刹那の時の中-one story-

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ずいぶんと久しぶりの投稿です。

最近、思うことなのですが、お礼と謝罪の少なさを感じます。
自分も幼い頃、ありがとう。や、ごめんなさい。がとても少ない子供でした。
それは言われた経験が少なかったという言い訳にしか聞こえない理由もありますが、恥ずかしさもあったのかもしれません。

中学校三年生の終わりに、祖母と伯母と話した内容なのですが、そのときも、こんな題名のような話題でした。
「最近は、困ってる人がいても話しかけづらい。」
まだ指折り数えられるくらい前の話なのですが、これは現在だけの悩みではないようです。
話しかけづらい、というのも、
何かをすることが、お節介だという考え方になってしまう時代だからなのではないかと個人的には思います。
例えば、辺りを見渡したり、行ったり来たりを繰り返す、道に迷っている人がいるとしたら、その人に話し掛けるかどうか。
他にも、駅で切符を買おうとしているけれど、買い方や値段がわからない。そんな人が居るとする。
駅であれば、駅員さんに伺えば良いのかもしれませんが、もちろん話しかけることも間違いではないと考えます。
もし、このような場面に他人として自分がいたら、どうするでしょうか。
自分としては、話しかけるかどうか、とても迷って、無視してしまうかもしれません。
でも、モヤモヤは拭えないまま、目的地に行くのだとも分かっています。
なぜ、話しかけられないのか。
それは「ありがとうございます。」や「大丈夫です。」という言葉ではなく、
内心ではありますが、お節介な人だと思われるのが怖いからです。
別に平気なのに。と自分も思うことがあるから、逆にそれを怖く思ってしまいます。
最近は、なにも言わずに無視されてしまうこともあるみたいですね。
実際、先日、回転寿司に行ったのですが、中年の女性が小銭を落としてしまったところを目にしました。
その近くに店員さんがいらっしゃって、
大丈夫ですか?取れますか?
とお仕事を中断して声をかけていたのですが、その女性はなにも言わずに無視して拾い、去っていきました。
それが悪いことか、良いことかは、人によって観点が違うので、答えはないと思います。
けれど、自分が店員さんだったら、少し寂しい気持ちになるかなぁと、そのときの自分は思いました。
どちらの観点も、正反対だからこそ、違う気持ちを抱くのではないかと感じます。

話を少し逸らしてしまいました。申し訳ないです。

お節介だ、という考え方が増えていくこと。
そして、それが嫌で、困ってる人に話しかけられないこと。
昔はそんなこと少なかった、などと言いたいわけではありません。
けれど、少なかったことが多くなっていくのが良いとは思っていない。
伯母はこの話をしていたとき、
「腐ったみかんの方程式みたいだね」
と言っていました。
もちろん、人間はみかんではありませんが、でも似ています。
染まりやすいと個人的には思う。
それは自分を客観的に見て、そう感じます。
当たり前ですが、染まらない人も居ます。
伯母が染まらない人なので、よくわかってる"つもり"です。
 腐ったみかんの方程式、という表現はとても合っているかもしれません。
腐ったものが一つあって、それを捨てずにいると、隣のものも腐り、その隣も腐っていく。
最初のみかんを、すぐに捨ててしまわないと、(言い方が大きすぎますが)次のチャンスを逃してしまう。
現在、どうでしょうか。
自分には、
あくまで自分は、ですが、腐ったみかんを捨てなかったがために、どんどん腐っていくように思います。
それがまだまだ増えていく度に、人はまた人を避ける。
いかにも、それは悪いことだと言っているような文面で、とても上からに見えてしまうかもしれません。確かにそうかもしれない。
そして、だからといって、自分がどうこう出来ることでもない。
でも、ふと思い出した今、「悲しいなぁ」と思っています。
どうすべきなのか、多分、わからないままなので、今は
お礼と謝罪
だけは、きちんとすることだけを頑張るしかないですよね(笑)

また少しずつブログを書いていけたらと考えています。

休みなのに頭を使った…。眠い…。

それでは。