※『恋が始まる日』にポンと浮かんでしまったお話
※青さん視点。気持ち良くなっちゃう響きってやつ

※緑青さんと言いますか倉安要素を含みます。苦手な方は特にご注意

※明記有りませんが黒紫前提にてご注意

 

 

 

 

 

 

聞き慣れた声で、「こないだ飲んでみたいって言うとったドリンク買うて来たで、ダーリン」。

続いてお返事、「おぉ助かるわ、ハニー」。

 

…今のは俺だけに聴こえた幻聴だろうか。

 

久し振りの、全員揃っての仕事で。

我らが年長組夫婦が、おかしな事になっているという衝撃。

コレが耳に届いて、思わず後方で固まってしまった。

旦那殿が、愛嫁をハニーと呼び。

その女房役が、旦那をダーリンと呼んでいる。

彼等の会話自体はほんわかまったりと仲良しさんなのに、双方の間に走る不可視の火花を感じるのである。

 

ぽかんと硬直したままの俺に、近くに座っていた大倉が小声で補足してくれた。

「あぁそうか、ヤスはアレ見るんは初めてか」

「…おん」

「おもろい事になってるんや、俺は暫く仕事一緒やったから見慣れてもうたけど」

彼がこっそり教えてくれたところによると。

コトの始まりは丁度三日前。火種となった原因自体は、くだらなくてしょうもなくて・痴話喧嘩とも言えないただの惚気らしいので割愛されたが。

二人は、罰ゲームを据えた勝負の真っ最中なのだという。

各々、相方の呼称を『ダーリン』『ハニー』とする事。ルールはこれのみ。

三日間という制限で、うっかり従来の呼び方をしてしまった時点で終了。

さすがに仕事中や公共の場では例外としているそうだが、現状全く勝負がつかないのだとか。

 

「…もうこれ自体が罰ゲームちゃうん?」

「ヤスに同意」

イチャイチャと殺伐が複雑に絡み合った空気がヒドい。

何というか、引くに引けなくなった地獄絵図。

「成程なぁ…二人とも、こうと決めたら譲れへんっちゅうか、徹底してストイックさんなとこあるもんなぁ」

「それにしたって三日は凄いで」

この内容自体も、お互いに精神的ダメージが大きいものを敢えて選んだのだとか。

勝ち負けが付いたとして、罰ゲーム自体は『後で考える』という急な雑さ。

そのくせ、この光景を面白がった陽気モードMAXの男が絡みに向かったところ、旦那に撃退されたのだそうだ。

その堂々文句が「コイツのこと『ハニー』って呼んでええのは俺だけや」というから、当人じゃなくても照れる。

 

お付き合い歴も余裕で10年を超えるような二人だからこそ、成立する遣り取りなのだろう。

おそらく、何だかんだで楽しんでいる。

そんな彼らをちらりと眺めながら、つい心の声を漏らしてしまっていた。

 

「…ええなぁ、俺もやりたい」

 

 

 

* * *

 

 

 

ずっとずっと、大倉に片想いをしている。

正確にいつからなんて分からないくらい、彼への『好き』を、密かに胸の奥に抱えていた。

自覚した瞬間から、告白するつもりなんて全く無くて。

むしろ『親友』ポジションを一生陣取っていたいくらいの欲張り感。

大倉の恋愛対象が女性だというのも勿論理解しているし、こんな想いを伝えられたところで彼も困ってしまうだろう。

隣で笑ってくれるだけで、なんて幸せなのだろうと思っていた。

 

…けれど、最近の俺はその『好き』を隠すのがどんどん下手になっているのだ。

不意に、ぽろりと零れてしまう。

態度や表情の端々に好意が表れているのが、自分でも分かる場面さえ在るのだ。

 

きっと大倉は、気付いていないフリをしてくれているか・いつもの過剰な友情表現くらいに捉えているのかもしれない。

それでいいし、正直有難いとすら思う。

──だからこそ。俺のあの呟きを、彼があっさり拾って快諾してしまったのが謎だったのだ。

「了解、俺でええの?ほな、俺がダーリンでヤスがハニーってことで」

「え…おーくら?」

「俺達も期限は三日間くらいにしとくかぁ、負けへんからな」

ふふん、と既に勝ち誇ったような面持ちで。

 

俺は特段、お付き合いした相手と甘々に呼び合いたいという願望が有る訳では無くて。

あの熟年夫婦の雰囲気を間近で見て、楽しそうだなぁとか羨ましく思ってしまった、それ故のもの。

ノリが良過ぎる大倉は、真似してやってみようという誘いと受け取ってくれたのだろうか。

俺は俺で、訂正する事もせず。

彼が乗ってくれたのが単純に嬉しくて、ただ頷いていたのだ。

 

