせ場所へ。
その時は何も知らなかった。
あんな惨劇が起こっていたことを。
知人と合流するも
どこもかしこも人だらけ。
余震が続いていて
どこの建物にも入ることが出来なかった。
その時兄と連絡が取れた。
兄は無事だけど
両親と連絡が取れないと...
ただただ不安が募るだけだった。
そしてあの津波の映像をワンセグで見た。
映画のワンシーンだと思った。
日本の映像だと思わなかった。
栃木には海はないけれど
それでもまさか...という思いが過った。
知人も実家が茨城だから
お互い不安が募るばかりで
とにかく一度家に帰ろうということになり別れた。
その時には既に電車が止まっていた。
帰宅難民になったのだ。
タクシーも捕まる訳がなく
仕方なく歩いて帰ることに。
夜の7時半頃だった。
とても風が強くて凄く寒かった。
歩いているときに携帯が鳴った。
母からだった。
父も母も無事だと。
ただ電気・ガス・水道全て止まっているから長話は出来ない
とりあえず大丈夫だから。
それを聞いて少し安心した。
でも余震は続いていて油断は出来ない。
そう思いながら歩き続けた。
自宅に着いたのは夜11時半頃。
4時間歩き続けたのだ。
へとへとになりながらもとりあえずコンビニに行った。
何もなかった。
食べ物も飲み物も
棚がガランとしていた。
ウチはガスだけが止まっていたから
とりあえず食事は出来た。
テレビを点けても全チャンネルが地震の報道をしていた。
家族を思うと寝ることが出来なかった。
テレビもつけっぱなしで
一晩中起きていた。
エリアメールが鳴り続けた。
とにかく怖かった。
どうなってしまうのかと。
私は1人で死ぬのか?
家族がもし...
そんなことをずっと考えていた。
震災から3年
今でもエリアメールが鳴るとこの時の不安が甦る。
絶対に忘れちゃいけない記憶。
忘れる訳がない記憶。
3年経ってもこれだけ覚えているのだ。
ただ“今”書いておきたいと思った。
