※『キスの日』にポンと浮かんでしまったお話
※青さん視点。特殊設定・その狂気ごと総て俺に頂戴
※緑青さんと言いますか倉安要素を多大に含みます。苦手な方は特にご注意
※少々関係をほのめかす描写あり。ご注意
俺の恋人は、同居人兼・同僚兼・同業者である。
お互いに舞台をメインにした俳優業をしている。
俺は幼い頃から演劇やダンス等に心惹かれていて、家族とも相談し・国内でも有名な事務所の門戸を叩いた。
あれが確か、中学生の頃。
──そこで出会ったのが、大倉。
年齢も近く、意気投合するのも早かった。
気付けばすぐに仲良くなって、休日まで一緒に過ごす事も多く。
恋心を自覚したのもほぼ同時期だったらしく、十代からのお付き合い。
仕事面も二人の関係も色々あったけれど、今では有難い程に双方順調で。
主演として舞台に立つことも増えた。
大倉は、演出まで手がけるようになったり。俺は元々趣味としていた音楽や美術の勉強にも視野を広げるようにもなって…。
そんな中、大倉が主演予定の舞台の話題で盛り上がっていた。
「だいぶ迷うたけどやっぱ面白そうなんや、やってみたい」
「そっか、勿論応援するで、俺も気になっとったから」
自宅でいつものように晩酌を交わしながら、例の演目の話。
オーディション類では無く、大倉個人へのオファーがあり、引き受けるかどうかだいぶ悩んでいたようなのだ。
別の仕事のスケジュールとの兼ね合いもだが、一番のポイントは今回の題材だったのだとか。
原題は海外発で、此方では認知度の低い作品ではあるが、その内容も相まって色んな意味で『難しい』と言われているタイトルだと聞いた。
架空の19世紀末・ヨーロッパ。
主人公は、身分違いの恋に身を焦がした純粋な青年。
上流階級の娘と恋仲となるも、残酷な裏切りに遭い、心が壊れてしまう。
愛しさゆえに彼女を殺害し、自分を貶める策に関わった他の人間たちまでも淡々と襲っていくというサスペンス劇。
大倉はこういう役柄はあまり経験が無く、役者としてのイメージもあるので事務所サイドは難色を示していたようだが。
本人の希望も有り、企画が通った形になる。
ファンもきっと、彼の新境地を観に来てくれるはずだ。
…ちなみに、一番のファンは俺だから、なんて。密かに自負している。
「振り切った役の時のおーくらも好きなんや、俺も楽しみにしてるなぁ」
「ヤスに褒められると照れるわ、そっちも舞台終わったばっかりなんやから、暫くはしっかり休養してや?」
「ありがとう、おーくらが色々サポートしてくれとったから、めっちゃ楽してもうてた」
先日、俺も大きな役を終えたところで。
今までも特に明確な決め事は無かったが、お互いの仕事の日程に合わせて家事を分担したり、準備を手伝ったり。
寄り添うようにサポートし合えるのも、同居を始めて嬉しく感じている部分だった。
「…休んでくれって俺から言うといてなんやけど」
「ん?なに?」
ほろ酔いの視線が急に熱を帯びたかと思うと、ゾクゾクする程の色気を纏う。
すっかり魅せられて、目を逸らせない。
そっと抱き寄せられるままに身を委ね、腕の中に包み込まれる安心感と、疼く欲熱に昂っていく。
「ヤスが舞台終わるまで…って抑え気味にしとったから、今夜はちょい張り切ってもええ?」
「ふふっ、いっぱい可愛がってくれる…?」
我慢していたのは、俺も同じ。
いつの間にか彼仕様に作り変えられていくみたいに、身体の相性も良くなるばかりで。
濃厚な口付けから始まり、愛しい熱を何度も何度も求め合った。
俺達は予想もしていなかったのだ。
あの舞台が、大倉の身も心も侵食し、徐々に蝕んでいくだなんて。
* * *
稽古も始まり、詳細な公演日程も決まった頃。
大倉が、酷く消沈した様子で帰宅して来た。
「どないしたん、顔真っ青やで」
体調が悪いのかと尋ねると、彼は項垂れながらも、とある資料を見せてくれた。
それは、海外の演劇誌のコピーであったり、数年前の新聞紙面のコラムだったり…。
そのどれもが、今回大倉が主演を務める舞台の原題版を取り扱ったものではないか。