ルールは至極簡単。

その1。例の呼称を間違えて、いつもの通りに呼んでしまった方の負け。

その2。仕事中や公共の場などは、一時休戦。

その3。期限は三日間。

罰ゲームとして、ミスした方は相手の言う事を何でも聞くという大盤振る舞い。

ちなみに、参考とさせて頂いたお兄様方は、結局勝負がつかなかったそうだ。

 

俺達に至っては、さてどうなるものかとドキドキしていたら。

なんと・これまたあっさり期間達成。最終日にはお互い驚いていた。

「続くもんやなぁ、ダーリン」

「ハニーが初日からやらかすと思うとったのにな」

「なんやとー」

勝敗がつかないので、じゃあどうしようかという話になる。

連日、双方だいぶ仕掛けていったのに、存外引っ掛からないし、粘るもので。

逆に他所で『おーくら』『ヤス』呼称に切り替える時の方が大変だったくらいだ。

「ふふっ、せやけどなんか楽しかった」

思い付きに付き合ってくれて有難う、と。終了宣言を伝えると、大倉が柔らかく微笑んだ。

 

「ホンマにヤスの恋人になった気分やったわ」

「…おーくら」

この時の俺は、一体どんな顔をしていたのだろうか。

彼の目を見詰め返す事しか出来ず、胸の辺りがきゅっと締め付けられるような感覚に襲われる。

同時に、大倉が息を呑むような気配がした。

形容し難い空気に包まれるのだ。少なくとも、これまでの俺達には無かった不思議な沈黙。

けれど、決して嫌なものでは無くて…。

 

先に声を上げたのは彼の方だった。

「なぁヤス、明日休みだって言うとったよな、なんか予定入ってる?」

「明日?特になんも…」

スケジュールの都合での急なお休みだったので、今のところ外出予定なども考えていなかった。

素直に返答したら大倉がちょっぴり嬉しそうに綻んで、彼自身と休日が重なった事を教えてくれた。

 

「延長戦しよ、ヤス」

「え、めっちゃやる気やん」

「俺ん家来てや、明日一日で勝負決めたるから」

強気な笑みを浮かべる彼に、己の負けず嫌いな部分が疼く。

相手は相当な勝算があるらしい。しかし此処で引くのも癪なので。

ドンと胸を張りつつ、誇張気味に応戦体勢。

「おうよ!受けて立つ!!」

「ヤスのこういうチョロ…可愛えトコ最高やわ」

「…今のは聞けへんかったことにしといたる」

 

 

 

* * *

 

 

 

翌日、大倉宅にて。

いつもの調子で遊びに来ました感覚が、既に誤っていたのだ。

 

確かに延長戦である。

しかし彼の提案により、テーマというか呼称についての変更があったのだ。

深く考える事無く、詳細すら聞かずに了承した。これが一番マズかったのかもしれない…。

「お昼何食べたい?夕飯は『章大』の好きな物作るから楽しみにしといてや」

「…あ、ありがと…『忠義』」

──まさかの、名前呼び。

ある意味、俺には『ダーリン』『ハニー』よりも難易度が高い上に・平静でいられない。

マトモに彼の顔を見る事も出来ないレベルで照れが抑えられないのだ。

 

「何で今更名前呼ぶのに照れてんねん」

「慣れへん!照れる!」

逆に何でお前は平気なんだと反抗してやりたい。

…呼ぶのはまだ良いのだ。むしろ嬉しい。いざ使いはじめてみると、もっと呼びたくなってしまうほど。

しかし、彼に呼ばれるのは駄目だ。これも嬉しいのに諸々際どい。

心の準備をして構えていても無理。…恋をしている相手なのだから尚更だ。

「名前呼び、嫌なん?昔はあんな呼びたがっとったのに」

嫌な訳無いじゃないと、慌てて首を横に振る。

「た…忠義に、名前呼ばれるんがなんか…緊張してもうて」

これも表現するのが難しい感情なのだ。

ソワソワするようで、ドキドキするようで、ゾクゾクするようで…。

 

そこからも、本当に狼狽えてばかりだった。

彼は一層積極的に仕掛けて来るし、俺も応じるものの、こちらが慌てふためく様子を面白がられている感すらある。

午後まで何とか頑張ったが、これ以上は…。

 

聴覚にも性感帯なんてものが存在するのだろうか?

