京都の処刑場というと「石川五右衛門」の三条河原や六条河原が有名ですが、ほかにも西土手処刑場と九条山の粟田口処刑場がありました。前回や25で紹介した「六角獄舎」から市中引き回しの上、連れていかれました。当社がある「京極町」も一説によると、平安京では端にあたるから「京極」の意味と当時寺町通はメインストリートでしたから(昭和30年代まで祇園祭山鉾巡行は寺町通を通りました)罪人も寺町通をとおり三条河原や粟田口まで連れまわされたでしょうから「極刑」の「極」の意味もあったかも?


恵さんのブログ


恵さんのブログ

現在、九条山から移転して山科日ノ岡にある石塔。江戸時代に木食正禅養阿上人が作られましたが、明治時代の廃仏毀釈でばらばらになったのをつなぎ合わせたそうです。また、このそばには
恵さんのブログ


恵さんのブログ


日蓮宗の供養塔が残ってますが、今の法華倶楽部チェ-ンの創始者が作られたそうです。日蓮宗だけは今も年一回供養をされてます。なんせ1万5千人も死んだそうですから(ノ゚ο゚)ノ

またどちらかの供養塔の下には悪霊が封じ込められてるという逸話もあります( ̄□ ̄;)


さて実際の処刑場は九条山にありましたが、どの辺りかはよく知られてません。かっての京阪電車京津線九条山駅の近辺だったそうですが、そこにはあまり知られてませんが、

恵さんのブログ


恵さんのブログ


工事の無事を祈念して供養塔を建てられました。ってことは正味ここってことですよね!

霊が写ってなくて良かったです(^-^)/


国道すぐ脇にあり、この国道は東海道ですから当時道行く人がいくらでも処刑を見られたそうだからやっぱりここしかないでしょう!


興味ありの方は探してください、もちろん心霊スポットです(>_<)




当社から車で15分程度