彼なりに、この作品の背景を深く知ろうと、独自に色々と調べていたそうだ。
しかしそんな中で、今まで国内で演じられていなかった理由を察するに至ったのだ。
──『呪われた舞台』『悲劇の再来』。記事の見出しに踊る文字は、不穏なものばかり。
設定や脚本は各々アレンジや新解釈を繰り返されているが、海外では良くも悪くも有名な作品だったらしい。
俺達が生まれるよりも、ずっとずっと前の事。
この題材を扱った劇団の看板俳優が、同じように自身の恋人を手に掛ける事件が発生したとか。
別団体の公演では、主演予定の俳優が連続傷害事件を起こした、だとか。
某国の劇場では、この演目自体封印されたとか…。
眉唾物の内容も並んでいるが、実際の事件を参照している記事も有り、重苦しい文面だった。
「…こんなヤバい作品やったなんて聞いてへんし」
「そらそうやろ…」
今回大倉へオファーした側も、脚本や演出サイドですら、「知らなかった」もしくは、都市伝説レベルの扱いで。
それどころか、話題性を優先したフシさえあるのだという。
大倉も俺も、恐怖体験の類は出来れば遠慮したいタイプなのだが…。
「どないするん?今から降りるってのも…難しいよなぁ」
これらの記事を見るに、仮に総じて事実だとしても、一番危険なのは大倉自身である。
彼への影響を心配する視線を送るが、何故か当人は落ち着きを取り戻していて。
「怖ない?平気?」
「色々調べて驚きはしたけど、何でか怖いってのとはちゃうんや…むしろ受け入れてもうてる」
一層役に入り込めそうだと零すのだ。
「せやけどヤスには知っといて貰いとうて。どこまでホンマの事か分かれへんけど、俺が今後怖気づいたら気合入れて欲しいんや」
「了解、俺に手伝える事あったら何でも言うてな?おーくらがそっちに集中出来るように頑張るから」
「…やっぱヤスは最高やなぁ」
張り詰めた空気が柔らかく溶け、見詰め合ってはお互い顔が緩んでしまう。
「ちゃんと初日にはキスしたるから」
「頼むわ、アレは絶対欲しい」
二人の間のジンクスのようなもので。
舞台初日には、応援している気持ちを注ぐ意味も含めてのキスを贈るのだ。
大倉の舞台の時は、俺から。
俺の舞台の時は、大倉から。
公演前に交わすキスは、俺達にとってはとても神聖な儀式にも似ている。
言葉に言い表せない感情をぜんぶ込めて口付ける。
不思議なことに。コレを交わすと、不安や緊張も吹き飛び、大きなトラブルも無く初日を終える事が出来るというもの。
ちょっと心配の要素は増えたものの、共演者にも恵まれ、その後も順調に稽古が進み。
問題無くスケジュール通りに初日を迎えては、お客さんやファンの反応も想像以上に好評だったのだ。
俺も初日の舞台を見学させて貰った。
…しかし俺の感想は、それらの称賛とはまた異質の感覚。
「おーくら…?」
作品の世界観に呑まれそうになる、気迫の演技。いや、演じているものだと忘れてしまいそうな変貌。
返り血の演出が映える彼の姿は、恐ろしくも見惚れるほどに美しかった。
* * *
公演期間中の大倉は、日を追うごとに益々役へ没入していった。
自宅に居ても、常に頭は舞台の事でいっぱいという調子。正直、俺が役にハマり込む時以上の狂気を帯び。
日常生活の中でも、意識は別の世界に半分置いて来ているような…。
彼にしては本当に珍しく、全く切り離せていないのだ。
「おーくら」と呼び掛けても、自分が呼ばれている事に気付いていない瞬間さえあった。
あんなに食事とお酒が大好きな彼が、どちらにも興味を示さなくなったり。
舞台は絶賛されていくし、大倉も真剣に向き合っているが、その精神は不安定になるばかり。
「ヤス…俺がおかしなってるんかな」
「大丈夫やって、きっと役とおーくらの相性が良過ぎてん」
俺は、彼の心を守る事に総てを注いだ。可能な限り彼と一緒に過ごしては、観察とフォローを怠らないようにして。
…世の中には、不可思議で・理論や理屈で説明しきれない事象がたくさんあるんだって知っている。
俺が考察したって仕方が無い。否定せず、受け入れる。