あの声で『章大』と呼ばれるだけで、次第に身体が熱く火照り、気持ち良くなってしまうのだ。

響きひとつで快感を得ている自分が恥ずかしくて、もう白旗。

こんなの耐えられない。

しかし彼の攻勢は激しくなるどころか…。

 

「…なぁ、名前呼ぶたびにめっちゃエロい顔してるって気付いてる?」

「そんなん知らんし!顔見んといて…」

「誰にでもそうなん?章大って呼ばれただけで、ヤラしい顔して誘うてまうの?」

じりじりと距離を詰められ、壁際に追い込まれての、耳元での『章大』呼び。

…コレがトドメだった。

全身が甘く痺れ、その場に崩れ落ちてしまいたいのに、背後の壁と彼の脚がそれを許さない。

 

「おーくらストップ!俺の負けです!!参りましたっ!!」

涙目の敗北宣言。

必死に彼の身体を押し戻そうとするも、腕に力が入らない…。

「俺の勝ち?ほな、言うこときいてもらおかな」

「聞くからっ…一旦離れて…」

しかし大倉は離れてくれる事もなく、何故か俺の身体は完全に彼の腕の中。

包み込む温もりは優しいのに、抱き寄せる力は荒々しいほど強くて逃げられない。

 

「ヤスに好きな人がいてるんは分かってるけど…俺と付き合うてくれへんか」

 

……なんですと?

驚きが過ぎて声が出なくなる。

聞き間違いでは無いだろうかと、まずは自分の耳を疑った。

「気付いとったで、ヤスには好きな奴がおるんやろうなって」

急に、彼の声音が苦しげに翳る。

「最近一段と可愛なったっちゅうか…誰かのこと想うてるんやろうなって表情が増えとった」

そんな中で、例の俺の発言が彼を揺さぶったのだという。

「遊びや冗談でも、ヤスと他の奴がダーリンとかハニーとか呼び合ってるトコ想像したらめっちゃ嫌やってん」

「おーくら…」

「せやからその前に俺が、って」

あぁ、だからあんな急くようにゲームを受けてくれたのか。

納得は出来たが、今の状況の解決にはなっていない。

 

「挙句に名前呼びされるたびにとんでもない色気振り撒くやろ」

「い、色気?」

「頼むから、俺以外にあんな顔見せんといて…」

彼の独占欲を真正面から浴びて、ぞくんと身体の芯から悶え溶けそうになる。

自分の色気とやらは良く分からないが、おそらく彼に呼ばれた時限定の発動では?

 

片想いの相手から告白されているらしいという現実に、頭の処理が追い付かなくなる。

思わず発していた台詞に、自分でも驚いていた。

「…言う事聞けへんかったらどうなってまうの?」

「どないなる思う?」

挑発を挑発で返され、その視線も鋭利に此方を射貫く。

 

直後に漏れてしまったのは、はしたない媚声。

上着の隙間から彼の手が侵入して来て、熱く昂ぶる肌を撫で這うのだ。

その指先はほんのり冷たくて気持ち良い。遠慮など皆無の我が物顔で、俺の欲望ごと暴きにかかる。

「っあ…待っ…」

「だいぶ待ったで、今日一日で勝負決めたるからって言うたよな?ずっと俺の理性試されてるのか思た」

あれってそういう意味も含んでいたの?

しかし回想している余裕も無い。次々と衣服は剥ぎ取られ、手際が良いのも困りもの。

 

…きっと、俺が本気で嫌がったら止めてくれるのだろう。けれど、逃げ出す選択肢など最初から放棄している。

だが流されるだけなのも業腹なので、ギリギリのところで訴えかけた。

 

「一個だけ訂正してや、後は好きにしてええから…」

「…何や?」

「こんなんおーくらだけやから…。名前呼ばれて気持ち良うなってまうなんて、…好きなひとにだけや」

誰にでもうっとり蕩けてしまう訳じゃないのだと。

あと、出来れば優しくして欲しいなぁ、なんて後付。

 

「ヤス、やっぱ最高やわ」

ギラギラした貌から、急転・愛嬌たっぷりの笑顔。

このギャップもまたズルいのだ。

 

そもそもの切っ掛けは何だったのだっけ?と。

そうだ、あの夫婦の所為というかお陰(?)なのだから、後で菓子折のひとつでも持っていこうか。

軽々と抱き上げられベッドまで大人しく運ばれながら、ぼんやりそんな事を考えていた。

 

 

 

 

 

-貴重なお時間を頂き、有難うございました。