大阪府東大阪市に鎮座する神社巡りの最中に出くわした「若江城跡」
っていうか、東大阪にお城が建っていたことに、いるるは驚きました
城跡はとても小さくて、社が鎮座していました
若江城跡
若江城は明徳元年(1390)高屋城を本拠とする河内守護の畠山氏が
築城し、守護代遊佐氏を置いて領国守護に当たらせました。
城は古大和川の流路と湿地に囲まれた自然の要害を利用した平城。
宝徳年間(1449~51)から始まった畠山氏の家督相続をめぐる争いは
若江の地を戦乱に巻き込み、応仁の乱を引き起こす遠因になった。
三好義継は、若江城に拠って、中河内一帯を碑配していましたが、
家臣の内通もあって、天正元年、信長は若江城の義継を攻めました。
このとき、義継は城の楼門の上で自害したと伝えられています。
義継の死後、信長は若江城を三好氏の家臣であった池田丹後守教正に
与えました。この池田丹後守は、熱心なキリシタンで、シメアン丹後守と
よばれました。城は天正8~9年頃に破却され、池田丹後守は
八尾城に移りました。城跡は市街化に伴い消滅していますが、
府道四条布施線に拡幅工事の際、東大阪教育委員会によって
発掘調査が実施され、若江城に関連ある遺構・遺物が数多く検出された。
上記を読んで、いるるは八尾にもお城があったなんてと、
更に驚きましたーーーぁぁぁあ
国道24号線沿いに鎮座する社と若江城跡
石標です
いるるは、城跡に何で社が鎮座してるのかが
不思議でなりませんでしたが
よくよく考えてみると、お城は昔、戦が何度も起こった地
なので、この地を、色んな意味で
鎮めないといけないんだと思いました
それにしても、湿地帯にお城を建てたなんて、
それも、いるるは不思議に思いました
国道24号線沿いに鎮座する
不思議な香りがする若江城跡でした