大倉が演じ切りたいと決めたのだから。
しかし彼は、次第に俺の心配をするようになっていくのだ。
「しばらく俺から離れとった方がええんちゃう?俺が出て行ってもええ、舞台終わるまでホテル住まいでもするから」
「…何でそんなん言うん?」
「好きな相手死なせてまう役なんやって知ってるやろ…ヤスが危ない」
大倉は本気で言っているのだ。
…本当に、俺に何かしてしまうかもしれないと。
──あぁ、ごめんなさい。
おかしくなっているのは、俺の方かもしれない。
「あんなぁ、もしおーくらが、誰かに危害を加えてまうような衝動が抑えられへんくなることあったら、真っ先に俺の所に来て」
「ヤス…!」
「…約束やで?」
役の感情に引き摺られているとしても。俺を、殺したい程愛しいって思ってくれる瞬間があるだなんて。
深い深い心の奥底で、ぞくんと闇い歓喜に身悶えている自分が居た。
大丈夫、大倉はそんな事しない。信じているから。
そっと彼の頬に手を添えると、初日の時以上に想いを込めたキスを。
「誰が無抵抗で殺されたるって言うた?俺しぶといから、覚悟してや」
「…ホンマにヤスには敵わんなぁ」
* * *
後日、無事千秋楽を迎えた大倉は、各所への挨拶や打ち上げもそこそこに、殆ど真っ直ぐ帰って来てくれた。
彼の状態を共演者陣も理解していたようで、「早くヤス君のところに帰って報告してあげて」と背中を押されたのだとか。
玄関で「おかえり」すら言わせてくれないのには驚いた。
荒々しいまでの抱擁に戸惑っているうちに、即・寝室行き。
ベッドまで運んだのは、彼のギリギリの理性だったらしい。
組み敷かれた後は、シャツのボタンが弾け飛ぶ勢いで衣服を剥かれ、瞬く間に壮絶な快感の底に墜とされていた。
『待って』など効かない。
容赦無しの暴力的な愛撫に飲み込まれる。痛いことをするんじゃなくて、抗い難く甘美な悦。
幾度昇り詰めても終わりが見えないのだ。
単純に体格差で押し切られているのもあるが、縋るような視線と獣の表情を巧みに混ぜてくるのはズルい。
…舞台上で、恋人役の女優さんと、俺が重なったんだって。
「捨てられてもうたらどないしよう、誰にも渡しとうなくて、こんな風に俺がヤスを…って過ぎって」
「ここにおるよ、なっ?」
俺がちゃんと『生きてる』んだって確かめるみたいに、体温を貪る。
俺の心臓の鼓動を。火照り溶ける身体を。「おーくら」って、何度も呼ぶ声を。
ひとつずつ彼自身の腕の中に閉じ込めながら、長い夜に溺れていく大倉。
そんな君が、酷く愛おしく思えた。
翌朝、まぁまぁボロボロになった俺へ、謝罪の嵐。
凄いな、キスマークどころか指の跡?こっちは噛み跡?
全身が甘く軋み、喉も掠れ、おそらく目元も真っ赤。
一番は下腹の違和感か。僅かに身を捩るだけで、未だ繋がったままと錯覚させる生々しい余韻。
「別の意味で殺されるか思た…」
「ホンマにごめん、謝って済むやなんて考えてへんけど」
大倉シェフ特製の朝食も久し振りで嬉しい。
文字通り憑き物が落ちたかのように、いつもの大倉に戻っていたのは、もっと嬉しい。
彼としても複雑な心境らしいが、役者としての経験のうち、大きな糧となったと話す。
「ヤスのおかげ」
「俺はなんもしてへんよ」
すっかり至れり尽くせり労りモードに入った大倉が、俺を抱き寄せながらこんな提案をくれた。
「今度、俺達で二人舞台やってみよか」
「やりたい!…せやけど、構成次第じゃベタな女子会みたいになるで?」
「…需要あるって、たぶん、きっと」
その場合は、例のキスはどうするんだと問えば。
公演前にいっちょ濃厚なヤツを交わしてからステージに立ちましょうという申し出。
「そうなると、キスした直後のヤスのエロい顔、お客さんに堂々公開してまうことになるなぁ、タイミングは一考の余地アリ」
「…おーくらキス巧いから濃厚なヤツはアカン」
そんなの、頭が真っ白になって・台詞の肝心な部分が飛ぶ自信があるので、ほぼアドリブ劇になる事をご了承頂きたい。
-貴重なお時間を頂き、有難うございました。